2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

諸葛瞻と閻宇は何をしたかったのか?

1 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:26:22
閻宇(エンウ)。

キョウイが北伐してるときに対呉を担当してた人。
おそらくキョウイに次ぐ将だったはずなのに三国志正史蜀書には
エンウの伝は一切なし。諸葛センが反キョウイに周りキョウイと
エンウを交代させようとした時に名前だけ出てきた人物

このエンウが何を考えていて、どのような人物だったかが分かれば
蜀末期の事情が浮き彫りになると思いたててみた。

2 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:29:40
お、建てれた。

スレタイ本当は「閻宇エンウ」だけにしたかったんだが。さすがに
それだけじゃ駄目かなと思い諸葛センもつけてみた。

エンウに関しては本当に史料が少ないんだよね。魏に攻められてる時とか
何してたんだろう?謎が多いと思う。そして正史の作者とおそらく同時代なのに
正史の扱いの悪さが一番の謎だと思う。

3 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:32:10
蛆虫

4 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 18:54:41
凡庸だから扱い悪かったんじゃね?
そもそも対呉戦線を構築する気がないなら、凡庸で問題起こさない奴で十分勤まる

諸葛センが凡庸であったかはこれから議論すればいいとしても、
北伐とか攻勢に反対した諸葛センの対応考えれば、あーでもないこーでもない言って来る
姜維のような性格とは異なる人物を連れて来たと考えれば合点がいく
軍事指揮官としてはさほど切れがなく、凡庸だが温厚な人物だったと考えれば
そいつに伝が残るほどの事績がないのも不思議なことじゃないだろ

5 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:37:37
障害児乙

6 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:42:23
しかもいきなりの自演スタート
もう痛々しいなんてレベルじゃねーぞコレ

7 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:52:36
スーパーサイヤ人3

8 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:57:12
>>4
けど呉だよ?すぐ裏切るで有名な呉に対して凡庸な奴を
送れないでしょ。そこそこ実力はあったと思うが。

ていうか三国志正史の蜀書だと末期の対魏方面の事は
よく書かれてるけど。対呉はほとんど書かれてないんだよな。そんなに
呉といざこざなかったんだろうか。

9 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 19:59:25
自演で荒らす基地外蛆虫

10 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 20:01:46
資料はちゃんとまとめてから勃てたんだろうな、生姜

11 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 20:48:00
>>1
いますぐ死ね

12 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 20:51:49
おまえが死ね蛆虫

13 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:11:43
生姜は何円?

14 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:13:08
また1のコントがはじまったよ

15 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:13:58
諸葛瞻と閻宇よりも、生姜の性懲りの無さの方が気になる件

16 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:16:08
生姜叩きはこっちでやれ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1267254676/

17 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 21:39:39
生姜死ね

18 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 22:03:31
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 曰く、

>>1
障害児氏ね

19 :1:2010/03/04(木) 23:36:52
まあ、諸葛センとエンウというかなりマイナー所のスレだから
ゆっくりと進めて行きたい。

多分この二人の事知らない人の方が多いだろうから、明日あたり
三国志正史蜀書から重要部分を書き出してみる。


20 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 23:41:56
>>19
死ね

21 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 23:47:10
新参に舐められないようにあいつらが知らないような
マイナーな武将のスレ立てました(笑)


22 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 00:04:43
諸葛瞻がマイナーとかありえん、ここは三戦板だぞ

23 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 00:21:51
>>8
蜀と呉のいざこざは大抵蜀が原因だから
蜀が何もしなければ波風たたない

24 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 01:00:13
つうか生姜がちゃんと漢字を使い続ければ波風たたない
  *     です   +  
     n      n
 + (ヨ(* ^+^)E)
      Y     Y    *

25 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 02:07:55
>多分この二人の事知らない人の方が多いだろうから、明日あたり
>三国志正史蜀書から重要部分を書き出してみる。
別に書かなくていいよ。
孔明スレでバカにされたから新参に知識をアピールしたいだけなんだろ?

それよりも頭が悪いの治さないとどうしようもないぞお前

26 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 13:22:13
>>19
無理だとは思いつつも、一応お願いしてみることにする。

今までのように「○○は有能、××は無能」と固定観念を前面に出して、
正史の記述を恣意的に切り貼りする行為はやめてくれ。
それでは話が先に進まないし、いつまでたってもネタスレから脱却できない。

あなたがそれをやらなければ色々と話せることもある。

27 :1:2010/03/05(金) 20:25:58
とりあえず部屋掃除してちくま文庫版三国志正史5巻が出てきたので
「エンウ」に関する部分を「トウケツ」って人の所の補足で
「諸葛セン、トウケツはキョウイが戦争を好んで功績がなく、国内が
 疲弊してるのでキョウイを益州刺史にして軍権を奪うように考えた
 諸葛センはエンウとキョウイと交代させるように上奏した」
って書いてある。
でキョウイの欄の所には
「宦官のコウコウらが宮中にいて権力を我が物とし右大将軍のエンウが
 コウコウと結託した。しかもコウコウはひそかにキョウイを廃してエンウを
 立てんと願った」

とある。これだけでかなり情報が込められてるんだよな。

28 :1:2010/03/05(金) 21:29:20
やっぱ諸葛センとエンウはマイナー過ぎたか。誰も付いてこれなくなりそう。

で上で指摘されたんでとりあえずは人物の優劣抜きに語ると上の情報でまず

諸葛センとトウケツが反キョウイだと分かる。でコウコウが中央の政治を取り締まってたわけだ
実質的な権力者はコウコウ。でエンウの方からコウコウに結託したわけだろうけど。

考察としておそらくコウコウは権力だけだったからエンウの持つ兵力が欲しかったんだろうな。
でコウコウとエンウが結託した時点でキョウイは成都から離れざるを得なくなった。
下手したらエンウと戦わなきゃならなくなるから。で状況を巻き返すために北伐をせざるを
得なかったって感じなんだろうね。

29 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 21:35:45
【1986オメガトライブ】'86/4〜'88/3
カルロス・トシキ/黒川照家/高島信二/西原俊次
【カルロス・トシキ&オメガトライブ】'88/3〜'91/3
カルロス・トシキ/高島信二/西原俊次/ジョーイ・マッコイ

【主な製作陣】
プロデューサー:藤田浩一
作曲家:和泉常寛
アレンジャー/サウンド・プロデューサー:新川博
作詞家:売野雅勇
レコーディングエンジニア:清水邦彦/内沼映二
コーラス:木戸やすひろ/比山貴咏史
スタジオミュージシャン:有名陣多数

【PAPAYA】
マーティー・ブレイシー(Drams)/ウォーネル・ジョーンズ(Bass)/後藤輝夫(Sax/Perc)/大阪哲也(Key)

30 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 22:09:57
ご自分で引用した『(姜維の度重なる出兵により)国内が疲弊してる』についてのご感想は?
陳祗の後を受けて朝政を預かる身になった立場で、
事実として国内が疲弊し、厭戦感が蔓延していたら手を打とうとするのは当然だと思うが。
(やり方が適切だったかどうかという問題は別にあるけど。)
どうしても「反姜維」というフレーズを使いたいようだけど、
姜維の北伐に懸念を抱くことを全て「反姜維」で括るのであれば、
成都はもちろんのこと、両車騎将軍だって該当してしまうぞ。

あと、閻宇の持つ兵力って言ってるけど、それどの程度だったかちゃんと調べてから言ってる?
とてもじゃないが漢中駐屯軍には質量共に遠く及ばないよ。

31 :1:2010/03/05(金) 22:19:07
国内の疲弊についてはキョウイの戦争のせいなのか
コウコウの内政のせいなのかは微妙な所だと思う。

キョウイの戦争で疲弊した部分も少なからずはあったかもしれないが。
内政がよければ戦争してても大丈夫だろうし。曹操だって戦争しまくってたけど
大丈夫だったし。

あとエンウの兵力については蜀書には載ってないから分からないが。
コウコウ、エンウについで諸葛センやトウケツも繋がってるんだから
キョウイからしたらこの勢力は…

ダジャレになってしまうので書かないが

実質蜀は2分してたんじゃないかな。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 22:42:18
確かに誰も追いてこれなくなりそうだな。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 23:19:01
違う違う行ってるだけのやつよりはましだとおもうぞ

34 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 23:57:25
こりゃ誰もついてけーやw

35 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 02:01:05
>>8
軍事指揮官として凡庸であるって事は必ずしも無能である事とは違うだろ

百戦して百勝するような人間ではなく、取り柄もないが
呉に喧嘩を売らないぐらいの分別はあったって事
そもそもその程度の分別も持ち合わせてない奴なら高官になる事すら難しい

>>28
>やっぱ諸葛センとエンウはマイナー過ぎたか。誰も付いてこれなくなりそう。

ってかさぁ、その上から目線は荒れる原因になるんじゃね?
正直何の関係もない俺が見てもうぜぇと思えて仕方ないわ
考察としてのレベルも限りなく低いし

>実質的な権力者はコウコウ。でエンウの方からコウコウに結託したわけだろうけど。

ソースがないやん
ソースがないなら閻宇側からアプローチしたと信じるに足るものを何か出そうぜ

>おそらくコウコウは権力だけだったからエンウの持つ兵力が欲しかったんだろうな。
>でコウコウとエンウが結託した時点でキョウイは成都から離れざるを得なくなった。
>下手したらエンウと戦わなきゃならなくなるから。

姜維や漢中駐屯の部隊が内戦を覚悟せざるを得なくなるような方針転換を
匂わせるような記述があったわけ?
あったならご教授いただきたいものだ

>で状況を巻き返すために北伐をせざるを得なかったって感じなんだろうね。

あの…
北伐の意義ってご存知ですか?

36 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 09:43:01
仮に、もし仮にだが

>>1が無知蒙昧なアホを装って衆人の興味を掻きたてるスレを立て、盛り上げようと敢えて
道化を演じているのだとしても、>>1の意見に全く面白みがなくてつきあう気にならんのよな
なんせ自分の都合に良い事だけを並べるだけなんで議論にもなっていなけりゃ
進行役にもなれてない

尤もこれが表裏ない姿だとしたら脳や人格に欠陥を抱えた知的障害者でしかない

37 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 10:28:34
生姜は何をしたかったのか?
を考察するスレにした方がよさそう

38 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:25:46
【主な製作陣】
プロデューサー:藤田浩一
作曲家:和泉常寛
アレンジャー/サウンド・プロデューサー:新川博
作詞家:売野雅勇
レコーディングエンジニア:清水邦彦/内沼映二
コーラス:木戸やすひろ/比山貴咏史
スタジオミュージシャン:有名陣多数

39 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:28:02
海外メディアにはっきり「パニック発作」とかかれましたね。やはり自閉症か。
健常者なら男子が廊下を走ったからといってパニックなど起こさない。
自閉症児に登校拒否が多い。

40 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:43:46
こうやって関係ないレスを何度も貼れば都合の悪い流れを潰せると思ってるのか、生姜は

41 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:03:38
あちこちで関係ないレスやAAを貼りまくってるのがいる

42 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:07:27
いいじゃん、どうせ終わった板なんだし

43 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:17:20
別に板としては終わってない
生姜の活動が終わったのかもしれないが

44 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:32:40
>>37姜維sugeeeeをしたかった

― 終 了 ―

45 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:40:14
ぶっちゃけこの問題について答えられる奴はここにはいないので聞くだけ無駄っていうのもあるよな。

姜維が権力を掌握した過程がわからないと姜維の敵もわからない。

46 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:47:59
結論:聞くだけ無駄

― 糸冬 了 ―

47 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:56:38
半年ロムれ糞名無し

48 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 13:24:07
>曹操だって戦争しまくってたけど大丈夫だったし
これじゃ頭悪すぎて新参にもバカにされるわなwww

49 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 14:51:12
>>47
お前新参か?
ケツの力抜けよ

50 :1:2010/03/06(土) 15:57:33
>>35
ソースって上で三国志正史本文書いて出してるじゃん。
アレ以上のソースあるの?

分かりやすく書くと
「宦官のコウコウらが宮中にいて権力を我が物とし右大将軍のエンウ「が」
 コウコウと結託した。しかもコウコウはひそかにキョウイを廃してエンウを
 立てんと願った」

右大将軍のエンウ「が」コウコウと結託した。

って書いてあるんだよね。コウコウのほうからエンウと結託したなら
右大将軍のエンウ「と」コウコウは結託した。
になるでしょ?

51 :1:2010/03/06(土) 18:15:36
さてついでに諸葛センあたりについても書いておく。

今正史の諸葛センのあたりを読んでるんだがやっぱ記述がすくないんだよな。
孔明の息子だしもっと詳しく書いてもらいたかった。なぜ歴史書なのに末期の奴らは
扱い悪いんだろう。もっと均等に書かないと。

で重要だと思うのは諸葛センの息子が蜀が負けたのはコウコウを斬らなかったからだ
って嘆いてるんだよね。つまり諸葛センの息子はキョウイのせいで蜀が負けたのではなく
コウコウのせいだと思ってるわけ。
諸葛センの息子から見てもコウコウの政治ってのは間違ってたのだろうね。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 19:36:59

       魅 統 教 知 総
       力 率 養 力 合
中野区    82 68 88 87 325
ぷらっと   71 86 85 80 322
アンジェ   70 81 86 68 305
学徒出陣   82 68 67 70 297
陳Q      73 62 ? 83 297
Jominian   52 79 82 78 291
宇喜多    70 60 77 75 282
八戸のぶ   66 71 56 81 274
ととのえ   60 77 41 69 247
タケノコ   43 34 89 79 245
神ツコツ   72 39 55 71 237
氷雪     68 55 34 73 230
中山幸盛   58 44 66 60 228
ひょーりみ  59 50 48 55 212
六角先生   49 49 49 37 184
◆W何とか  53 51 21 35 160
石原     31 36 37 46 150
小銀玉    19 17 59 47 142

53 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 19:37:48
>右大将軍のエンウ「が」コウコウと結託した。

右大將軍閻宇 與皓協比、而 皓陰欲廢維樹宇。

漢文は成績イマイチだったが、
「右大将軍の閻宇と皓は結託して、皓は密かに維を廃して宇を立てようと考えた」
みたいな意味なんじゃないかと思うんだが。
少なくとも閻宇がすり寄って行ったと解釈できるような文章じゃないと思う。


>諸葛センの息子が蜀が負けたのはコウコウを斬らなかったからだって嘆いてるんだよね。
>つまり諸葛センの息子はキョウイのせいで蜀が負けたのではなくコウコウのせいだと思ってるわけ。
>諸葛センの息子から見てもコウコウの政治ってのは間違ってたのだろうね。

華陽国志から引いてる台詞だから当時の蜀にそういう逸話が流布していた可能性はあるだろう。
でも蜀贔屓の裴松之が喜びそうなネタだから注に採録されてる時点で印象操作を狙ってる可能性がある。
本当に言っていたとして享年二十歳以下だろう諸葛尚がどれほど政情を理解していたか分らん。

54 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 21:06:39
>>53
原文だされたら。俺も中国語は知らんし。詳しくは分からないけど
あそこあたりコウコウが主語になってるのに、その文だけエンウが主語になってる
からエンウが何かしたと思うんだが。じゃなきゃ普通に「コウコウが〜〜した」ってなると思う

ただこのちくま文庫版は結構日本語おかしい所あるから断言はできないけど。

55 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:05:09
婉曲に言っても分からんようだからはっきり言うが、
文のニュアンスから行間を読みたいんなら原文に当たるべきだし、
訳文すらあえて我田引水的に解釈しなければ閻宇から黄皓に阿ったようには読めない。
言葉尻を恣意的に解釈するのは行間を読むとも考察とも言わない。

原文はこの辺から見ればいい。
ちくま訳と併読すれば最低限の読解はできるはずだ。
http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%9B%B8

56 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:46:24
横レスだが、1が正しいと思う

57 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 01:34:45
>>50
>右大将軍のエンウ「が」コウコウと結託した。

閻宇が黄皓と関係を持った事は>>53氏も出してる

右大將軍閻宇 與皓協比、而 皓陰欲廢維樹宇

から理解できるが、それが閻宇側からのアプローチの
結果とは言い切れないそれは上の文章見たら理解できるでしょ
この文章でそんな事どこにも書いてないんだから
で、ソースは何なのさ?

58 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 01:51:39
横レスだが、>>57が正しいと思う

59 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 01:56:16
そもそも>>1>>28での「考察」は閻宇が黄皓にアプローチした
結果じゃないと成り立たないんだよな

そこの肝心な所を行間を読むだのちくま文庫版の主語がどうだの
語って誤魔化してるから話がおかしくなってる訳で
そこをきちんと確認しないで考察だって言うとか意味不明だろ

60 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 10:45:38
「與」は「ともに」とも読めるが、「組する」とも読める。

『右大将軍閻宇は黄皓と組し親しんだ。
そこで黄皓は姜維を廃して閻宇を立てようと密かに考えた。』


ふたりで結託して廃しようと考えたのではなく、
仲が良かったからそっちを立てようと黄皓は考えた。

こうだろう。


>>28には同意できんが。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 15:43:33
諸葛センの立ち居地ってどうだったのかね?
よく諸葛センが政治の実権握ったのは最後の3年ぐらい
みたいな事聞くんだけど。孔明の息子なんだから役職以上の権力は
あったと思う。

でコウコウとの距離なんだけど。べったリだったのか、あるいはセンはセンで
多少勢力があってコウコウと手を握ったのかでまたいろいろ変わってくる。

実際諸葛センとトウケツは最後の戦いに出陣してるし。何がしたかったのか。
キョウイじゃなきゃ勝てないのは解っていたんだろうか?

62 :ホモちゃん ◆rfq0gJoXn. :2010/03/07(日) 21:25:57
あう〜♪あう〜♪
            ___
          . . :´: : : : : : :ミ: 、
       / : : : : : : : :\ : : : \
      /: : : : :′: : : : : : :ヽ : : : ヽ
      .′: : : :|: : : : : : : : : : : : : : : .
      |: :| : : :イ: : : ト: : : : : : !: i:. :|
      |ノ:|: _/イト: : ト廴ヽ: : :|ヽ:. : :!
    /}:ハ: !       \、|: |: :ト:|
       |: : :V. へ  , へ  :ソ: l:. :|リ   
     ル'| : :.} xx (OO) _ xx.  }: : :| }ノ`ヽ
       |人:{人  (, ̄,,|   イ: : :ル'   {
      V ` \  ̄‖ _.ノ}:/ }   }
       }  >――r―‐<  /  / /
       | /   ミ厂 ̄{彡  `ヽノ   !
      ノ_}  个i′  `ー‐、 ∨  {
       [_ノ  {ニ}シ也 シ召 i}  ヽ二}
      {   厂 r‐y‐、  '|   `T′
      丶__ノ   ヽ. ノ   人    /

63 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 21:46:59
またカタカナ君か

64 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 21:50:40
懲りないな

65 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 13:33:41
まともに会話もできないアホの立てたスレでまじめに語ろうなんて人はおらんよ

66 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 00:18:06
あげ

67 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 01:13:55
>>61
センはコウコウにベッタリだよ

68 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 22:07:06
実際、閻宇って蜀滅亡の時なにしてたの?

69 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/09(火) 22:15:53
おなにーだよ

70 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 08:27:09
>>68
魏軍の蜀侵攻。
    ↓
閻宇が兵(兵数不明。最低8000人くらい?)を率いて成都を救援。
    ↓
永安の守備に兵2000人を残し、羅憲に任せる。
    ↓
成都陥落。閻宇が永安へ引き返す。
    ↓
事後方針で対立。閻宇が羅憲に斬られる。閻宇の兵を吸収。
    ↓
羅憲が呉の陸抗らの蜀救援を拒否して、呉を追い払う。
    ↓
洛陽に参内。司馬炎に陳寿らを推薦する。

71 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 12:18:33
相応しい最後だな

72 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 14:55:59
 霍峻伝に付属する羅憲の記述によると当時、黄皓が実権を握り、彼に追随するものが多数いたが、羅憲だけが同調しなかったとある。
諸葛亮伝に付随する董厥の記述をみると、諸葛瞻・董厥・樊建が政務を担当し、姜維がつねに征伐で外地にいるようになってから宦官の黄皓が
政治の実権をほしいままにしたが、みな互いにかばいあって政治を矯正することができなかった。ただ、樊建だけは黄皓と特に親しく往来することがなかったとある。
つまり、諸葛瞻と董厥は黄皓に追随した側の人間ということになり、黄皓のおかげで昇進したということになる。
このことは、逆にいうと羅憲と樊建以外は全員黄皓とグルだったということになる。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 17:52:20
>>68
閻宇が羅憲に守備を任せた後、どうなったかなんて記述あったか?
増援に向かった後の動向は不明じゃないの

>>72
郤正みたいに睨まれなかった人も、出世しない状況だからね
黄皓が政治権力を握った結果、出世や左遷といった人物の進退が彼の手に握られたのは確か
羅憲の件を見れば分かる通り、少なくとも健全、公正な状況ではなかったようだ
陳祗死後の蜀漢のガタガタっぷりはひどいね
黄皓を引き立てたのも陳祗だけど、陳祗生存中はまだ官位も低いし、押さえ込む事は出来てたようだが、
段谷の敗北+陳祗死亡+姜維の事後対応の稚拙さで、もうどうしようもなくなったような印象を受ける

74 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/10(水) 20:35:24
黄皓は董卓に引けを取らない英傑だな。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 07:13:57
>>73
永安が混乱した際に羅憲が一人を斬って収拾させたとあるけど
もし斬られたのが閻宇だったら当然明記されるだろうから
少なくとも閻宇その他の名のある者ではなかったと思う

76 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 08:47:37
私も凄い短小を見た事がある…
通常サイズだと毛で隠れて全く見えなかった(汗)

勃起すると親指の第1間接くらいのサイズ…

更にビックリしたのがフェラをしていたらいきなり射精をしたんだけど
口にシャワーを当てているのかと思ったくらい、勢いと量が凄かった…

自分はビチョビチョだしベットには水溜まりが出来てた(;-_-)

77 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 11:35:09
>>75
確かに何も無いのであれば、書くのは当然。
ただ、何かあったのであれば、明記しないのが当然。
陳寿にとって羅憲は派閥の先輩であると同時に、
自分を晋王朝に引き立ててくれた恩人。
本来ならば、1人斬ったという
くだりですら書くのは憚るべきだった。
羅憲が死んでいたから書けたのだろう。

78 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 11:39:44
>>75
羅憲は呉軍を撃退しているが、
残された兵士は、わずか2000で相手は陸抗。
どう考えても半年持ちこたえるのは難しい。
となると、羅憲の軍は2000では無かったと考えるべき。
では、何処から兵士を補充したのかと考えると、
永安に引き返した閻宇の本隊が合流したことが考えられる。
もしそうであるならば、なぜ閻宇では無く、
副将の羅憲が軍の指揮を取ったのだろうか。
答えは閻宇が死んでいたからとなる。



但し、閻宇が斬られたというのは、こじつけに過ぎないので、俗説の域は超えないことは明らか。

79 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 12:33:52
いつも思うが、この戦役の話になると何故に主将が陸抗であるかの様に語る人が多いのか

80 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 12:42:06
今、ふと、思い出したので、書いておこう。
お笑いの二人組で名前(コンビ名)はわからないが、
もう10年以上も前にブレイクした(それほどではないのかも知れないが・・・)。
二人とも常にスーツ姿だったが、
片方の男がスケッチブックのようなモノを持っていて、
もう片方の男が、「悲しいとき!」と言い、
相方がそれに続いて「悲しいとき!」と言い、
スケッチブックに描かれた内容を、やはり、二人で繰り返し言う・・・というモノ。
この二人組、或る時期からすっかりテレビに出なくなり、
最初は気にしていたが、そのうち、気にも留めなくなり、
やがて、コンビ名までも忘れた。
この二人組、今、どうしているのだろうか?

81 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 13:31:25
>>78
えっ?そんなどうでもいいところイチイチ説明せにゃいかんのか?文字の無駄だろ。


82 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 13:31:47
アンカー間違えたw

83 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 13:38:29
で、主将は誰なの?

84 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 14:53:54
悲しいとき!!

85 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 20:06:51
>>79
三国志末期に詳しくて陸抗に高い評価を置いてる人はジョミさんだよ

86 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 20:34:03
悲しいとき!

三戦に来てしまったとき

87 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 21:41:28
>>77
閻宇は黄皓と親しかったとされていて
蜀漢滅亡後に(黄皓ともども)評価された形跡はない
だから西晋以降の史書において閻宇を斬ったことを「憚る」必要はない

また別に習鑿歯が特に閻宇に遠慮する理由も見当たらないから
羅憲が閻宇を斬ったのであればそれを書かない理由はない


88 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 21:59:33
>本来ならば、1人斬ったという
>くだりですら書くのは憚るべきだった。
この理屈はわからないな
一人斬って恐慌を鎮めるのは良将の事績だ。
陳寿は嬉々として恩人の手柄を書き記しただろうに。

89 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 22:41:47
>>87
前半意味不明。具体的な書物がわからん。

後半は習鑿歯は閻宇に遠慮する必要はないけど、羅憲には遠慮する必要がある。

物事の中心は羅憲であって閻宇では無い。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 22:44:18
>>88
当然のことながら(もし切った一人というのが閻宇のことであるのならば)
という仮定が抜けているけど、文脈でわかるだろ。

そもそも永安が騒ぎになったけど一人切ったから静まったといういトピックを
三国志においてわざわざ書くようなレベルの内容かというのが根底にある。







91 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 22:47:24
閻宇は荊州南郡で羅憲は襄陽。習鑿歯は襄陽だったかな。
ただ閻宇は巴西の豪族である閻氏と何らかの繋がりがあった可能性はゼロではない。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/11(木) 23:22:31
>>90
ごめん
羅憲の一連の活躍が記されているのは確認したら「三国志」ではなく「襄陽記」だったわ。
陳寿は何も絡んでない。


93 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 00:30:35
>>83
陸抗ではないとしたら歩協では

94 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 07:08:57
>>89
>閻宇は黄皓と親しかったとされていて
これは三国志姜維伝及び華陽國志劉二牧志
(確かに親しかったというより協力したという言い方だけど)

>蜀漢滅亡後に(黄皓ともども)評価された形跡はない
三国志では閻宇は「馬忠に及ばなかった後任」としてのみ書かれて
他にはほとんど記録がない

>だから西晋以降の史書において閻宇を斬ったことを「憚る」必要はない
閻宇が永安を混乱させて羅憲に斬られたからといって
それを伏せなければならない程閻宇に遠慮する理由はない
ましてそれで成功した羅憲に遠慮する必要なんてあるはずがない。


95 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 12:40:55
OK,短小非童貞だが答えるぜ。
マジレスすると正直、赤ん坊ぐらいにしか勝つ自信は無い。
こないだ公衆トイレで用を足してるとき、隣に5歳〜7歳ぐらい?の男の子が立ったんだが
彼のを一瞥したら俺のより長かった。俺のは平常時3cmから4cm程度、彼のは推定5cmぐらいだった。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 15:35:11
ちんぴょこ

97 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 16:38:53
これは勃たざるを得ない

98 :勃起 ◆VzgxTOiYuo :2010/03/12(金) 17:37:37
立つぞ!!

99 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 19:36:10
このスレは呪われています。

100 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 20:55:32
>>94
華陽国志は三国志の内容を補う記述が多けれども、この部分は賛同できない、
黄皓はは中常侍であり、おそらく彼の意向により諸葛瞻や董厥が重職を務めることに
なったわけだから、「ただの遣い走り」なわけが無い。
それから20年近くも前に死んだ董允の名前が出てくるのも不自然だ。
実際は董允死亡時、黄皓は黄門丞でしかなかったのは事実だけれども、
陳祗の死亡時のときも黄門令だ。昇進はしているがそれほどというものでも無い。
これはおそらく当時の巴西太守が董允の孫である董宏だったことが
不自然なほどに董允を持ち上げている理由なんだろう。董允伝は注意して読む必要がある。

101 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:04:03
>>94
閻宇は馬忠に及ばなかったのは事実だけども、馬忠の職責や経歴を越える人物などそうそういない。
蜀漢にあって馬忠に比肩する人物は蒋エン・ヒイ・姜維といった大将軍録尚書事クラス。
とにかく比べる相手のレベルが違いすぎて閻宇が優秀だあったとしても、馬忠には及ばない。
閻宇が無能であったとしても、馬忠には及ばないという評価になるので、
実際閻宇がどちら側であったのかはわからない。


102 :陳湖辰蔵 ◆Rcd/XF1OWg :2010/03/12(金) 21:05:22
立つぞ

103 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:14:53
>>94
羅憲と閻宇についてだが、これは終始羅憲側の視点に立って考えるべき。
巴西の大姓である閻氏との関係があった場合も考慮する必要性はあるけれども、この際それは考えない。
つまり、成功したとかしないとかというのは現代人の感覚であって、もし、それがそうだったら、どうなるかというと、
副官の身でありながら、上司を斬り捨てた軍規違反者、裏切者という汚点が羅憲にはついて回るのである。
これは絶対避けなければならない。つまり遠慮する必要性がある、だけど嘘は書きたくない。だから、ああいう
微妙な表記になったと考えることも出来なくはない。陳寿の三国志を読んだ当時の人々は実際を知っているから、
あんな記述でも「あー、あの事件はこういうふうにぼかすわけね。」で理解してくれるけど、
西晋以降の人々はそんな事情を知らない。

104 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:17:18
>>94
華陽国志は三国志の内容を補う記述が多けれども、この部分は賛同できない、
黄皓はは中常侍であり、おそらく彼の意向により諸葛瞻や董厥が重職を務めることに
なったわけだから、「ただの遣い走り」なわけが無い。
それから20年近くも前に死んだ董允の名前が出てくるのも不自然だ。
実際は董允死亡時、黄皓は黄門丞でしかなかったのは事実だけれども、
陳祗の死亡時のときも黄門令だ。昇進はしているがそれほどというものでも無い。
これはおそらく当時の巴西太守が董允の孫である董宏だったことが
不自然なほどに董允を持ち上げている理由なんだろう。董允伝は注意して読む必要がある。

105 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:18:15
>>94
閻宇は馬忠に及ばなかったのは事実だけども、馬忠の職責や経歴を越える人物などそうそういない。
蜀漢にあって馬忠に比肩する人物は蒋エン・ヒイ・姜維といった大将軍録尚書事クラス。
とにかく比べる相手のレベルが違いすぎて閻宇が優秀だあったとしても、馬忠には及ばない。
閻宇が無能であったとしても、馬忠には及ばないという評価になるので、
実際閻宇がどちら側であったのかはわからない。

106 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:19:23
>>94
閻宇は馬忠に及ばなかったのは事実だけども、馬忠の職責や経歴を越える人物などそうそういない。
蜀漢にあって馬忠に比肩する人物は蒋エン・ヒイ・姜維といった大将軍録尚書事クラス。
とにかく比べる相手のレベルが違いすぎて閻宇が優秀だあったとしても、馬忠には及ばない。
閻宇が無能であったとしても、馬忠には及ばないという評価になるので、
実際閻宇がどちら側であったのかはわからない。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:20:35
ぴょこたん

108 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:22:17
>>93
歩協はただの西陵の荘園領主で、親から受け継いだ兵士を領有しているだけで、政治的権利を持っていない。
というより孫休により西陵督を取り上げられている。この時期の西陵督は陸抗だ。?陸胤だったかもしれん。どっちだったかな。
この時期の孫呉の軍事の大権を預かっていたのは上大将軍の朱績(施績)。
それにしても孫呉の軍政は都督と督の違いがあるのでよくわからん。

109 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:26:21
クマッタ荒らすな

110 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:36:09
>>94
とりあえず
×華陽國志劉二牧志
○華陽國志劉後主志
何を寝ぼけてたのだろうか

>>101
いや実際閻宇はそこそこ以上には有能だったと思いますよ
(でなきゃ姜維の後任として擁立できないから)
ただ>>77が主張するような
「閻宇が羅憲に斬られたこと」をもみ消さなければならないほど
西晋以降の史家に評価されていたとは思わないというだけで

111 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:50:08
>>103前後の人の意見って、
「もしも、羅憲が閻宇を斬ったという想定が成立するのならば、諸々の記述についてこれこれの解釈が成立する」
ということしか語ってないんだよな。
「羅憲が閻宇を斬ったという想定」が、彼の論旨のどこからも導き出されない。循環論法に陥っている。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:51:24
荒らすな

113 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:55:05
>>111
そんなの当たり前だろ・・・。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 21:58:01
>.113
本人?
ならばそれは自分を卑下した言葉?
普通に文献史学の見地からすれば、当たり前のわけはないんだが。

115 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:03:31
>>108
歩協が西陵督を取り上げられたなんて記述あったっけ?
西陵督は歩闡が反乱を起こすまでは歩氏の職務だったと思うけど。


いずれにせよ、陸抗は関羽瀬から白帝までの都督だったので、
陸抗が出てきている以上、司令官は歩協ではなく陸抗になるのは当然だけどね。

この戦役で問題になるのは、楽郷にいた施績だろうね。
最終的に胡烈が歩騎二万を率いて西陵に向かう事で陸抗は軍を撤退させるけど、
楽郷にいた施績が何かした記述が無い。
仮に施績が襄陽に軍を進め、荊州からの軍の抑えとなっていたなら、
また別の結果になったかもしれない。

116 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:08:52
>>114
他人が自分と同じ土俵に立っているのが当然と考えることは独善的だなとは思うね。


117 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:10:16
おっ、ジョミっちが出てきた。

118 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:12:57
>>115
西陵督が歩協から陸胤→陸抗に移ったということは、取り上げられたってことなんじゃね?

119 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:26:32
>>118
永安元年に陸胤が西陵督になった記述があり、永安二年に陸抗が西陵都督になった記述があるけど、
歩闡は歩協の後を継いで西陵督になっているので、やはり西陵督は歩協だと思うよ。

陸抗の西陵都督は、西陵に駐屯しているという事を示していて、
西陵督よりも上位の職務だと考えている。

陸胤の方は確かに微妙なんだよね。
歩騭が赤烏十年に死んでいるので、歩協伝を普通に読むと、赤烏十年に歩協が西陵督になっているのではないかと思う。
ただそうすると、永安元年に歩協から陸胤に交代している事になる。
しかしながら、歩協が西陵から別の任地に遷っているなら、
永安の包囲に参加しているのも、歩闡が歩協の後を継いだという記述も不自然になる。

歩協→陸胤→歩協と西陵督が移ったと考えるのが良いかなぁ、と思う。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:30:23
カタカナはジョミさんに憧れているが、真似した形式でレスしても知識の浅さが露見してしまうだけになってしまうw

121 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:41:17
>>120
彼が俺に憧れているようには見えないんだけどw

122 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:45:20
いや対抗しながらも憧れてるよ、奴は
ただ、奴の場合いつも皆からフルボッコにされるけどね

123 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 22:53:37
>>122
そうかねぇ。よく分からん

124 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 22:58:04
>>119
そもそも歩協が西陵督になったなんて何処にも書いてないんじゃね?

125 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/12(金) 23:01:56
>>124
直接的には書いてないが、「協弟闡、継業為西陵督」という一文は、
歩闡が歩協から西陵督を継いだ事を意味しているように思えるが。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 23:05:44
>>125
フツーに考えればそうなんだろうけど、継業プラスアルファが西陵督なんじゃね?

127 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/12(金) 23:34:05
軍隊は世襲なんだし、職責も世襲じゃだめなん?

128 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 07:55:45
普通は爵位と領土で、官職は継承しないものなんじゃ?

129 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 08:34:52
『三国志研究 第三号』  2008年9月三国志学会編 研究ノート 孫呉における都督について 木村正博

(中略)
そこで問題になるのが、「継業」や「襲業」といった表記で表される世兵制である。
構造としては、「元来保持していた兵」、「君主からの授兵」、「兵の世襲領兵」、「官職等の既得権益の継承」。
これらの組み合わせによるものと思われる。都督の世襲について問題になるのは「官職等の既得権益の継承」の理解である。

『呉志』巻七・歩隲伝付歩闡伝に、
(赤烏)十年(二四七)年卒、子協嗣、統隲所領、加撫軍将軍。協卒、歩キ(玉へんに機のつくり)嗣侯。
協弟歩闡、継業為西陵督、加昭武将軍、封西亭侯。

とある。先述していることであるが、歩協ないし歩闡の西陵支配と重なって、陸胤が単一拠点による西陵の都督に任命されている。
そうした状況の中で歩協が西陵の都督であったとは考えにくい。さすれば「業」は都督を指すのでは無いということになる。
「業」は官職ではなく、西陵を支配するというような実質的な既得権益を指しているものと思われる。同じ土地をを支配し兵を世襲したからといって、
都督に必ず任命されるとは限らなかったかもしれないが、彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと思われる。
そうした点から都督の任命、都督の世襲傾向というものが生み出されていったのであろう。
(後略)

130 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 08:49:00
クマッタ^^

131 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 15:13:13
そこあたりのさ三国志の生活 兵隊の給料とか税金の納め方
とかがどうだったとかが詳しく解説されてるサイトとかってないかな?

どうも江戸時代の感覚で捕らえてしまう。

132 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 16:34:03
>同じ土地を支配し兵を世襲したからといって、 都督に必ず任命されるとは限らなかったかもしれないが、
>彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと思われる。

この部分の日本語がわかりにくい。

同じ土地を支配し兵を世襲したからといって、「必ずしも」都督に任命されるとは限らなかった「のであろう」。
「とはいえ」、彼らの職掌は軍鎮都督のそれといっても差し支えない状況であったと「も」思われる。

こうした方がスッキリする。

133 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 16:44:52
>>110
もみ消すのは陳寿だけ。そして事情を知ってる人間はあれで見当がつく書き方となっているから
陳寿的にはあれが歴史家としてウソをつかずに本当のことを書きつつも恩人に迷惑がかからないギリギリのやり方。
そして陳寿以降の西晋の歴史家は、蜀漢の事情なんて知らないから陳寿の表向きの記述でしか史実を知りえない。
知らないのだからもみ消す必要も無い。つまり羅憲が斬ったのは成都の混乱を永安にもたらした「名もない誰か」であって、
それが具体的に誰であったのかを知らないのだから、注釈のつけようが無い。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 16:52:59
でも習鑿歯は知っていたかもしれない。もちろん親戚の祖先が羅憲だから都合の悪い事をかくわけねーけど。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:06:56
 で、僕が羅憲が斬った1人が閻宇だと思うようになった理由は、第一に成都を救援に行った閻宇の消息が不明なこと。
当時の閻宇の職責は南中の霍弋と同等であって省略すべきものではないと考えた。
 第二に永安に遺した守備兵2000で、歩協の軍を撃退したばかりか、陸抗軍3万の攻撃に半年以上耐えぬいたこと。
「羅憲スゲー!」で片付けるのもいいけれども、それで済むなら逆に「んなわけねーだろ」という考えがあってもおかしくないだろう。
羅憲軍が2000だった根拠は、閻宇が成都に進発した際に永安に2000遺したと書いてあるから。
だったら時間的に考えて陸抗と対峙したときは2000で無かった可能性が高いと考えた。
羅憲が1万人を超える規模の兵士を率いていたのであれば、陸抗軍3万が永安を抜け無かったとしても、まぁおかしくは無いだろう。
となると、問題は羅憲は一体どこから兵士を集めてきたのか?という疑問にブチ当たる。
そこで初めて「羅憲が斬った一人」という記述がある一つの事実を指し示している可能性があることに気づくのである。
 まぁ、仮定に仮定を重ねたトンデモ理論なので、胸の内だけにしまっておこうかと思っていたんだけど、
はからずもこの板で同じこと考えている人がいたので「俺だけじゃ無いんだ」と思ったものです。

歴史書は説明書が無い上に、パーツが足りないプラモデルみたいなものだから、残された部分だけで組み上げると
それっぽい物しか出来上がらんのよ。





136 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:07:07
>>133
陳寿が永安防衛当時の羅憲の事績に触れた箇所ってどこ?
どこにもないように見えるが。
全て習鑿歯の筆によるものだろ?

137 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:18:45
>>136
まじだw。じゃあ陳寿関係ないな。習鑿歯に訂正しておくわ。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:24:31
ttp://maps.google.com/maps?hl=ja&lr=lang_ja&oe=UTF-8&q=%E6%B0%B8%E5%AE%89&num=50&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
これが現在の永安周辺だが、見ての通り鬼のような難所。
ここは巴東郡の東の入口にあり、長江沿いさえ抑えて置けば、巴東郡への進入を完全にシャットアウトできる。
一城の防備が十分で士気さえ維持できれば、数千で守れる地形だろう。
逆に三万もいたところで数の優勢を発揮できる場所じゃないんだ。

羅憲は巴東太守と巴東領軍の二つの職責が知られており、「江邊長吏」つまり長江沿岸の郡県高官の同様を
抑えたことから、巴東郡への統制力を維持していたとわかる。
つまり羅憲は、常備兵2000を主力として永安で呉軍を遮断したうえで、後背地に当たる巴東郡の経済力や
人的供給力を回転させて半年に渡って防衛線(というか点)を維持したと推察される。

特に不自然な点はないね。

139 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:32:51
>>138
そう聞くと不自然な点は無いんだけど、肝心の地図上のどこが永安なのかわからん。
永安市じゃなさそうなのはわかった。

140 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:35:33
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date126649.jpg

おそらくこの写真のどこかだと思うんだけどね。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:36:32
おかしいな
まあ白帝鎮で検索ですれば現在の白帝鎮や永安鎮の場所がでるよ
そのどの辺に当時の永安城があったかまでは知らないけど

142 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:40:37
http://sakuratan.ddo.jp/uploader/source/date126650.jpg

これが白帝鎮か!うーん。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:42:18
そもそも長江の流れって三国時代と全然ちがってるんじゃね?

水経注だっけ?当時の地図みてみないとわからんわ。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:44:52
疫病が発生した
ある程度予備があったので戦えた
三万の敵相手にも士気を維持出来た
よって半年間守りきれた

でも問題はないな
だが仮に斬られたのが閻宇だとして何故名前を伏せたのか?
一見美談に見えるが実は醜聞ということかな

145 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:45:50
流域が南北に1キロくらいずれたって地形の困難さは変わらないよ

146 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:48:08
578 名前:クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/14(日) 16:06:54
まあ面白ければ何でも可
つまらなければ観なけりゃいいだけの話だ

ちなみに福井作品はローレライちょろっと読んで飽きて以来ご無沙汰

wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

147 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:51:53
鍾会の乱でどれだけ死人が出たんだっけ?

148 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 17:59:56
ttp://michio-h.sakura.ne.jp/kaigai-ryokou-1/sankyo023.jpg

孔明たちは何で通過出来たんだろう

149 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/14(日) 18:01:49
>>126>>129
継業と為西陵督は、それぞれ別の事を指していると?

呉の軍制についてはろくに考えていないから、俺が間違ってるってのはあるかもね。
この辺は、史書を洗い直した上でまた考える事にするわ。

>>138
華陽国志巴志には、呉将の唐咨がシュン忍まで軍を進めた事が載っている。
「唐咨」ってのも変な話だが、歩協と歩闡を間違えるような華陽国志だし、
誰かと間違えて書いているってのは考えられる。
いずれにせよ、華陽国志の記述を信じるなら、
呉軍は規模はともかくとして軍を永安より西に進ませる事ができた、という事になる。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 18:02:53
クマッタ蛆虫の巣窟

151 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 18:21:08
チンチン小さいのはもちろんのこと
黒いし、仮性包茎だしカリが以上に小さい・・・
おわた

152 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 21:44:12
>>149
歩協と歩闡間違えてるん?

153 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/14(日) 23:41:40
帰ってきてもスレが殆ど進んでいない。
それも俺のレスを境にして。

>>152
ttp://www.chinapage.com/big5/history/hygj1.htm
原文読むと分かるけど、完全に間違えてるよ。
時期も何故か泰始二年になってる。
他にも陳祗の死が景耀二年になっていたりする。
陳祗の死に関しては、ttp://d.hatena.ne.jp/mujin/20090311/p2
ここで言及されてるけど。


個人的には、歩協だ羅憲だ陸抗だは良いとして、この話題で施績に批判がいかないのが気になる。
なんでみすみす胡烈を西陵に行かしてんだよ、って感じだね。

この胡烈の直接西陵に向った道は、景元二年のケ由降伏に際して胡烈が取るべきだった道だと思う。
これは王基よって批判され、実行に移されなかったけどね。
呉軍の妨害を受けずに西陵近くまで軍を進められた事で、
胡烈は内心王基の鼻を明かしてやった気分だったろう。
既に王基は死んでたけどね。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 23:48:17
ジョミさんに前から聞きたかったんだけど、孔明の死後〜西晋統一までは誰が主役のストーリだと思う?

155 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/14(日) 23:58:04
>>154
物語じゃないから主役というものが存在するのかどうかも分からんし、
敢えて考えてみても、諸葛亮死後〜西晋の統一までの範囲全体で特定の人物を主役とするのは難しい。
全期間を通して目立っていた奴なんていないだろうし。

それを題材に物語を作るとしたら、最初は姜維を、次いで張悌辺りを据えるのが作りやすいかもね。
ただ、いずれにせよ、その時その時目立っていた人物をその回の主役にした方がやりやすそう。

156 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 00:13:11
そっかぁ、たしかに言われてみればその二人が主役なら良い感動がありそうだな。
ちなみに、三国志関連の資料本(小説形式)のものを何冊ぐらい読破したらそこまで詳しくなれるの??

157 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/15(月) 00:24:31
>>156
俺がそれほど詳しいのかと言うと分からんけれど、
副読本の類は殆ど読んでいない。
学研の歴史群像シリーズの三国志上下とか、それと同系統の戦略戦術兵器事典【中国古代偏】とかぐらい。
論文も渡邉義浩氏の「三国政権の構造と『名士』」くらいしか読んでいないね。
あぁ、川勝義雄氏の魏晋南北朝と、白帝社から出てる「西晋の武帝 司馬炎」は読んだな。
小説は一切読んでない。

基本的には、適当に史料を漁りながら思い付いた事を話してるだけだよ。
なので、俺が話している程度の事なら、そこまで中国史の知識はいらないと思う。

158 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 00:30:15
今ひととおりググってみたよ。
その中だと、個人的に1番面白そうだと思ったのが「西晋の武帝 司馬炎」かな。
三国志末期を深く書いてあるのはコレかなと思ったけど、どう?
買うかも。

159 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 00:33:00
そういや姜維伝の小説が今月でてたな。正史三国志完全版(笑)より100倍マシな出来だった。

160 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 08:30:51
>>156なら論文以外は読んだな。
白帝社の司馬炎と講談社の魏晋南北朝は読んでない人は読んで損はしないはず。
それはそうと俺も論文が読みたい。

161 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/15(月) 21:12:04
>>158
>>160の言う通り、司馬炎は読んでおいて損は無いよ。
多分図書館なんかにもあるから、一度借りて読んでみても良いかもしれない。

>>160
>>157で挙げた渡邉義浩氏のなら通販で買える。
汲古書院辺りで探せば、魏晋の頃の論文が色々出てくるだろう。
高いから中身分からないまま買うのは勇気がいるだろうけどね。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 00:23:07
>>161
どうも
そうやって入手できるのか…
懐に余裕ができたら是非とも探してみようかな

163 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 12:20:38
レッドクリフに便乗して
その後の三国志とかいう研究書っぽい題名で
その実、中身は思い入れたっぷりの殴り書きみたいな本も
どさくさに紛れて出てたな

164 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 17:08:27
三国志の考察本って演義なのか正史なのかはっきりさせないのが
多いからな。特に史料のなり後期だといきなり演義からもってきたりするし。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 17:19:09
では、アンジェのウンコと言うのはどうだろう?
人間の老廃物、異臭を放つ汚物、そう嫌悪するものも多く見られるのは確かである。
しかし、ここでわたしは問いたい。
貴方がたの汚便と、アンジェのウンコとは、そもそも普遍的な同一性を持って語られるのであろうか?
答えは否である。
神格化されたもの(ここでいうアンジェのウンコ)は、生れ落ちた瞬間、その神格性を同時に引き継ぐ。
つまり、他人の排便を好むスカトロジーを、フェティシズムが具現化した「自分への愛」というならば、
アンジェのウンコを好むことは、すなわち「神への愛」、という前者とは全く相対する思想なのだ。

わたしは、現代社会における信仰の喪失、また慈愛精神の忘失といった問題に、
三戦板住民たち原理主義者が立ち返り、人類に最後の警鐘をおこなっているかのように感じたのである。

166 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 17:21:51
二つ年下の知り合いの女の子は高1から付き合ってる彼氏がいる。自分はその子と最初
知り合った時、一応童貞は卒業していたものの、初めて恋人ができてセックスをした年齢では
ずっと遅れをとっており、当然セックスをした回数も遥かに劣るであろうことも容易に予想できる。
自分が筆おろしもののAVやエロ本で無駄な精液を垂れ流していた時、その子は彼氏とホテルで
ベロキスをし、乳を揉まれ吸われ、マンコもけつの穴も舐められ、でかいモノをくわえたり
あまつさえぶち込まれてイってたのか、と想像してしばしばぬく。彼女にしてみたいくらい
可愛い子なので尚更。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 21:05:23
>>160
三国志研究入門(日外アソシエーツ,2007年)の
文献目録が参考になりますよ

ただ史学書の場合基本的に魏晋南北朝で1冊なのが多いから
そこまで読む気がないと買いづらいと思う

168 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 08:45:34
>>167
どうも
南北朝時代は興味アリアリなんで、いけると思う
講談社の魏晋南北朝は非常に興味深く何度か読めたし

169 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 23:04:08
さて大体エンウの動きが分かってきたかな。なんだかんだで
最後あたり成都の救援には言ってたのか。しかし救援に言ってたのに
リュウゼンはあっけなく降伏してしまったわけだから
いろいろあったんだろうけど。

コウコウってその後も生き延びたらしいけど。コウコウからしたら蜀で実権握ってた時が
一番栄華を誇ってた時代だろうし。コウコウからしても魏に負けるのは予想外の
だったはずなんだけど。リュウゼン降伏にもいろいろ合ったんだろうな。裏に。



170 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 23:09:19
>>169
誤字脱字が多いな。
  
         by曹操(レッドクリフ)

171 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:05:38
イメージの虐めを患ってるの

172 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:12:48
クマッタ蛆虫荒らすな

173 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 14:08:57
>>169死ね

174 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/21(日) 01:02:25
閻宇と言えば宋書州郡志だな。
荊州の南浦県について、「劉禅の建興八年十月、益州牧の閻宇が羊渠より改めて立てる」とある。
建興八年って時点で怪しさ全開だけど。

175 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 02:53:27
>>169
>大体エンウの動きが分かってきたかな。

閻宇も黄皓も、なんだかんだでいろいろあっただけで済ますな

176 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 09:37:14
クマッタ死ね

177 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 09:58:45
ハッと顔を上げると髪の短い子が椅子の上で体育座りをしてて
僕にだけパンモロ状態を見せていた。
髪の長い子は脚を組んでこっちを睨み付けてる。

えっ?えっ?と思って顔を横に振ったけど2人とも僕を見たまま目を逸らさない。
それで、やんなきゃダメなんだと思って
周りの人がこっちを見てないのを確認して振るえる手でチャックを下ろして
ちんこをぽろりと露出させてしまった。
ちんこは真っ赤になっていてローションをかぶったみたいに濡れていた。
先っぽからドクドクとガマン汁が溢れてる。
脚がガクガク震えて何もしてないのにもう逝っちゃいそうだった。
髪の短い子はハッと驚いた顔でガン見してきてリアクションが大きかった。
髪の長い子は僕の顔とちんこを見比べて蔑むような目をした。
10秒くらいだと思うがとても長く感じた。

すると目の前にまたメモ書きが放り投げられた。
うそだよ〜 とハートマークが添えられて書かれていた。
えっ?と思った瞬間女の子たちは立上がり、笑いながら手を振って行ってしまった。
慌てて僕もちんこを仕舞い何事もなかったようにした。
残っていたドリンクを一気に飲み込んだ。
足が震えたままだったがその場を逃げ出したかったので急いでマックを後にした。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 22:40:06
リュウゼンの投降が徳川慶喜並の政治的判断があったとして。
コウコウはリュウゼンに降伏を勧めたんだろうか?

あの時点で成都にはもう諸葛センもいないし。実際はコウコウ独裁状態のはず。
コウコウが徹底抗戦を言えば出来たはずだと思うんだが。
コウコウと魏でなんか取引でもしてたんだろうかね。生き延びたぐらいだから
合ったんだろうけど。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 07:36:17
>>179
家系も学問も全く触れられない黄皓が文字通りの無能だったら
そもそも独裁できるまで成り上がれないだろうから
そこそこの小賢しさ(と口のうまさ)ぐらいはあっただろう
だから緜竹落城で勝ち目がなくなったという判断ぐらいはできたと思う

またその時点で成都にいた可能性のある高級将官なんて
病気で成都に帰ってきていた70過ぎの宗預(鎮軍大将軍)と
永安から来る予定だけど消息が分からない閻宇(右大将軍)しかいない
どっちにしろ成都で迎撃して何とかなるとは思わなかったと思う

あと黄皓が権力者たりえたのは劉禅の信任あってのことだから
降伏決定後はともかくその前から魏と繋がっていたとは思わない

180 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 19:51:36
高校生の時童貞だった僕の学校にはヤリマンで有名な子が何人かいた。中でも一年下の秋代ちゃんや府中さんは超有名なヤンキーギャルで、キモオタの僕はその子達に犯される妄想で何回もオナ二ーした。ある日階段の下からパンツ見たのバレて府中さんに蹴られた。たまんなかった。

181 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 20:59:04
>>179
エンウは成都まで行けたんだろうか?いけてたらエンウ&コウコウで
なにかしら生き残り策を講じてたと思うんだが。

ところでコウコウってどうやって生き延びられたんだろう?武将とか
政治家ならその後、使い道あると思うが。宦官って生き延びさせて
その後、魏で働くとかできるんだおるか?

182 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/23(火) 21:20:15
府中さんに蹴られた、たまらなかった

183 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 02:21:02
閻宇です

綿竹陥落の噂を聞いた兵士が逃げ出しちゃって開いた口が塞がらなかったんです

184 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 20:51:55
なんか荒れてるな。板全体が荒れてるのかね?
昔はもっと落ち着いた板だったんだがなにがあったんだろう?

185 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 21:00:57
ヒント クマッタ蛆虫

186 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 22:01:40
クマッタが来た六年前くらいからここは糞板と化した

187 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/26(金) 08:07:23
2010年ぐらいになってからやたらあらしが増えたと思う。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/26(金) 12:45:14
手口がWなんとかに粘着してた奴に似てるからコテ粘着が餌を探して人里に出てきたのかも知れんな

189 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/26(金) 23:14:58
昔はじっくり議論できるいい板だったのにな。

190 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 12:12:00
あげ。 そろそろ荒らしは収まったかな。

191 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 12:36:11
ブス雲先生が高岡ふぁびょるくんと百原博史に輪姦されたって本当ですか?

192 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:19:15
生姜の兵馬の権を早く奪って閻宇に渡していれば蜀はあと30年は続いただろうに

193 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 23:14:01
>>192
どうだろ
姜維から兵馬の権を奪うということは
専守防衛に徹するということだろうけど
後任が閻宇だったら260年ぐらいだから既に遅いと思う

せめて費褘生存中にやらないと間に合わないのでは
(でも費褘は制御できてたんだよな…郭循さえいなければ)

194 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 06:50:09
>>193
費 が生姜に制約を加えて、一万の兵しか与えなかったのは、先見の明があったと思う

195 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 21:17:45
いやあそれはどうだろう?時間がたてばたつほど魏を倒すのは
困難になるだけだと思う。

196 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 21:55:04
その間に孔明なんか目じゃないよというくらいのスーパー宰相が蜀に生まれるかも知れないという可能性に賭けた

197 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 17:45:52
攻めさせて撃退を繰り返してたら、いくら魏でも国内で怨嗟の声が高まって自滅してたんじゃないかな


198 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 20:46:00
無理でしょ。国力差がかなりあるんだから
守ってるだけじゃ勝てないよ

199 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 23:31:01
なんだかんだで呉の情勢に依存してる部分はあるよね
二宮の乱が起こらなければ、呉は国力も人材も維持したまま
魏を牽制することができたわけだし

結局、一国だけで生き残りを図るには、あまりにも国力が開きすぎて
しまっていたわけで

200 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 08:07:40
孔明時代にすこしでも領土広げておけば良かったんだよな。
孔明は大勝狙いすぎたのかね。

201 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 09:33:31
孔明の戦略は堅実極まりなかったために大勝ちできなかった

202 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 09:55:30
山超えたとこにちょっと領土持ってても維持難しいから野戦軍の撃破を狙ってたんだろうが
お前はゲームでもやってろ

203 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 15:35:20
諸葛瞻が合戦を挑まず緜竹に立て篭もり、霍弋らと連係して挟撃すれば、蜀漢滅亡は防げた

204 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 15:49:20
首都防衛が任務の諸葛瞻が籠城して敵をスルー、
まだ呼んでもいない霍弋とケ艾を挟撃するのかね。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 16:45:42
魏も政情不安だよ
三叛の乱がもっとgdgdになれば勝てた

206 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 18:59:07
外から攻めるんじゃなくて。内乱を扇動するような作戦
建てたほうがよかったのかもな。


207 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 22:19:59
>>206
関東に動揺を与えるような成果を挙げるには
成功率に目をつぶって魏延案のような大冒険をするしかないだろう
(長安奪って更にプラスがあるようなことしないと)

208 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/13(火) 10:09:54
魏延は諸葛亮に従って出陣するたびに、いつも一万の兵を要請して、諸葛亮とちがう道をとり潼関で落ち合って、韓信の故事にならいたいと願ったが、諸葛亮は制止して許さなかった

魏延カワイソス

209 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/19(月) 23:12:46
諸葛亮は無難な策しか取れないから

210 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/24(土) 01:55:59
蜀は負けたら後がないからな
段谷とかもそうだし

211 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/24(土) 02:09:45
スレタイに沿うなら、董厥と諸葛瞻と黄皓は馴れ合いで維持してる自分達の権力を失いくたないから、
国を滅ぼす可能性がある姜維の北伐を辞めさせたかった。
閻宇は南中と永安の都督を歴任した政治家肌の軍人で、中央に従順だったから担ぎ出されたんだろうな。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 00:04:22
センは国のためにやったんだろうか?
権力のためにやったんだろうか?



213 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 00:15:39
>>212
諸葛瞻の政治姿勢は「諸葛瞻と董厥と樊建達はお互いにかばい合うのみで、政治の歪みを正すことはできなかった」
「劉禅が信任する宦官黄皓の専横にはなすすべもなく、諸葛瞻と董厥は黄皓と私的な関わりを持つようになった」

少なくとも国よりは自分の地位と権力を愛した人だったようだね。

214 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 20:31:16
けど最後の戦場にはセンは出たんだよな。
死ぬのを覚悟したのか?勝てると思ったのか?

晋に投降しても出世できなかったのかな。センは。

215 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 20:44:04
降服すれば琅邪王に封じると言われたが拒否して抗戦した。

まあ、陳寿は北伐にも反対し、黄皓とも激しく対立していた蜀学の儒士ショウ周派に属する人間だから、
この蜀末期の政局には自己弁護が入っているだろうね。

216 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 21:12:38
>>215
元漢帝すら「山陽公」として処遇した曹魏が
たかが諸葛亮の息子を「王」として処遇しようとした話に
信憑性があるとは思えないのだが

あと陳寿は蜀漢の政策に口を挟めるだけの立場に至っていないから
(華陽國志でも黄門侍郎に過ぎない)
師匠に対する「贔屓」はあっても「自己弁護」はないのではないか
(そもそも譙周が黄皓と激しく対立していたのなら
263年冬に劉禅の面前にはいなかったのでは)

217 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 21:52:12
>>214
董厥も姜維への援軍に出て、剣閣で魏と戦ってるから、
さすがに平尚書事と衛将軍を兼ねる立場で成都に残っている最高位の将軍の諸葛瞻が、
出戦拒否できる立場じゃないと思うがね。
そんな事したら、地位も権力もそのままではいられない。
出戦するも地獄、出戦しないも地獄という状況に追い込まれてたんだろうよ。

あと、晋に降伏してもせいぜい太守か将軍止まりで、
蜀で平尚書事と衛将軍を兼ねた人間にとってはそんなの屈辱だろ。

218 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 22:20:47
リュウゼンが降伏を決めたのはセンが死んだからかな?

センがいる時点で降伏ってパターンもあったんじゃないか?
リュウゼンの選択としては。

そういえばリュウゼンは勝手に降伏したっていう印象が強いけど
当然降伏派閥もいたわけだよね。独断で降伏したわけじゃないだろうし。

それはセンの派閥とは違うわけか。

219 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 23:09:17
>>218
降伏を主導したシィウ周を中心とした連中は、
諸葛瞻や董厥とは一線を画していた派閥だったんじゃないかね?
諸葛瞻や董厥も前線に出て戦ってるし。
諸葛瞻や董厥の派閥は、降伏したら失うものが多過ぎるから、
「降伏するぐらいなら死んだ方がマシ」な連中だったんだろ。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/26(月) 23:24:58
>>219
いろいろ派閥あったんだろうな。

コウコウ派閥に
セン派閥
に降伏派閥

で外にキョウイ派閥。

コウコウとセンは違う派閥だけどコウコウに従ってた
みたいなもんかな。コウコウが民主党でセンが国民新党みたいな
感じだろうか。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 00:09:04
>>220
諸葛瞻と董厥と樊建の尚書系派閥と、黄皓の側近系派閥は別だろうね。
諸葛瞻と董厥は黄皓と付き合っていたけど、樊建は黄皓と付き合わなかったから。
でも、手は組んでいたと思うよ。
降伏を主張したのは、政治の中枢と一線を画していた文官の派閥。

222 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 00:16:54
>>221
けどコウコウって宦官だし、味方がいないと権力は握れない気がするんだよな。
側近系っていっても政治関係じゃないと。

コウコウは権力握る才能がすさまじかったとしても一人では
発言権はないと思うし。宦官は役職にはついてないでしょ?

223 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 00:39:29
>>222
黄皓は中常侍。皇帝の傍に侍り、様々な取次ぎを行い、絶大な権力を握る要職。
黄皓の派閥の人間の名前が歴史に残ってないのは、
派閥に歴史に名が残るような文武の高官がいなくて、
権力はあるけど歴史的には重要でなく名前が残らない皇帝の側近や宦官が多かったからだろう。
皇帝の側近も立派な政治関係の役職。それも権力は絶大。

224 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 08:14:17
>>223
その前に宦官が権力握って大変になった事あったのに
なんの対応策もとらないで宦官使ってたのかね。


225 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 14:24:05
>>224
黄皓は劉禅に寵愛されていたが、董允生存中は低い役職のままで単なる使い走りだった。
陳祗が政権を握ると、昇進して政治に関与するようになったが、
あくまで陳祗は黄皓を自分が権力を握るための道具として利用するだけで、
ずっと陳祗の使い走りだった。
陳祗が死ぬと、劉禅は一気に黄皓を中常侍に昇進させ、
黄皓は政治の中枢に入った。

黄皓も董允や陳祗のような頭を押さえ付ける人物がいれば、
有能な使い走りとして役に立つ存在だったが、
誰にも押さえ付けられなくなったら悪事を働くようになった。
要は使いよう。宦官は有能な皇帝や宰相の下では有用な道具だが、
無能な皇帝の下で頭を押さえ付ける人物がいない状況では害を成すと言う事。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 18:32:44
>>224
皇帝にとっては、宦官というのは礼や法に囚われることなく
自分の専制的意志を政治に反映させるために都合がいい存在なんだよ。
だからいつの時代でも繰り返し権力を握る。
今の研究では、宦官は皇帝権強化に寄与する存在と認識されている。

で、礼や法によって皇帝の勝手を抑えて政治を切り回したい士大夫に憎まれて
歴史にあしざまに書かれる。
国が滅びたとき、その要因に皇帝に信任されて権力を握った宦官の存在があることは多いが、
本来は必ずしも害悪の存在ではない。

227 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 19:00:31
>>226
唐や明の宦官は、皇帝ですら廃立出来る権力を持っていて、
皇帝権をかえって弱体化させたがね。
その権力も元は皇帝権強化のために与えられたものだが。
皇帝権強化に寄与すべき存在が、皇帝をしのぐ権力を振るうと言うのも皮肉な話だね。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 20:25:43
明の場合は朱元璋は宦官を掣肘してたろ
彼の前半は士大夫の言いなりに近かったし
後半で粛清に走って独裁制度を敷いても宦官に権力を握らせることは無かった

永楽帝のクーデター以降だよ、明で宦官が権力を得たのは


229 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 20:29:10
それに明の宦官には皇帝を廃立できる力はない
逆に皇帝が失墜すると宦官も一緒に失墜する
明最大の宦官である魏忠賢も天啓帝死後は身を保てなかった

230 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 21:03:03
>>227
この場合の「皇帝権」というのは皇帝個人の権力のことではないんだ。
皇帝の意志人格を体現する権威・機関のこと。
漢武帝が尚書・中書に政治的権力を持たせて以降、中書・侍中・常侍ら中朝官が
専門知識に基づいて皇帝の意志を政策化する機能を持つ(この中で宦官や外戚が活動した。
外戚は後漢で外に弾き出されるが)。
尚書は「陛下の喉舌」と呼ばれ、そこから発される詔勅は皇帝の意志と同一視されたし、
節を持って皇帝の代行として臣下の前に諮問に赴くこともあった。
(光武帝の時代に尚書台が確立して、漢代型の中央集権は完成するとされる)。
丞相・三公を筆頭とする外朝は行政機関として専門家された。
この、「皇帝の人格」を体現する機関群の整備と、内-外の役割分化によって、
初めて、漢は巨大な領域を一律的な官僚制度によって運営し、
その頂点に皇帝(権)が君臨できるようになった。
このような集権モデルは以後多くの王朝に受け継がれる。

朱元璋が中書台すら廃止して彼個人の(本物の)独裁体制を確立したのは希なことだろうけど、
国家としてはそれを継続することはちょっと無理なわけで、やはり皇帝が側近官を重んじる傾向は
受け継がれる。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 21:24:15
皇幇と士幇の共存と相克が中国歴代王朝のお家芸
これが機能不全に陥ると反乱や侵略で崩壊する

232 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 21:57:56
外戚が弾き出されたのは宋代だと思う
魏晋南北朝なんて外戚全盛期だし

233 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 22:04:37
>>230
で、結局蜀において陳祗死後の黄皓はどの程度の権力があって、
どう劉禅の皇帝権の強化に寄与したのよ?
そもそも黄皓は何してたのよ?
姜維を閻宇と交代させるのにも、劉禅の意思が介在してたのかね?

234 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/27(火) 22:55:09
黄皓には、「宦人黄皓始專政」と明記されるほどの権限があった。
前後の例に照らせば、臣下からの上書は基本的に黄皓に知らされ、
黄皓は劉禅へ「助言」を行い、劉禅の意を受ける形で、内朝から外朝へ政策方針が伝達されたことになる。
これは政策の大指針や、皇帝の勅任である高官の人事考課をも黄皓が掌握していたことになる。
これを制度的に干渉できる者は確認できない。
勿論、最終的には劉禅の決断を必要としただろうが、黄皓は絶大な「専政」をしたと記される
わけだから、劉禅はかなりの程度で黄皓の判断に従ったものと思える。
すると、皇帝の意志は尚書を通して起草されて詔勅となり、
外朝の各部局(末期の平尚書事含む)はそれを執行する機関になってしまう。
諸葛瞻らは意見があれば上表しただろうが、重要なものは黄皓に口を挟まれてしまうわけだから、
政策の決定権を僅かなりとも取り戻そうとすれば黄皓に阿附するしかない。
後漢末の曹爽や王允が「権道(困難な時世に応じて便宜の方策で思想を実現しようとする道)」を取ったのと
同じ選択と言える。

勿論、劉禅、黄皓、諸葛瞻らの内心なんてものは計り知れないが。

閻宇について。
諸葛瞻らも黄皓も、姜維を更迭しようとはしたが、劉禅の勅は降りた形跡がないのが計画半ばだったのだろう。
劉禅がこの計画を全く知らなかったとしても不思議ではないが、真実は判らない。

235 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/28(水) 00:08:48
>>234
なるほど。外朝の宰相である平尚書事諸葛瞻・董厥と尚書令樊建も、
内朝を掌握した黄皓より力関係的に下だったんだな。
だから、「諸葛瞻と董厥と樊建達はお互いにかばい合うのみで、政治の歪みを正すことはできなかった」
「劉禅が信任する宦官黄皓の専横にはなすすべもなく、諸葛瞻と董厥は黄皓と私的な関わりを持つようになった」
ということになったんだな。実質黄皓は宰相をも凌ぐ蜀の最高権力者だったわけだ。

236 :234:2010/04/28(水) 00:35:13
訂正。
後漢末に曹爽なわけないだろw
荀爽でした。

237 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 17:05:37
キョウイがコウコウと対立したのははっきり残ってるんだよな。

リュウゼンというのは無能なんだろうけど、どのくらいの無能か
分からないね、コウコウの本質を見抜けなかったけど
キョウイを大将軍に任命したりしたのはリュウゼンなんでしょ?

キョウイが屯田するのをコウコウに申し出てるのも立場が
分からないな。キョウイの方が立場上なんじゃないのか?

238 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 17:27:14
>>237
劉禅と言うのは、人に染められやすい人物だと言う評が正史にある。
有能な宰相の補佐がある間は、邪魔をせずに政治を任せる中華的名君で、
奸臣しか周囲にいない場合は、政治を混乱させる暗君になる。

姜維は漢中にあって、軍事国家蜀の軍事力の大半を掌握する実力者。
大将軍に任命されたのも強大な漢中軍をバックにした権力あってのもので、
劉禅では抑えられない存在。劉禅は費イ亡き後、
誰も抑える者のない権勢を誇る姜維を大将軍に任命するしか無かった。

成都の実質的な最高権力者である黄皓と、漢中軍の最高権力者である姜維は、
官職の上では姜維が上だが、実質的な権力では皇帝の代理人たる黄皓と同等。
姜維は敗北を繰り返していたから、漢中軍の権力は弱まってて、
宰相の諸葛瞻・董厥をも味方につけている黄皓の成都の方がこの当時は力関係的に上にあり、
姜維と漢中軍は政治的に敗北しつつあった。
だから、姜維は屯田を申し出て、成都の権力の及ばない範囲に逃れようとした。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 20:18:38
管仲≒孔明で桓公≒劉禅とか言われてるね

240 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 21:47:40
桓公も管仲が死んでからはグダグダの暗君だったからね。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 22:00:22
孔明がすごいだけ?

242 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 22:03:37
KOUMEI

243 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 22:19:55
孔明はじっくり派閥を作る余裕があったからな。
降将のキョウイとは比べられないんじゃないの。

キョウイは結局立場的に戦争するしかなかったって
所なんだろうな。勝てば軍の発言権が増し
コウコウを無力化できただろうし。
圧倒的だった北伐前半に比べると後半勝率悪いのは
じっくりしてる余裕がなくなってたって事なんだろうけど。

244 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/29(木) 22:57:22
>>243
姜維は諸葛亮系の派閥の中で順調に出世して、
漢中軍という蜀の二大派閥の一つを掌握するまでに至った。
立場が危うくなったのは、成都の発言権が強くなってきたのと、
負けが込んできたから。姜維は立場を保つために戦争したわけでは無く、
自分の野心のために戦争しただけ。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 00:26:13
その戦争は戦略的に限定すれば利に適ってるわけだがね

246 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 00:39:24
姜維が何を思って戦争したかなんて、史書から分かる事では無いだろう。
野心がどうのってのも傅子の記述にあるだけに過ぎない。

傅玄が姜維に関する例の記事の内容をいつ何処で収集したかは分からんが、
普通に考えれば姜維の郷里である天水で、時期は魏の末か晋の初めだろう。
早くても、既に姜維は魏の敵として認識されていた頃だろうし、
ある程度のバイアスが掛かっていたとも考えられる。

何にせよ、「自分の野心のために戦争しただけ」などと断定的に言うような事では無いな。

247 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 01:09:12
義理も高いが野望も高いタイプに見える

248 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 12:37:23
後主は歴代王朝の皇帝の中では中の下くらいでまだマシ


249 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 15:01:26
>>246
姜維伝「姜維は西方の風俗に詳しく軍才を自負していたので、
羌族たちを仲間に引き入れれば西域を手中にできると考えていたが、
費イは彼の計略は僥倖を恃んだものと危ぶみ、一万以上の大軍を与えなかった」

国のためと言うよりは、自らの軍才を過信して、
功名心に駆られてそれに国を付き合わせたように見える。

250 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 15:41:28
生姜は老母を見捨てる鬼畜

251 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 15:42:46
段谷の敗戦は致命的

252 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 16:29:10
姜維みたいな来歴でトップに立つのは不自然に見える

253 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 16:47:23
生姜と鍾会の反乱が成功してれば…

254 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 17:22:50
>>252
姜維は異国からの投降者とは言え、諸葛亮派の生え抜きとして扱われ、
諸葛亮死後も一貫して主流派に属し、派閥の中心人物として活動してきた。
派閥人事的には、費イの死後、主流派ナンバー2の姜維がトップに立つのは妥当。

255 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 19:59:56
>>253
成功する要素が無い
内と外に敵を抱えてなるべくしてなった破滅

256 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 20:23:22
>>249
惜しいなぁ。
その記述だけだとさほど説得力は無い。
姜維の戦略と、それに対する姜維の自信くらいしか読み取れないからね。


そこで反論する場合、陳寿の姜維評を出すべき。
「志立功名」とはっきり書いてあるんだな。
まぁ、結局は陳寿の感想でしかないので、それで断言できるかと言うとできないと思うけど。
陳寿からはそう見えた、という話。

功名、と言っても、負け戦ばかりじゃ功名にならないし、
実際にそうなったように国を滅ぼしても功名にはならない。
結局は、国家を繁栄させる事が前提にあるのだろうと思う。

個人的には、姜維の求めていたのは栄達や栄華ではなく栄光だろうと思う。
ただ、そんな単純じゃないだろうね。一つの行動原理で割り切れるほど人間は単純じゃないと思うし。
鍾会を煽って乱を起こさせようとしたり、魏を打倒する事への執着心が半端ではない。
色々な心情が複雑に絡み合っての戦争だったろうと思う。

257 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 20:56:15
>>256
単純な人間ほど行動が粗忽になるから
姜維は単純なやつだったんじゃね?

258 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 21:15:14
>>257
どう思おうと思うだけなら自由だろうね。
それが定説であるかのように語りさえしなければね。

259 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 21:23:07
263年の蜀の配置は

沓中の姜維
漢城の蒋斌、楽城の王含、黄金囲の柳隠
陽安関の傅僉、蒋舒
成都→漢寿→剣閣の董厥、張翼、廖化
成都→綿竹の諸葛瞻、諸葛尚、張遵、黄崇
永安の閻宇、羅憲
南中の霍弋

でおk?

260 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 21:30:35
>>259
大体そんなもんだが、廖化は張翼らとは別行動なので、一緒に括らない方が良いと思う。
廖化は張翼らが漢寿に着くより一月以上早く陰平辺りに着いていたしね。

261 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:01:17
成都→綿竹の諸葛瞻、諸葛尚、張遵、黄崇

みんな文官ばかりじゃねえか。
こんな連中に軍を率いさせればいけなかったぐらい、
成都からは武官が出払ってたんだな。

262 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:04:37
閻宇は永安の兵を率いて成都の救援に向かったが、消息不明。
間に合ってたら、綿竹の戦いは諸葛瞻じゃなくて閻宇が指揮取ってただろうから、
間に合わなかったんだろうな。

263 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 22:06:46
そういや、緜竹に行った奴に李球もいたな。

>>261
中都護諸葛瞻、羽林右部督李球
この二人はもともと軍を率いる立場だよ。
まぁ、実戦経験が無かったであろう事に変わりは無いけど。

264 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:14:47
沓中→陰平→漢寿→剣閣の姜維
漢寿の胡済、漢城の蒋斌、楽城の王含、黄金囲の柳隠、陽安関の傅僉、蒋舒
成都→陰平→漢寿→剣閣の廖化
成都→漢寿→剣閣の董厥、張翼
成都→綿竹の諸葛瞻、諸葛尚、張遵、黄崇、李球
成都の劉禅、黄皓、樊建、張紹、ケ良、張峻、汝超、蒋顕、李虎、裴儁、裴越、鐔承、譙周、郤正、張通
永安の閻宇、羅憲
南中の霍弋

265 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:18:16
敗因は姜維と黄皓の連携ミスに尽きるような気がする
陳祗が後方に控えてれば段谷の負けがあっても弾き返せたんじゃね?

266 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 22:20:05
諸葛瞻は中都護じゃなくて行都護だな、間違えた。

>>264
諸葛瞻が都護となった時に宗預が兗州刺史になっている。
胡済は兗州刺史だったので、この頃(261年)までに死んでいたんじゃないかな。

267 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 22:27:14
蜀が滅んだ4年後の泰始四年、かつての中軍の士である王富が諸葛瞻を自称して反乱を起こした。
簡単に鎮圧されたものの、諸葛瞻を騙る事に有利があったという事だろうから、
この頃はまだ蜀漢を支持するものもいたという事だろうね。

268 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:31:46
劉璿、劉ェあたりも忘れないで

269 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:36:28
督漢中人事を放置したのが敗因とかどっかのスレで言われてたな

270 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 22:38:59
沓中→陰平→漢寿→剣閣の姜維
漢寿の胡済?、漢城の蒋斌、楽城の王含、黄金囲の柳隠、陽安関の傅僉、蒋舒
成都→陰平→漢寿→剣閣の廖化
成都→漢寿→剣閣の董厥、張翼
成都→綿竹の諸葛瞻、諸葛尚、張遵、黄崇、李球
成都の劉禅、黄皓、樊建、劉璿、劉ェ、張紹、ケ良、張峻、汝超、蒋顕、李虎、裴儁、裴越、鐔承、譙周、郤正、張通、宗預
永安の閻宇、羅憲
南中の霍弋

271 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 22:57:01
>>269
それを言ったのは多分俺だな。
どこのスレだったかは覚えていないが。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:04:14
>>271
伝統あるポストの人事を放置するなんてことありえるのかな?

273 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:07:17
わからん

274 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:08:41
生姜

275 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:14:50
夏侯覇

276 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:17:39
>>272
前任の督漢中が死んで、後任を決めるのに難航してる間に魏が攻めてきたのかも知れん。

277 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:18:43
>>270の面子を見る限りいかにもありそうな話だな

278 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:20:38
行動力が過ぎている姜維
判断力が過ぎている譙周、郤正

279 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 23:28:05
>>272
伝統があると言えば伝統があるんだけど、調べてみれば分かるが、
督漢中は総司令官たる宰相が漢中にいる時は置かれない。

それに胡済が死んだのが261年だとすれば、諸葛瞻らが朝事を統べるようになり、
姜維が焦って黄皓の処刑を進言するほど追い詰められていた時期。

後任を決めるにしても、>>276の言うように難航した可能性は大いにある。

280 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:30:21
焦って? 根拠は?

281 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:31:53
姜維も大将軍で録尚書事だから、一応宰相なんだよね。

282 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:33:55
敗戦で発言権が揺らいでるっつーことかな

283 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 23:35:01
>>280
姜維から軍権を取り上げようとする動きがあり、
且つ、黄皓の処断を劉禅に進言するという性急な策に出た上、
それが原因で成都を離れざるを得なくなった事。

284 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:43:54
あと、名目上は姜維が唯一の録尚書事で宰相だったのに、
いきなり平尚書事が二人も任命されて、宰相が三人になってしまって、
相対的に政界における姜維の地位が落ちたと言う事もあるかも知れん。

285 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/30(金) 23:49:24
ところで黄皓の処断の罪状はどういうもの?

286 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/04/30(金) 23:59:18
>>285
この話の載っている華陽国志には、
「大将軍姜維は黄皓の専横を憎み、後主に申し開き、これを殺そうと欲した」
とあるだけだから、特に罪状とかの記述は無い。

宦官が権力を握る事そのものに罪がある、という事なのかもしれないけどね。

287 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 00:22:43
黄皓は鍾会の側近に賄賂を贈って生き延びたんだよな
世渡り上手い奴だよ

288 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 00:28:10
>>287
それは演義の話。史実では消息不明。

289 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 00:39:13
>>286
華陽国志ね ありがとう 調べてきた
読んだ感じ姜維は黄皓をまだ軽く見ていたように思える
黄皓がナメた事してくれたので処罰しようと言上したところ
劉禅が庇って相手にしてくれなかったので、そこで黄皓と劉禅の関係の深さを知り
危機を感じたってとこじゃないかな

290 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 01:14:46
生姜マンセ

291 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 08:14:01
魏の麒麟児 鍾士季マンセ親孝行 謀り事に失敗なし

292 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 08:16:37
>>287,>>288
鍾会ではなくてケ艾ですね(董和伝)


>>249,>>256
姜維の真意は解らないけど

漢晋春秋に載っている費褘の発言によれば
費褘は諸葛亮の名前まで出して姜維を説得しているから
姜維の要求は費褘個人の権威では抑えられない程強かったのだろう
だから1万以下の軍で出撃させたのは両者の妥協だと思う

またどう考えても予想外であるはずの費褘暗殺があった後
わずか数ヶ月で大軍を率いて北伐を行ったことを考えれば
姜維は余程北伐をやりたかったのだと思う

293 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 13:48:14
>>292
もしかして費イを暗殺した黒幕は姜維じゃねーのってぐらい、
費イ暗殺から出兵までの手際が良すぎるよな。
普通、最高権力者が春に暗殺されて国が混乱しているのに、
夏に数万の大軍を率いて出兵とか有り得ない。

294 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 13:52:25
>>292
姜維は官位では費イの下なものの、諸葛亮時代とその死の直後の暫定政権ではほぼ同格の地位。
その後も実質的には旧諸葛亮派の軍人としてトップの地位にあったもんな。
元は同格で同派閥のトップクラスの実力者とあれば、費イの権威で抑えられる存在じゃない。

295 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 17:43:51
春にヒイが暗殺されて夏にキョウイが出陣かあ。
キョウイがヒイを暗殺した可能性とかもあるんだろうけど

ただ単にキョウイが凄かったってだけな気もするな。
キョウイは孔明と違って戦をするときはかなり素早いから
孔明は劉備が亡くなってから北伐するのに何年かかけたけど
キョウイは三ヶ月で決断実行。

296 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 18:37:16
曹爽

297 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 18:42:16
曹羲

298 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 18:59:47
曹訓

299 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 19:06:38
>>295
出兵にも準備が必要。諸葛亮が劉備死後、北伐まで何年もかかったのは、
夷陵の敗北で失われた戦力と国力の回復と、南中の反乱の平定と、
新体制の構築に時間がかかったから。

姜維の場合は、費イが死んだだけで蜀の国力も戦力も損なわれてないから、
軍隊を動員する準備だけすれば良かった。
それでも、軍権を握って数カ月で数万の大軍を動員したのは凄い手腕だと思うけどね。
あらかじめ費イに内緒ですぐに前線の軍を動かせるよう準備もしていたと思う。

300 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 19:14:22
>>293
実は費褘の許可を貰って大軍で出撃する予定だったんですぅ
とかいうよりは可能性はあるだろうけど

蜀に残っていた費褘の評判を考えれば
彼の暗殺に黒幕がいたなら全く表に出てこないことはないだろうから
さすがに蜀内部に黒幕がいた可能性は低いと思う
(姜維が単独で仕掛けたのなら言うまでもなく
仮に成都と結んでいたとしても相手は陳祇あたりだろうから
誰も批判しないと言うことは考えにくい)

301 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 03:47:06
蜀は史官が居らず政策についても記録が残って居ないために資料が少ない…とか、
何を馬鹿なことをと思ったが
民主党が与党の国会も議事録や委員会における動議について記録残してないんだってなw

302 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 11:02:32
上庸から攻めようぜ

303 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 14:49:29
>>302
蒋エンが計画したけど、計画段階で挫折した。

304 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 15:13:55
劉備が死んだ時とか孔明が死んだ時って
魏で「今がチャンスだから攻めよう」みたいな話があったけど
ショウエンとかヒイが死んだ時ってあったのかな?

特にヒイなんて暗殺されてるわけだから蜀の国内ガタガタだって
宣伝してるようなものだし。
鎌倉幕府も実朝が暗殺された時にチャンスと思われて攻められたよね。

305 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 16:57:57
>>304
特になかった。劉備・諸葛亮と蒋エン・費イじゃ存在感が違い過ぎるし、
死んだところで国内が混乱するほどの独裁体制敷いてたわけじゃないから。

306 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 19:27:25
ショウエンヒイ時代からすでにキョウイの名が
轟いてたって可能性はないかな?

魏にしてみたらヒイとかの慎重派がTOPの方が
やりやすかったけどキョウイみたいな好戦派
に実権握られるのは恐怖だったとか。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/02(日) 19:35:35
轟いていたかはしらんけど、姜維は費イ時代の北伐総司令官だから
当然郭淮らは姜維を相手にして戦略を考えていただろう。
それでもって姜維は費イが死んだ年のうちに兵力を増強させた侵攻を行っているわけだから
魏が逆侵攻する暇もない。

308 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 00:43:35
夏侯覇だけじゃなく夏侯玄も亡命してたら重用されてたろうに

309 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 00:47:27
>>308
夏侯玄って議論と名声だけで実務能力ないやん。
そんな奴に亡命して来られても役に立たんわ。
せいぜい名誉職の九卿ぐらいじゃね?

310 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 00:52:46
政策立案と宮廷運営能力

311 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 01:31:36
世語にいう。夏侯玄は世間から人を見る目があると評価されていた。
中護軍になると、武官を抜擢し登用したが、軍門に集う武士は俊英・豪傑ばかりとなった。

312 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 03:05:19
玄なんてきちゃったら扱いかねて殺害してたような気がする

313 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 03:18:50
敵国の皇族なんてこれ以上無い宣伝材料だぞ
覇の代わりに車騎将軍かそれ以上は確実

314 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 03:47:58
蜀末期ってそんなに人材って不足してたのかな?

315 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 05:17:16
30年前に死んだ諸葛亮時代の生き残りが軍部と政府のトップに立ってて、
それ以降の時代に育った人材はほとんど伝が立った人物がおらず、
名前のみの登場。若手や中堅の層はかなり薄かったんでない?

316 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 06:28:09
軍の人材は悲惨
ケ芝と宗預が互いの年齢が70超えてることを皮肉ってる
張翼も最後まで現役だったし
魏呉の健全な世代交代ぶりを考えると悲惨なんてもんじゃない

317 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 07:11:03
>>315,>>316
人材そのものがいなかったわけではないだろうから
可能性1:名を上げる前に異民族との戦いで戦死した
可能性2:名を上げる前に北伐で戦死した
可能性3:名を上げる機会もないまま国が滅びた
可能性4:名を上げても抜擢してくれる者がいなかった
どれだろ

318 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 08:15:37
3だろうな
滅亡時には新たな人材が輝きを放ってはいるんだよ
羅憲とか柳隠とか
しかし、彼らが北伐に同道することは無かった
将軍というのはエリートだ
何より従軍経験がなければ大兵を与えられる事は無い

蜀には人は居ても育成される土壌が無かったんだろう

319 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 09:09:51
分母となる人口が少ないとか、そもそもの
抜擢システムに問題があったとかそういうのもあるだろうね
魏の場合は司馬氏の作り上げた抜擢システムの恩恵をモロに
受けてるし


320 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 19:46:45
>>315
亡国に立ち会った臣は滅多なことでは伝が立たない。
特に晋に仕えた時点で、普通は資格を失う。
姜維はともかくとして、ショウ周は明白なほどの陳寿の私情。
紀伝体上の記述の濃淡から人材の厚さを伺うのは拙い。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 20:12:39
>>318
でも姜維自身、あまり人材育成には向いてないタイプかもとは思う
たとえ兵力のプールに余裕があったとしても
実戦指揮官を何人も投入して広範囲での作戦行動よりも
手足のごとく鍛え上げた少数精鋭での遊撃を主にしてたっぽいから

そうなると段谷の敗戦が大きな痛手になるんだよね
あれで姜維が手塩に掛けて育てたであろう実戦司令官や
北伐以来の古参兵たちの殆どが討たれたって話だし

やっぱり戦術家はいても大局で国家運営が出来る
政略・戦略家がいなくなってしまったというのが
最終的には命取りになったのかも

322 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 21:09:01
>>315
軍の中堅どころは敗軍の将であり、功績を立てる機会もなかったのだから
名前が残らないのも仕方がないだろう。
ただ晋書や華陽国志をよめば、有為な人材は結構いるよ。
280年の呉の平定戦で活躍してたりね。

323 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 21:22:17
>>320
伝が立たない理由はわかったが、
しかし、諸葛亮世代の次の世代の文武官で、
蜀時代に活躍した記録のある人物がほとんどいないのは、
やはりこの世代の層が薄かったからではないか?

>>322
功績を立てる機会なら、文官なら政治の実務や議論で、
武官なら反乱鎮圧や地方鎮撫や姜維の北伐などで十分にあったはず。
名前が残ってないのは、それに値する活躍をした人物がいないからではないかと思う。
蜀にいた時代に功績を挙げてて、晋につかえてからも功績を挙げた、
晋書や華陽国志に載っている人物がいたら是非教えてほしい。
呉の平定戦で活躍した蜀の旧臣とかいたら嬉しい。

324 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 21:26:50
>>323
「諸葛亮の次の世代の文武官」ってのは、結構高い確率で蜀滅亡まで生きている世代だよ。
姜維が筆頭。
逆に、滅亡前に死んだ人間は立伝もされているし、記述も多い。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 21:55:17
蜀は北伐を繰り返してきたんだから
他国より実戦経験豊富な人材がいっぱいいると思うんだけどね。


326 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:37:13
ハード面の国力、戦力は北伐連打と段谷でジリ貧
ソフト面の指導力は黄皓、諸葛瞻、董厥、樊建のおかげでgdgd
技術力に関しては蜀が最後まで一番なんじゃないかなとは思うが

これでは人材がいても滅ぶ、ということはいなかったのと同じことではないの。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:42:24
>>321
そういう連中の存在と支持が
姜維の発言力の源泉でもあったんだろうね

328 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:45:09
>>323
ああ、誤解させてすまんかった。
俺が言いたかった「諸葛亮の次の世代」というのは、
「諸葛亮の時代の次の世代」。
つまり、諸葛亮に抜擢された連中の次の世代のことだわ。
姜維の次の世代だな。蜀末期の国の屋台骨を担っていたはずの
この世代の人物の記録がやけに少ないことが気になって仕方がない。

329 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:50:09
そういや段谷で死んだ主な武将について
具体的な名前はあります?
でも、考えてみれば赤壁だってあれだけの大敗北にも関わらず
曹操軍の主だった武将は全員生還してるんだよね

330 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:55:24
赤壁で死んだのは劉表系の人間だったんじゃないかな
それだとしても規模だけなら呉より上だろうし

331 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:56:17
>>326
まぁ、末期は挙国一致とは言い難い状況であったことは確か
もう姜維を排斥して引きこもるか
逆に姜維がクーデターでも起こして実権を掌握するか…
陳シがいたころは彼が宮廷を押さえててくれたわけだけど

そう考えると段谷以降の姜維の行動は
自らの影響力を高めるため、疲弊を度外視しての行為にも思える
とにかく一戦でもいいから勝利を、結果を…みたいな

でもそれは成都に見透かされてて、実際の蜀征伐の際
救援要請を握りつぶされることに繋がったのかなと

332 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 22:59:58
>>328
それだとなおさら蜀滅亡直撃世代じゃないか。
しかも、当時30-40代では記録が記されるような地位まで昇りようがない。
人の功績というのは、死んだとき、または退官したときの収支勘定で決まる。
最終的に高官となり、大きな功績を立てたと認められた人物だからこそ、
まとまった記録が編纂され、その若い頃に遡って、「こんな活躍もしてました」と書かれる。
幅広い世代の記述が少しづつずれながら重層的に書き記されることで、短い一時代の様相がやっといくらか立体的に見えて来る。
若い世代が高官に昇る前に国が滅びると、これがぶつ切りにされてしまう。

これと>>320が、亡国に「若い人材が育っていない」「小粒な人材しかいない」ように見える大きな理由。
もちろん、一般論として、有能な人材が出世するシステムが麻痺したから国が滅んだ、というのは大いにあり得るけどね。
個別の国々に適用されるかどうかはまた別の話。

333 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 23:12:23
>>328
その世代的空白を埋めるのは親の権力基盤を受け継ぐ
二世・三世武将たちなんだけど
彼らが2国に比べてことごとく早世、あるいは能力不足だったというのも
人材払底の原因かも
諸葛瞻にしても本来なら姜維と共に戦ってなければならない立場だしねぇ

諸葛恪や陸抗・丁封・鐘会・陳泰・賈充らに比べると…

334 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 23:17:46
諸葛瞻はアレだ…いつまで経っても監督になれそうにない
国民栄誉賞の人みたいな立場だったんじゃないのか?

335 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 00:09:12
タイヤ、エンジン、ホイールは優秀でも
ステアリングが微妙だったみたいな

336 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 00:33:51
ヘタに役職に就けるとボロが出たとき
経歴に傷がつくってやつでしょ

337 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 00:38:52
>>333
× 鐘会
○ 鍾会

なんだってよ。俺も今までそっちだと思ってたが

338 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 14:38:09
>>333
世襲による権力の移譲がスムーズにいかなかったのは
夷陵で荊州以来の旗本・譜代たちがほぼ全滅したのも大きいかもね

339 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/08(土) 00:32:02
羅憲が推薦した人達って、蜀時代は冷や飯?
それとも単に若造だから出番無し?

340 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/08(土) 01:32:18
羅憲が閻宇に拾われたいきさつを考えると冷や飯組じゃないかな

341 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/08(土) 04:33:11
>>333
そもそも受け継ぐべき基盤が荊州出身者にはないんじゃ…

342 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/08(土) 12:53:41
>>340
羅憲は太子舎人〜中庶子〜尚書吏部郎〜宣信校尉なんだから、中堅エリート官僚。
地方に左遷されたのは冷や飯と言えるけど、中央に残っていても高位高官ではなかった。
>>339
なので、冷や飯以前に若手〜中堅だから活躍する場がなかったんだと思う。

羅憲が推薦したのは常忌・杜軫・寿良・陳寿・高軌・呂雅・許国・費恭・諸葛京・陳裕。
三国志や華陽国志などから、彼らの蜀末の官職を書きだすと、

常忌(謁者、黄門侍郎、長水参軍、什邡県令、雒県令。父の常閎は漢中、廣漢太守)
杜軫(蜀郡功曹。譙周の弟子。父の杜雄は安漢、雒の県令)
寿良(州従事,散騎、黄門侍郎。父祖二代が犍為太守)
陳寿(観閣令史。黄皓におもねらず罷免)
高軌(不明。高翔あたりの子孫か?)
呂雅(謁者。呂乂の子)
許国(不明。本籍が南陽なので、許慈の子孫か?)
費恭(費イの次子。嫁は皇族。年齢的にも要職にはなかったのでは?)
諸葛京(諸葛尚の弟。蜀末にはおそらくまだ10代)
陳裕(陳シの次子。黄門侍郎)

343 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 23:18:32
こういうスレって急に人が消えるよな

344 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 00:00:41
あげるか。

議題は閻宇の右大将軍が、右将軍のバージョンアップ版なのか、
車騎将軍が左右に分かれて設置されたように、
大将軍も実は左右に分かれて設置されてて、
そのうちの右大将軍なのか。

345 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 11:03:04
大将軍を左右に分かれて設置のような気瓦斯

346 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 11:52:25
てことは、姜維は左大将軍?最初は単独で大将軍だったのに降格だな。

347 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 19:00:38
そういや昔むじんさんのトコでこの件について見た事あるな。

衛将軍(諸葛瞻)だけはノータッチだったのかな?

348 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 20:09:54
呉側の史料で右将軍とされているものがあるから、右将軍に大を加えた者でいいだろう。

××大将軍や××左(右)将軍を省略して××将軍と書かれることはあるし、
それと思しき左右(大)将軍の例は後漢初期にある。

が、大将軍や驃騎・車騎将軍の左右分割を「左将軍」「右将軍」と省略してしまったら意味が通らない。

閻宇が、右将軍 → 左右分割大将軍 と昇進した可能性は残るが、
衛将軍諸葛瞻より高位と考えられる左右分割大将軍を漢中に派遣してしまったら、
漢中府の軍閥化解消という目的が徹底を欠くし、閻宇が左右車騎と衛将軍を越える格の持主だったとは
考え難い。

349 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/17(木) 01:04:14
閻宇はライ降都督から永安都督だから、諸大将軍でもおかしくない格。
しかし、永安都督に大将軍はいくらなんでも格が高すぎ。
右将軍の大将軍と考えれば、永安都督としてはまあ妥当な格だな。

106 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)