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孔明を冷静に評価するスレ★2

1 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:03:09
小説などの影響で過剰に評価される孔明を冷静に評価しなおすスレです。

曹操 劉備 シュウユ カンウ キョウイ ソンサク

などと比べると孔明は何もしてないように思うのだが。どうだろう。

※前スレ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1265717411/

2 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:13:28
>>1訂正

司馬懿を冷静に評価するスレ

(陳の)小説、無双、アンチ孔明などの影響で過剰に評価される司馬懿を冷静に評価しなおすスレです。

曹操 劉備 孫策 周瑜 諸葛亮 陸遜 

などと比べると司馬懿はこれといった偉業は全くないように思うのだが。どうだろう。

3 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:16:52
私は平成生まれなので、
よく噂されている、岡田有希子さんの遺体の画像を見ていない。
だから、私は岡田有希子さんはまだこの世に生きていると信じています。
きっと、亡くなったのはマネージャーさん。
岡田有希子さんは、どこかできっと、生きている。

4 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:26:56
司馬懿が死ぬときに、王凌と賈逵の悪霊に悩まされたらしいけど、王凌はわかるけど、
司馬懿は賈逵に何をしたんだ?

5 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:31:03
司馬懿の能力値(正史)

知力 80 政治 75 統率 70 武力 75 魅力50(名家補正+20)
マスクデータ 義理 0 勇猛 0 冷静 100

特技 引きこもり、虐殺、首曲げ、呆け演技、不意打ち、利権誘導

こんなとこだろw

曹丕、曹真からあれだけ世話になっておきながら、子孫へのあの扱いは、人としてヤバすぎw

6 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:46:55
>>2

さて、司馬懿のヘタレっぷりを語り合おうぜ

7 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:50:57
>>5
曹真はデブだから同情に値しないが曹丕に対してはあんまりだよな

8 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:54:37
簒奪者司馬懿

9 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/25(木) 23:57:14
孔明と互角に渡り合ったとか過大評価されすぎだろ。
実際は圧倒的な魏のバックアップがあったからそう見えただけ。
人材不足の小国:蜀で、実質孔明一人にビビって敗戦・篭城の繰り返し。
こんなやつが知力98前後なわけがない。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 00:01:17
曹爽を殺すのは分かるが、その兄弟ですら、いきすぎと思うのに、
三族皆殺しってのは、明らかにビビリwwww

曹真はこいつを冷遇したはずもなく、むしろ、重用されたと言ってもいいのに
人として、サイテーに近い

11 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 00:04:07
渦中の司馬懿出て来いや!

12 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 00:06:58
人々は諺を作り「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」と言った。
ある人がこの話を司馬懿に報告すると、司馬懿は「生者を相手にする事はできるが、死者を相手にするのは苦手だ」と言った。


この一言、相当動揺しながら言ってるよなw

13 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 00:11:08
待て あわてるな |
これは孔明の 罠だ|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)/
  /| ̄ ̄ ̄7T>、
  /||   ||//\
 ||| ヘ ||/ク|
 |||/△\|||⊂)
  レ二二o二二二\|
  Y__ ″___Y\/
  |丶・> ィ・フ ||ヘ
  |⌒|  ⌒i||(|
  | /ー 丶 U||イ
  | ∧二二丶 ノ∧
 /丶リ_ww_リ///の\
/||((⌒川⌒))//_ノ/z
彑||ノ~‖V‖~//(の/彑
彑||の‖ ‖//の)/彑z
彑|| ノ()丶()/_ノ/彑彑
彑丶(の丶//(の/彑彑/


14 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 00:16:58
天地開闢 日月重光
遭遇際会 畢力選方
将掃穢甫 還過故郷
肅清万里 総斉八荒
告成帰老 待罪武陽

これがあのポエムかww
一行目は、当時の人なら、熟語憶えたての子供でも思いつきそうだなw

15 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 01:02:14
こんなところに司馬懿の詩が!
天地開闢 日月重光
遭遇際会 畢力選方
将掃穢甫 還過故郷
肅清万里 総斉八荒
告成帰老 待罪武陽


                     ミチャダメー
  (´フ`)              (゚Д゚) ──
 □ー               =│  ──
   ハ                ┌┴┘<司馬懿

16 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 01:05:54
私は平成生まれなので、
よく噂されている、岡田有希子さんの遺体の画像を見ていない。
だから、私は岡田有希子さんはまだこの世に生きていると信じています。
きっと、亡くなったのはマネージャーさん。
岡田有希子さんは、どこかできっと、生きている。


17 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 01:25:22
             ,、,.、
            r1 | ! /7、
               Y;ニ-=ミ'、,!
             i!'”;、” K'   ←木像
             ゝ'二,,ノ'
           ,ィ'二ミヽ`"、|,y'7r/7ri,r')、
         /     r'Y^V // / / / /7

   /⌒ヽ⌒ヽ      
  .  ν.. ,Y,.  . 
 .  υ  八υ ヽ
(. ., ,,._/´Д`;ヽ,.,.)                
 丶!  υ 八.  !/     
 /.   .ν /:::\
/  司馬懿.  . /::::::::::|

「私は生まれつきチキンなので、
 よく噂されている、諸葛亮さんの遺体の画像を見ていない。
 だから、私は諸葛亮さんはまだこの世に生きていると信じています。
 きっと、亡くなったのは魏延さん。
 諸葛亮さんは、どこかできっと、生きている。」


    /::::i::::、:::ヽ、:::\:ヽ:\::ヽ:、:ヽ:、:',    早  駄
    /::i|::l::ト、ヽ::、:ヽ:、:::::\::ヽ::l:ヽ:i::i:::!    く   目
   /:/:!:::!:|::ヽ:\ヽ:::、:\::ヽ:ヽ!:::i::|:::!::!   な  だ
   !ハ::|::::i::l:|心、:ヽ::\:ヽ_\、\:ヽ:|!:|:|i.  ん
    i、:!:|:、N{、ヒjヽゝ\ヾイ ヒj >、ヽi:、:|:l:   と   こ
     ヽ:!::トヽ ̄ l! `  ` ̄´ |::l::|:|j:,!:!  か  い
      ト、::! u         j |::/lj:::!リ  し  つ
        ヾ、  丶 -    u リイ:|リ   な   :
        リヽ ‐、ー- 、_   /イ:::i    い  :
       rー'"ト:l゙、   ̄   ./  , |::!    と   :
      / ヘ ヾ ヽ、 _,. '   / |:'  

18 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 01:36:35
             ,、,.、
            r1 | ! /7、
               Y;ニ-=ミ'、,!
             i!'”;、” K'   ←木像
             ゝ'二,,ノ'
           ,ィ'二ミヽ`"、|,y'7r/7ri,r')、
         /     r'Y^V // / / / /7

   /⌒ヽ⌒ヽ      
  .  ν.. ,Y,.  . 
 .  υ  八υ ヽ
(. ., ,,._/´Д`;ヽ,.,.)  < ひいぃぃぃ!!              
 丶!  υ 八.  !/     
 /.   .ν /:::\
/  司馬懿.  . /::::::::::|

19 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 01:38:09
977 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/08/08(金) 08:59:23
横山厨きめぇな…
だいたい蒼天航路が本当に糞だと思ってるのなら話題にも出さないだろ
こうやって必死に貶してるあたり蒼天航路をかなり意識してるんだろうなw
まあ蒼天航路はこれからの三国志のスタンダードだし、
時代に取り残されたオッサンどもは黴臭い横山三国志でも読みながら必死に蒼天航路否定してれば?
そう遠くない未来に横山三国志なんてお前ら以外の人間の記憶からは完全に消え去るだろうしw
大三国志展とかで創価学会にでも媚売ってせいぜい生きながらえてくださいねw
無駄なあがきだろうけどw


20 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 01:51:30
司馬懿をこういう視点で今まで論議されることが少ないことじたい不思議

21 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:03:12
まるで孔明相手にまともな立ち回りができなかった鬱憤を晴らすかのように
遼東で大虐殺を行ったよなw
なんせ内に怒りを秘めながら表に出さない性格(要するにヘタレ)だったらしいから
孔明存命中はよっぽどストレスがたまっていたに違いない

22 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:15:10
どこかれ構わず怒りを発するのは匹夫の勇だが、司馬懿の場合は君子だからじゃないのか。悉を殺すなんて大計を秘めているなら司馬懿のように振る舞うしかない。
匹夫が天下取りをしようとした陳勝の如く馬鹿なら突然怒りだそうと別だが。
当時の宮廷の気質や政治の現実からしても、貴族らしく振る舞ったというのは理外でもなく。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:20:49
司馬懿の対呉戦ってどうなんだ?
話題にのぼることがほとんど無いようだが

24 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:29:50
関羽よりは勝ってるから心配するな

25 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:33:40
司馬懿の闘争は、武列から始まる曹一族に対する怨恨というよりは、魏政権の草創期から最盛期までを知る社稷の臣たる自尊心があったからで、
曹爽、何晏への仕打ちは世代間抗争の様相も見える。司馬懿にしてみれば功業の功績があるのに、若造達に譲るところはない、というもので、旧来の序列を排しようとした曹爽はリトル改革者であり、司馬懿は大きな力を背負っていたと思う。

対呉戦というよりは、蜀の抑えという感じがある。対蜀で別動隊を率いて乱の芽を摘むというぐらいかな。呉よりも蜀の方が好戦的だし孔明は戦上手と来ているし、北伐を抑えれないと漢川上流から長江への進攻も無理だし、呉は圧倒的兵力差がないと無理かと。

26 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:37:29
公孫淵は被害者。
弱い物イジメ大好きの司馬懿。
ここでポイント稼いでおこうと思ってたに違いない。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:40:40
蜀の場合は、放っておくと西方域の涼州が不安定になるという危険性があるから。
結局、魏が南下するためには西方域の安定が不可欠で、一方で呉には魏の防衛線を抜いて都に迫るだけの国力は無かったから、防衛線さえ崩さなければ問題なし。

・・・って言うか、ここ芝居スレ?

諸葛亮は、張子房よりも商家タイプだよね、前漢三傑で言うと。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:41:53
>>27
ここ芝居スレだよ。
>>2四で。

29 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:43:43
還暦間際の老人を、対蜀戦線から呼び戻して燕討伐に向かわせたのは、他ならぬ曹叡なんだから
・・・ポイント稼ぎは無いだろう。

あの当時では、魏ではもっともポイントゲットしている古強者だし。

30 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:50:21
司馬懿が最も高い功労者とは、魏もショボイよな
人材豊富なぶん役回りも分担してて楽できたんだろうな


31 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:52:42
司馬懿より長生きできた功労者が同世代に居ないんだよ、これが。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 02:55:33
ほどほどに功績を残しておけば、あとは長生きしたもん勝ち。
これが司馬懿のモットーだからねw

33 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 03:00:00
あの時代に長生きできるって言うのは
単なる寿命だけの問題じゃなくて、粛清を免れる必要性があるからなぁ。
才覚は必要なんだよ。

対蜀戦線で前線に赴いている間、宮廷内の闘争で消されないように工作しておく必要もあるし、したたかさがないと長生きできない。
劉子楊ですら、生をまっとう出来なかったんだから。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 03:02:52
劉禅は優秀だな

35 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 03:05:21
世界初の
『君臨するとも統治せず』を行った皇帝陛下ですね。

36 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 03:06:28
ある意味、始皇帝。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 03:29:01
776:1 02/24(水) 18:20
>いや、俺はこのスレほとんど書き込んでないよ。
>前からそうだけど。スレが普通に伸びてる時は放置して見物だけしてる。
>しかし前から孔明スレを立ててるんだが。この板の住人入れ代わった感じするな。
>幼くなった。多分ゲームとかで新しく三国志知った人らが入ってきたんだろうけど。

前スレの1の名言貼っておきますね^^

38 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 08:07:32
>>1>>37
前スレ、今スレの1のあだ名は曹操患者ネット右翼スレで「生姜」って決定したらしいよ

39 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 08:11:09
てs

40 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 08:27:34
あの時代に長生きできるって言うのは
単なる寿命だけの問題じゃなくて、粛清を免れる必要性があるからなぁ。
才覚は必要なんだよ。

対蜀戦線で前線に赴いている間、宮廷内の闘争で消されないように工作しておく必要もあるし、したたかさがないと長生きできない。
劉子楊ですら、生をまっとう出来なかったんだから。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 10:20:30
司馬懿さんは孟達と公孫淵と王凌以外に侵攻戦で戦果ある?
防衛線は朱然相手に得意の籠城で撤退させたけど

42 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 11:39:40
>>4
王凌と賈逵、楊修は同僚だった(by魏略)。
で、王凌が司馬懿に降伏して護送される途中で、賈逵の廟の前を通りかかった際に、
「梁道殿、私は元来魏に忠実な男。貴殿ならおわかりのはず。」という趣旨の叫びを残した。
この意図するところは
「魏を簒奪しようとする仲達に(私と同じく魏の忠臣であり、今や廟に祀られている貴殿の手で)鉄槌を!」
ということだったらしい。
こういう流れから、枕元にこの二人が立って「うらめしや〜」とやったことになったみたいね。

43 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 11:51:13
>>37
すげーな
まともに議論に参加すらできないお子ちゃま自身が他人を幼児呼ばわりかw

44 : ◆hyde.6O83Q :2010/02/26(金) 16:25:00
司馬遼太郎か
司馬懿太郎か
しばいたろうか?

45 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 18:33:29
四国各県における対立図

    【韓国】──→─→─→┐
      └→(竹島)      └→(洗脳)
          ↑            ↓
        【島根】←(乗っ取り)←【鳥取】
 ┌→【山口】∧∧∧山陰と山陽の壁∧∧∧
(仲良し)   【広島】←(敵対)→【岡山(笑)】
 ↓       ↑          ↑
【福岡】    (仲良し)     (仲良し)
          ↓          ↓    ┌→【関西】
         【愛媛】←(敵対)→【香川】 (仲間) ↓
                      ↑    ↑ (知らん)
            【高知】    (敵対)→【徳島】←┘

46 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 18:50:28
>>45
日本語読めずに適当に何でも貼るなよ

47 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 19:21:55
>>41
司馬懿さんは孟達と公孫淵と王凌以外に侵攻戦で戦果ある?

いや、それで充分だと思うが。
これを確実に超えているのは、曹操、孫策、呂蒙クラスだよ。

48 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 19:28:44
進行戦→孟達・公孫淵・王凌
防衛戦闘→朱然・諸葛亮

って事かい?凄いじゃないか
他にもまだ何かある?

49 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 19:29:09
>>41

あの当時、魏で目端の利くものはみんな『外征は失敗に終わります』って言ってるし、
外征を主導しなかったこと自体はしょうがないんじゃね?

ただ、防衛戦と国内反乱の鎮圧では、東西南北転戦している歴戦の古強者

50 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 19:30:18
もっと貼ってやろうか

51 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 19:51:02
攻めるのは守りの3倍難しい。
守りが出来ただけでは大した事ない。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 19:56:53
用兵、政治、政争
多才だね。頭の基本スペックが高いからなんだろうな
詩のような芸術的感性が必要なのは苦手みたいだが

53 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 20:00:37
>>51

正確に言えば
『絶対に負けない戦は出来るが、絶対に勝てる戦は出来ない』
孫子の意訳だけどな。

でも、守りだけじゃなくて、孟達の時の電撃戦とか見れば、攻めも凡将じゃ無いよ

54 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 20:23:43
凡将に毛が生えたぐらい

55 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 20:32:41
>>52

そこまで備わっていたら、曹魏4代に忠誠は尽くさないだろ。
・・・・曹操に勝てる。

56 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 20:40:29
用兵=そこそこ
政治=微妙
政争=微妙

57 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 21:14:34
なんかこのスレ、意外に上の年齢層の人多い?
自分は昭和60年代生まれで幼少期にバブル時代を過ごした世代なんだけど、リアルタイムでは80年代は全く記憶にないかな。
物心ついたのが90年代初頭だから全くの後追い世代。

ただ当時はほんとにカラオケブームだったよね。
子供ながらにもそれは実感してた。
当時は誰かと食事したらその次いでにカラオケっていうノリだった。
だから90年代の音楽は良くも悪くもカラオケブームに乗っかってたんだよね。
ただ、個人的にはやっぱり90年代でも前半と後半で全然違う印象だな。
90年代後半以降の音楽シーンにはやっぱり良い印象を持てない。
特に98年から本格的に今の流れに近づいた感じがする。

58 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 21:15:38
司馬懿って成功したロンメルみたいな感じ

59 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 21:18:32
>>57

60 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 21:28:11
ほっとけよ。
孔明について皆がレスしないからカタカナ大好きくんが荒らしてんだよ。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 21:40:16
こいつは昔から「返事も反論もしないのは効率的に情報を得るための手段」とか言いつつ
過疎ってくると自分語りを始めるレス乞食だからな。
さみしいんだろ。

62 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 21:45:41
生姜君に構わずこれからも司馬懿について語りませう

63 :前スレ1:2010/02/26(金) 21:51:13
ん?俺はこのスレには多分もう書き込まないと思うよ。
建てたのも俺じゃないし。なんか俺の手を離れた感じするし。

今はもっと別のスレを建てようと考えてる所。2つぐらい建てたいスレが
あるんだが。そのスレの題材の史料があまりないから建てられないんだよね。

64 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 22:13:57
>>63
史料が無いも何も前スレではお前は「スレ立てたらほとんど書き込みしてない」とかいってなかったか?
それなら史料いらんだろ
毎度毎度>>1の内容に知識が書いてあるわけでもなし

65 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 22:21:37
そんなに(前)1に新スレ立てて欲しいのか

66 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 22:22:57
立ててほしくはない
どうせいつもと同じ事の繰り返しだろうし

67 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 22:24:02
同じ事の繰り返しが生姜クオリティ

68 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 23:20:41
辛味があるね

69 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/26(金) 23:45:56
栄養はない

70 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 00:00:36
ジカイカラカタカナダイスキクンガタテタスレハゼンブカタカナデレスシナイ?

71 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 00:06:15
>>70
漢字の史料が揃わなかったんだろ

72 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 00:09:41
>>71
            __,.-----.,___
          r'~:::::_,,,_:::::::::::::::ヽ
          |:::r'~  ~"""''-、::|        ┌───────────┐
          |;;| ,へ、  ,.ヘ、.|::|       │そんな れすに まじに   │
         r'レ'  .・ .::::::. ・  .'y^i       │なっちゃって どうするの  │
         ゝ'、   '、___,'.  ,;'-'        └───────────┘
           '、  ----  .,;'                                 、
            ';、     .,;'                                .!~二~7
              ̄ ̄ ̄                                  _7^[_,i

73 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 00:18:43
>>72
黙れよ生姜

74 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 03:23:26
こいつ、意外に政治家として活躍はないんだな
武将としてなら、張コウの方が功績も戦歴も多く、活躍しているのに

なんで、張コウの上司になっているんだw
これも、名家と曹ヒの引き立てなんだろうな

張コウはこいつに、兵法の基本で反論しているし、こいつの電撃攻撃などの指揮に
かなりの危うさを感じていたのだろうし、相当、不満がたまっていたんだろう

結果、それは破綻まで至らず、司馬懿は名を成したけど、
その戦歴の犠牲になった張コウは、相当に無念だったろうな

しかも、晋書の記述を見ると、こいつ、大本営発表で張コウの死を相殺した可能性が高いし

張コウ・・・(´;ω;`)

75 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 04:14:23
夏侯淵と張コウを見捨てて上り詰めた郭淮もなかなかのもんや、

76 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 17:32:45
【お前が】生姜たんファンスレ【言うな】
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1267254676/

>>1のファンスレができたらしい

77 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:10:56
前スレ後半から司馬懿叩きが凄いな
ちょっと、冷静になろうや

司馬懿は晋朝の太祖だから晋書での美化は当然の起こりで、仕方がない
司馬懿に責任はないのだから宣帝紀の美化ぶりへの反発を司馬懿本人にぶつけるのはおかしい
それを冷静とは言わない

俺は司馬懿は人並み外れて優れていると思う
将軍としての司馬懿は麾下の軍を強軍とするため
戦略上における機動力に着目し、麾下を鍛えた
それは宣帝紀の第四次の時の「吾得二日兼行足矣」の発言を見れば窺い知れる
これをみても司馬懿はタダ者ではない

昨日の五輪、女子フィギュアスケートで金メダルを取ったキム・ヨナはフリーだけで150点取った
一方、16位の選手はショート・フリー合計で151.9点だった
合計で151.9点しか取れなかった16位の選手は雑魚っぽいが、
国内では彼女はトップ3に入る人間なんだ
決して雑魚などではない

諸葛亮を前に凡人のようだった司馬懿だったが
司馬懿が雑魚なのではない 諸葛亮が凄すぎるんだ
司馬懿単独で見れば非常に優秀


司馬懿は諸葛亮のライバルとして語られる
それが問題なんだ
だから司馬懿は叩かれる

司馬懿と諸葛亮はライバルなんかではない
それが冷静な答え

78 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:18:19
ちなみに11位まで150点台だった

79 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:19:05
司馬懿をバカにすることは諸葛亮をバカにする事でもあるよな
実際に諸葛亮もバカだと思って言ってるのかもしれんが

80 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:19:59
故に1が欲していた冷静な答えは・・・孔明は凄すぎるってことだ。
生姜理解できたか?

司馬懿は軍略・政治の面でも孔明に劣っている。

張コウの上司になれたのは、黄皓に毛が生えたようなもので
曹丕以降から媚売りが上手かっただけ。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:22:44



司馬懿が孔明の侵攻を防げたのは、蜀側のダラシナイ部下のミスと
魏の圧倒的国力差というメリットがあったからなだけ。





82 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:37:35
>>79
凡将が防衛戦で守りに入ったら突破できないくらい兵力差がある敵国に、
寡兵でわざわざ遠征しにいくなんて諸葛亮は世紀の愚将。

と言ってるってことだからなあ

83 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 21:55:04
>>82
別にそんな事はないんじゃないか
逆にその状態でも孔明に好き放題やられてるって
魏は舐められすぎだろって話になる

84 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:03:16
冷静にこんなところかw

司馬懿の能力値(正史)

知力 90 政治 75 統率 70 武力 75 魅力50(名家補正+20)
マスクデータ 義理 0 勇猛 0 冷静 100 野望70

特技 引きこもり、虐殺、首曲げ、呆け演技、不意打ち、利権誘導

諸葛亮の能力値(正史)

知力 85 政治100 統率 95 武力 60 魅力85
マスクデータ 義理100 勇猛 60 冷静 80 野望50

特技 折衝、推薦、法政、徴収、軍政、補給、戦意口上、陽動、挑発

司馬懿は、曹操の遷都を防いだことと蜀攻めを進言したという功績があるから
知力だけは、孔明より上にした

司馬懿信者は、マスクデータと人格から来る権道マンセーの結果に過ぎない事象を
「司馬懿はとても、クレイバー。三国志一の知謀で勝利者!!」と曲解しているだけに過ぎんよ

孔明は中国歴史全体でも、これほどの宰相を見つけるのは難しいレベル
楽毅、管仲と同等クラスの英雄

司馬懿は、まあ、戦争がうまいだけの権臣の部類? それを除いたら、王モウや後漢の宦官や外戚と変わらんw
普通に王朝を開いていたら、代替がいつでもきく存在として、国に重鎮になるんだろ

マスクデータの内容を見抜けなかったのが、魏にとって不運だったがw

85 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:06:26
好き放題ってどんなこと?

魏の主力の戦場到着後、諸葛亮はこれを野戦で破ったことはあるが、
それ以上前進できたことはないし、周辺地域を落としたわけでもない。
四次では野戦で大勝してから一ヶ月程、五次では半年以上対陣しているのに。
>>81の如き解釈では
「自分より圧倒的な大軍が来るのが判ってるのに、行って阻まれて帰ってきただけ」
そもそも戦略策定で失敗してることになる。

86 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:12:11
つまりどちらもたいしたことない凡人という結論
生姜大喜び

87 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:13:05
野戦で勝って戦利品ゲット
敵地の麦も大量に刈り取り
魏延を奥地まで派遣して煽動工作と物資・人員移住させて凱旋させてる
引き返す時には追撃軍の大将まで討ち取り
李厳が変な事やらかしたから帰還しただけで
4次はずっと諸葛亮の独壇場

88 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:13:47
>>86
少なくとも諸葛亮のが上でFA

89 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:14:31
第五次は郭淮いなかったらヤバかったんじゃね?

90 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:16:03
司馬懿信者の断末魔が聞こえる

91 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:18:33
戦略ミスというより、魏のあれだけ圧倒的大軍があるなら、
司馬懿が出てくるだろうと思ったのだろう
実際でてきたら、うち破っている

ただ、司馬懿が武人として考えられないほど、チキン過ぎたのと
敗戦や雪辱を果たそうとしようとしない、その卑屈な精神が計算外だったのだろう

現代としては大人の対応と言えるが、孔明が弱将という解釈なら、あるまじき無能



92 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:19:29
>>84
孔明のほうが知力高くしないと冷静とは言えない。

93 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:20:28
司馬懿のチキンぶりからして武力も低いんじゃね?

94 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:21:56
>>84
知力はともかく武力がなんでそんなに高いんだよ司馬懿

95 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:22:44
第4次の撤退は李厳の失敗が原因であって
諸葛亮の想定外だった希ガス
諸葛亮も怒って李厳を更迭してる

96 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:23:52
諸葛亮が怒ったのは李厳が諸葛亮を陥れようとしたからだけどな

97 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:24:52
>>91
戦場で敵将の性格的欠点を突いて勝つなら名将だが、
はじめから敵将の無能に期待して出兵計画を立案する宰相なんてありえんわ…
それなら魏延でも丞相が務まるよ

98 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:25:55
>>97
なんという浅はかな極論しか書けない男よ

99 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:26:53
>>97
そんな魏延じゃあるまいし

100 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:28:16
別に大軍だから魏が出てくるっていうのは無能に期待したわけでもなく自然な事
なんせ魏将達が司馬イをせっついて決戦を引き出したんだから
あれだけの兵力があれば魏は面子にかけても決戦しなきゃならなかった
結果は大敗だったけど

101 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:28:52
なんか「曹操患者」みたいな論法が増えてきたな

好きな人間の能力を賞賛するために敵手を過度に陥れる
失敗の責任を取らせるために部下を過度に無能呼ばわりする
それが結果的に自分の好きな人間をも貶めていることに気づかない
それを指摘されると、俺が中立公正だと喚き始める

みたいな感じだっけ?

102 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:29:38
>>97
諸葛亮の期待通りノコノコ決戦に出てきて大敗した司馬懿は無能でFA

103 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:30:48
>>101
まさに今ここで暴れている司馬懿信者の行動だね
きっと曹操患者と中の人被ってるのかも

104 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:31:46
>>103
司馬懿を擁護している人間は「諸葛亮は名将だった」と言ってるじゃん

105 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:32:38
>>97
実際司馬懿は出てきたんだから期待通りの無能だったんだな
その論法なら

106 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:32:40
>>104
矛盾とかダブルスタンダードってやつ

107 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:33:34
ごめん>>106は無しで。
読み間違えた

108 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:35:13
>>105
その無能相手にその後攻めあぐねてるのはどういうわけ?
五次で守りに入られて攻めあぐねて(略)

109 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:36:25
>>108
>>91

110 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:37:52
5次も別に帰還理由は孔明の死没であって兵糧策は打ってあるから長対陣可能〜

111 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:38:58
女服贈られても出てこない司馬懿

112 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:39:43
>>109
司馬懿が武人だったことはない。
漢魏の制度上、武勇・武名を重んじる武人とは対極の存在。
「中央から派遣されて諸将を制御する監督者」=都督。
司馬懿が武功に逸って出戦して来るだろうと諸葛亮が読んでいたのなら、
人物評価の失敗。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:41:43
>>112
しかし現実には実際に出てきて大敗しましたとさ

114 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:42:10
しかも、孔明が死んだ原因は
やはり魏での戦いが原因というより、
内部統制の激務と魏延からの陰口によるストレスと思われる。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:42:53
四次では諸将の突き上げを食らって。と明記されている。
野戦で負けたが戦略的敗退に至っていない。
五次では守備に徹している。
やっぱり人物評価の失敗。

116 :115:2010/02/27(土) 22:44:13
>やっぱり人物評価の失敗。

>>91の論に従うとしたら、ね。
俺はそんな行き当たりばったりの人間のように諸葛亮を評価してないけど


117 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:45:28
>>115
だから司馬懿は諸将を抑え込めなかったし
大軍の面子にかけても出てくると見たのは正解
諸葛亮としてみれば作戦当たって大成功
5次でも長対陣可能な体制は構築済み
やはり諸葛亮

118 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:47:03
つか魏があれだけの大軍をもってて
諸葛亮相手に攻撃に出ないなんて魏将達もびっくりだろw

119 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:47:08
>>117
二月に出兵して十月に陣没するまで敵陣を崩せなかったのに、年越してどうにかなるわけ?
あとに曹叡が控えているのに?

120 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:48:22
>>93>>94
武力が高いのは、一応、孟達、燕討伐の速攻を評価

しかし、司馬懿は孔明と比べられないほどの名将で、はなばなしい戦果を上げていると言い張る
田中●樹や司馬懿信者どもは、

孟達討伐と二郡獲得、 燕と南蛮、なんで上下をつけられるのだ?
背景となった国力差がダンチなのに?

むしろ、逆の評価の方が納得できるのだが

121 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:49:20
>>119
曹叡は呉の方面行ってたはずじゃ
諸葛亮の挑発をいつまで司馬懿が抑え込めるかの問題な希ガス

122 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:53:41
>>121
孫権は遅くとも秋のうちには既に兵を退いてるから。

蜀が動員限界振り絞ってるのに対して、魏の国力は動員を掛ければどんどん集まってくる。
敵領土、特に五次で関中を直接侵攻した以上、蜀がアドバンテージを取れるのは短期間だけなんだよ。
兵站問題が無くともこれはどうしようもない。まさに時間の問題だ。


123 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:58:45
呉から都に曹叡が帰ってくるまでどのぐらいの移動期間がかかるんだろう

124 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 22:59:59
>>122
孫権は退いたけど呉をはばかって曹叡はそのまま対呉防衛ラインにとどまってる
これでさらに向けるのは無理

125 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:04:29
合肥から宝鶏まで現在の道路で1200キロ。一日20キロだと60日。
もっとも
・当然その数字通りには行軍できない
・曹叡は合肥まで行ってない
・孫権が撤退したと判れば曹叡が急いで戻らずとも洛陽から予備兵力を西へ回せる
などの不確定要素が付く。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:07:13
>>124
曹叡は八月末には許昌まで戻ってきてるよ

127 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:09:48
それでも司馬懿は何も出来なかった

128 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:12:47
>>120
田中以外にも三国志関連書を出して
諸葛亮より司馬懿の方が上と言っている専門家はいるが
いつもなんでそうなるのか意味分からんのだよな
深く考えずただ単に「諸葛亮=三国志の中で一番の戦下手」だから
無条件で誰と比べても諸葛亮の方が下になる、って考えなのだろうか

129 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:14:16
孔明を戦下手と言えば意外性で皆注目してくれると思ってるんだろ
かまってチャンなんだよ

130 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:18:44
>>115
>>91に加えて、>>87

五次は、洛陽から予備兵力を回してくるのを待つのが狙い
兵力が増えれば増えるほど魏のコストは上がり、
魏が大軍のメンツにかけて、出てこなくならざるを得なくなる

出てこなくとも、魏のコスト増大と兵の意気を落とし、追撃に来た武将を破る
出てきたら、こちらの狙い通り

病死したから、うまくはいかなかったが、
司馬懿は孔明死後の蜀の内紛につけいることもできないほど、ビビりまくって、
追撃さえもできないでいた。孔明の狙い通りに事は進んでいる。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:19:03
諸葛亮を「戦下手」「戦上手」みたいな小さなスケールで判断すること事態腹が立つ
戦場の指揮や知略なんざ将帥の二番以下の条件でしかないだろうに

132 :131:2010/02/27(土) 23:20:55
だから>>130のような奴にも同様に腹が立つ。
寡兵を以って大軍を破ることを期待して数万の将兵を動かし遠征するとか
諸葛亮を兵法の初歩も知らんような蛮人扱いしてるんだよあんたは。



133 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:23:32
どう考えても司馬懿<諸葛亮
だから、
司馬懿の評価が上がると同時に諸葛亮の評価も上がる

134 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:27:13
>>132
>寡兵を以って大軍を破ることを期待して

実際に第4次で勝っているが?
わざわざ女物の服を贈って挑発しているが?
長滞陣して、魏の兵力を増えるのを覚悟で残っているが?
八陣や新兵器、軍制など正面攻撃で勝つための準備は山ほどしているが?

何がおかしい?
後世の評価で、曹操よりはるかに高い名将としての地位を得た孔明には、ちゃんと根拠が
あったはず。十分、期待できる。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:28:37
>後世の評価で、曹操よりはるかに高い名将としての地位を得た孔明には、ちゃんと根拠が

そんなこと言うから演義脳だとか馬鹿にされるんだよ

136 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:38:26
>>134
そもそも蜀漢は当面の魏戦力に対してそれほど劣勢じゃない。
呉との連携や、戦場を隴西に選ぶことで互角以上の勝負ができた。
小国の蜀漢を運営して、それだけの質量的優位を構築し、戦場に投入することが出来た。
それが、戦場の強さなんて小手先のテクニックではない、諸葛亮の真の能力。

一方の魏には、総国力の大にも関わらず、
辺境部の不安定による兵力確保の困難を劇的に改善することが出来る
スケールの大きな都督や宰相がいなかった。
だから司馬懿どころか郭淮・陳泰の時代まで兵力確保と集中に苦労し、
兵糧不足さえ起きた。だから彼らの功績には「戦場の知略」が目立つ。
それ以外には選択の余地が無かったから。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:42:23
>>135
李衛公問対の評価を知らんのか? 
それに、唐代の良将十哲に選ばれているぞ(当時は講談はないw)
白起、韓信、諸葛亮、李靖、李勣、張良、田穰苴、孫武、呉起、楽毅

これだけで曹操よりはるかに高いは言い過ぎかもしれんが、
正面攻撃で十分、勝てることを期待してもおかしくない

138 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:43:35
曹操は魏太祖武皇帝だから名将に入らないのは当たり前。
不敬だろ

139 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:44:39
>>132 >>136
過去に立てられた「諸葛亮が司馬懿に勝っている部分が一つも見当たらない」ってスレでも
そんな話になったな。ちょっとレスをひっぱってきてみる

140 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:45:34
768 :無名武将@お腹せっぷく:2009/10/23(金) 00:48:28
>迎撃も追撃もできないほどの圧倒的劣勢だって?
やってるだろ。それが失敗したことをもって755などは諸葛亮の方を有能だと言ってる。
しかし野戦や追撃について諸論が分かれる程度の戦力しか司馬懿が持っていなかったと示す
記述は複数ある。
張コウなどは四次北伐で諸葛亮と直接対陣すること自体を諌めている。
陳泰の時代に至るまで、蜀の大動員に対して魏が隴西で勝敗を争うというのはそういう危険を
伴うものだったんだよ。
曹真・司馬懿の時代はもっと深刻で、毎回洛陽からの主力が到着しなければ話にならないありさまだった。
だから隴西の振興策が盛んに取られた。
小国の蜀を率いてそのような状況を引き出したのが諸葛亮の才腕であり、
司馬懿は統治未完成の隴西や洛陽中軍が分断された情勢という制限下で彼の撃退を迫れらたわけだ。


717 :無名武将@お腹せっぷく:2009/10/20(火) 01:57:19
諸葛亮はずば抜けた大軍の統率力を生かして遠い隴西に戦場を定めたり、呉と呼応して洛陽戦力を分散させることで
戦略的優位を引き出すことに長けた将帥だった。
そのため、司馬懿(曹真もだけど)は魏の国力をフルに生かせない状況で戦場に急行するはめになった。
雍州だけでは兵力も十分でなく、諸葛亮の大軍に対抗するには洛陽から中軍を直接率いてくるか増援を迎える必要があった。
その間、先手を取って仮想戦域に既に到着している諸葛亮は戦場に優位を占める見込みが大きかった。
が、慎重策をとった諸葛亮はこの時間的優位をあまり有効に使えず、
司馬懿の強攻策によって要所を占位されて状況をイーブンにされてしまった。
こうして司馬懿が負けない姿勢を作ってから我慢比べに持ち込んだのが四次五次北伐の共通項。

141 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:46:44
>>138
それは知っているw
しかし、ほとんどが曹操以上と言ってもいいメンバーだろ

張良と田穰苴は微妙だが

142 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/27(土) 23:52:14
>>141
>張良と田穰苴は微妙だが
そりゃ兵法書の存在や説話・伝承に左右されてるからね

魏の評価低落は既に西晋から始まってる
蜀漢の再評価は東晋から明確に現れ、
西晋の評価低下は北朝には既に見られてしまっていたりする。
唐代には既に蜀漢にシンパシーを感じる風潮が出来上がっていたんだよ。

143 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 01:37:17
>>114>>120>>128>>117
冷静になれる魔法をかけてあげるね
それっ

144 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 08:59:19
>>143
生姜がまた来たw 自演乙w

ここにSOUと生姜があらわれたら、曹操患者ネット右翼スレに報告を
「善意の第三者」がやめるように説得してくれるらしい

それまではなに書いてもいいらしいよ

145 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 10:30:23
>>130
>司馬懿は孔明死後の蜀の内紛につけいることもできないほど、ビビりまくって、
>追撃さえもできないでいた。孔明の狙い通りに事は進んでいる。
司馬懿は諸葛亮が生きていると判断し
その迎撃を懼れて追撃を止めたのだから
内紛まで起きていたとは思わないだろう
だいたい敵を挑発することしかできず
その挑発も成功しなかったのに「狙い通り」はないだろう

>>134
>正面攻撃で勝つための準備は山ほどしているが?
要するに諸葛亮は正面攻撃でなら勝つ自信があり
その準備はちゃんとしていたけど
相手がそれに乗ってこなかった結果
死ぬまで大局的には勝てなかったということになる
陳寿や袁子が言う「応変の才は足りなかった」が正しいということでしょ
(別に二人とも諸葛亮が将として劣っていたとは言ってない
北伐が成功しなかった原因として「応変の才」に言及しているだけで)

146 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 10:45:14
>>136
蜀は「中央集権国家」
魏は「地方分権国家」 ではないが、豪族の力が強く
蜀ほどには政府に力がなかった

それで人口比ほどには「政府の兵」の数に開きがなかったのではないか?
魏の兵は政府所有の屯田兵が中心で
それが実質的な魏の兵力であり、
+αとして、参戦する豪族の私兵が加算されるって感じじゃないか?

147 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 10:54:31
>>145
陳寿や袁子が正しいとは思わない
諸葛亮の立てた戦略は完成度が高かった
完成度が高いものほど必然的に余地が少なくなる

応変の余地があるというのはそれだけ完成度が低いということなんだ

応変の才能とかそういう問題じゃないんだよね
陳寿や袁子は分かってないんだよ

148 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 11:00:56
>>146
つまりは諸葛亮や劉備の統治力が優れていたということだな
なにが、魏の国力は蜀の数十倍だw
数字厨の魏オタどもがw 論理が破綻しているではないか

曹操や曹丕の政治力は大きく減点、劉備は大きく加点だな

>>145
>司馬懿は諸葛亮が生きていると判断し

相手の司令官が死んだというようなことも分からない。そんな司馬懿は知力大幅減点

>その挑発も成功しなかったのに「狙い通り」はないだろう

>出てこなくとも、魏のコスト増大と兵の意気を落とし、追撃に来た武将を破る
>出てきたら、こちらの狙い通り(>>130

ベストではないが、ベターな前者の展開
孔明死後は追撃に対応するのが難しいので、意気をおとす作戦に切り替え。
追撃もできないほど、魏は弱っている。
魏の国力と、「名将」の端くれである司馬懿相手の守備表示には、これがさすがに限界だろw

少なくとも、孔明は凡将、戦下手って論理は成り立たない

ほんと、諸葛亮って偉大だなw

149 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 11:04:35
>>136>>140で張コウの献策とかを元にして
蜀が魏より大軍を用意してた、みたいな論調があるが
魏将の大多数は積極的な決戦を求めて司馬懿を突き動かしたのだから
明らかに魏の方が大軍では
むしろ魏が大軍であった事を示す記述の方がいくつも見られる

150 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 11:17:54
そうだね

151 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 11:24:15
魏の方が数は多かったが練度や統率に難のある状態で、総合的に見れば圧倒的優位どころか互角に近いという感じだったんだろ

152 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 11:31:59
それだと魏の人材は優秀!!!!!!
という論調が無理になるな
自軍の状態すら認識せずに決戦を求めたものが大多数だった事になるから

153 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 11:36:44
>>152
つまりそういうことなんだろ
もちろん魏にも優秀な人物はいたが、物凄い数がいたわけじゃあないということだ

154 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 12:48:19
数では魏に劣っても練度や統率において圧倒的な優越を獲得し
一応名将の部類に入る司馬懿をして、決戦したら必敗を覚悟させるほどの質的優位を作り上げるなんて
諸葛亮は凄すぎだな

155 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 13:10:56
>>147
推理小説のトリックじゃないのだから
いくら考えた側にとっての完成度が高くても
相手が予定どおりに動いてくれるとは限らないのだから
相手に合わせて調整、変更できないと意味がない
(そもそも敵が陣地を固めただけで頓挫する時点で
完成度が高い戦略と言えるのだろうか)

後世でも魏延の長安奇襲策が評価されたり
北伐を積極的防衛策だとする説も出ているから
諸葛亮の戦略は少なくとも曹魏打倒策としては
あまり高い評価は受けていない
(ここらへんは人によりけりだけど)

156 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 13:19:35
圧倒的大軍を擁してながらも小国の小勢相手に引きこもるしか手がないなんて魏はヘタレすぎだろ
小国の小勢でありながら大国にそうさせざるを得なくするなんて
諸葛亮はどんだけ凄いんだ

157 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 13:24:20
>>155
魏は完成度の高い戦略さえあればあっさり敗れる程度の弱敵なんだな
そうだとしたら、確かにその程度ができなかった諸葛亮の戦略はイマイチだな

158 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 13:48:39
>>144
生姜じゃねえよクズ。なんでも認定すりゃ自分の意見が通ると思ってんのか?
そうか、お前あのレス見て何も思わないか
魏延・司馬懿中傷どうみても孔明狂信者だろうが
特に>>87なんかはいつか北伐で国力が高まった!って孔明マンセーしてた奴と文体同じだしな
今回のことで孔明狂信者が患者スレに常駐していることが分かった
さあ、自演でもなんでもして叩けよ、だがこれっきり患者スレから出てくんな

159 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 14:23:00
なんでも認定すりゃ自分の意見が通ると思ってんのか? と言いつつ相手を認定し
>>143では自分で相手に「冷静になる魔法をかけてあげる」とか言って冷静になる事を推奨しながらも
>>158ではブチキレ
矛盾してるなあ

160 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 14:35:46
冷静になれといった奴が冷静さを失ったか
自分は沸点低いのに相手に冷静さを求めても微妙だろ

161 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 14:38:43
>>158
冷静になれる魔法をかけてあげるね
それっ

162 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 14:50:18
>>158
生姜orSOU、乙!

SOU&生姜

_| ̄|○)) 深い仲 ((○| ̄|_

163 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 15:43:10
>>155,>>157
前スレにあったやつまとめてみた


戦略の基本 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/345


一回目の北伐

■第一次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/346-349
街亭の戦い http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/352-363
街亭追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/378



孔明の二回目の北伐

■第二次および第三次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/383-392
追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/406-407

○反論A http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/409
↑に対する追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/418-420
○反論B http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/411
↑に対する追説明 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/421-423

□曹真の蜀討伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/431-433

■第四次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/453-460
木牛考 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/461-462

○木牛考に対しての「蜀水牛説からの反論」に対する否定
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/516
○木牛が後世に残らず消滅した理由
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/491


孔明の三回目の北伐
■第五次北伐 http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/542-568

164 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 16:03:09
>>155
魏延のあの作戦がどう評価されてるのか。具体性のある根拠なんて聞いたことない
全部、作戦内容を具体的には触れず奇襲だから韓信が鄧艾が成功したからとかそんなんばっか
少なくとも具体的作戦内容について述べた意見だと否定的論調なのばっかだった

〜が評価されているとか〜は評価されてないとか
どうとでも言える曖昧なもんでよくいかにもこれが論拠ですみたいに言えたもんだな

165 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 17:43:21
中英にいた司馬懿信者の妄言集ww

司馬懿スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167793942/

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 12:12:22 ID:qTBBcLA30
三国志最強の軍師で晋朝建国者でもある司馬懿について語ろう

3 : 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 15:53:22 ID:BsLgk5Ff0
司馬懿>>>>>>>>>>>>>>>>>諸葛亮

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 03:20:43 ID:Nx/PJJ1j0
帝位簒奪の野心までは無かった気がするけどなぁこの人。
結果的にそのレールを敷いてしまっただけで、息子は真っ黒だけど。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 03:31:58 ID:y9tQSDEM0
流石にそれはない
ただ曹丕・曹叡の頃は真面目に忠実な家臣やってる
曹丕は恩人だし友人だしな

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 15:53:20 ID:Rl8UKwHp0
息子達のせいでダーティーなんだよなこの人


166 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 17:46:28
26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 11:47:39 ID:Y7oBw00s0
司馬懿はもっともっと有名になり、崇められるべきだと思う。
諸葛亮のせいでそうなれないんだよな。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 20:48:00 ID:5bo59+Ax0
そのうち有名になるだろ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 18:59:09 ID:2BswnX460
静止ではクーデターまでは正義のヒーローだな


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 19:53:30 ID:qt7yHxm8O
ヒーロー過ぎて刺すか刺されるかに追い込まれたわけだ
そしたら刺すしかない
仮に仮病で死ぬまで切り抜けられたとしても、
息子達に未来はない
それもこれも頭数ばかりでとんと能力のない曹一族が悪い
しかも、俺達はお前より能力ないけどお前より偉いから俺達の面子の為にお前没落しろってのが目に見えてる
モロ弱肉強食な意見で恐縮だが、クーデターとどっこいだよ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 23:53:39 ID:4jkaGrk20
>>26
諸葛亮の敵役じゃなかったら、司馬懿なんてもっとマイナーだったろう?

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 13:40:17 ID:9BkBuL530
>>37
その場合は
司馬懿>>>>>>>>>>>>>楊堅・李淵
になる

ついに、楊堅や李淵みたいに、単独で統一王朝開いた人物より、上とぬかす司馬懿患者wwww

167 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 20:11:55
あの段階では、諸葛亮以上の戦略は考えられないけどな

まあ、天才的な勘があれば、機動戦で魏の大軍を思うがままに破ったかもしれんが
数千年の歴史に数十人ぐらいしか発揮できなかったような才能を求められてもな

諸葛亮に足りないものは、それぐらい

将として、司馬懿、陸遜とは問題にならないぐらいだが、
曹操、周瑜、孫策、劉備の四人には、どちらが上か微妙ってところぐらいで
「応変の奇略なし」と言われてもな
魏を滅ぼせなかった原因は、国力差>>>>>>>>>>>>>応変の奇略 だろw

韓信でも生き返らせろと言いたいのだろうか

168 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 20:35:20
>>164
前スレの初めの方にあったよ

169 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 20:39:49
閣僚の自殺よりも たかがポップス歌手の死を大きく取り上げる日本のマスゴミと それを喜ぶ衆愚
落合信彦氏も苦言を呈されたが 平和ボケここに極まれりだな
この女も所詮芸NO人だったのだ
判で押したような中途半端な音楽でヒットメーカーと呼ばれ
そこそこきれいめの外観でいい気になって
正常な感覚が麻痺してしまったのだろう
ところが現実はより辛口なヒップホップの台頭で
ZARD人気も落ち目になってしまった
おまけに結婚して子供を産んで家庭を作るという
自然の摂理に沿った女としての社会的責任も負えず
負け犬女となって今日に至った
そこへ子宮頚がんという人生の不摂生のツケが回ってきたのだ
知障か年寄りでもないかぎり普通あんな死に方しない
冷静に考えれば現実を受け入れきれずに現実逃避したのだとわかる
結局この女は甘えていたのだ
同じ病を抱えながら最後まで生命を全うしようとする人たちに申し訳ないとは思わなかったのか?
自業自得による死をマスゴミは美化しすぎ
どうせ伝説にして偶像化してしまうのだろう
こうやって事実の隠蔽ばかり繰り返すから信用を失くすのだ
こうやって自業自得の死まで美化するからいじめだリストラだ言って現実逃避の自殺をする人間のクズが後を絶たないのだ
こうやって悪しき社会的影響を与える罪の意識なんて全く感じられない
こんな女の冥福を祈るなんて偽善者の綺麗ごとだ
地獄へ落ちろ!!

170 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 20:41:23
>>167
どーみても劉備買いかぶりすぎだろっw

171 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 21:08:17
>>164
そりゃそうだ
魏延の策が評価されているのは
韓信という成功例がある以上
失敗した諸葛亮の策よりはましということに過ぎないのだから
(諸葛亮は曹魏領内に入ってからほとんど東進できなかったのだから
曹魏打倒策として有効でなかったとするのは当然でしょ)

ましてや積極的防御策とする説に至っては
諸葛亮の策が曹魏打倒策として駄目だったことを前提として
なお諸葛亮が「有能であったこと」にするために
北伐の目的をすり替えたに過ぎない
(だからこの説を最初に唱えたとされる王夫之は
諸葛亮が祁山に侵攻したのは隆中対での本意ではなく
蜀漢を保持することに方針を変更した結果だとし
「出師表」で中原を平定すると言ったこととの整合性すら取らない
それが魏延にすら知らされていなかったのも
「魏延のような輩には一々説明しなかった」としか言わない)

172 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 21:13:06
妄想で語るなよ

173 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 21:23:02
「諸葛公はリスクが大きい計略だから用いなかったのではない。
大義を標榜した出兵だったから策謀や詭計を用いなかったのだ。」(洪邁『容斎随筆』)

前スレの魏延案、結論が「正義」だったが
歴史上に同じ考えの人がいたんだねぇ

174 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 21:25:15
孔明にアレクサンドロス大王並の実力を求められましてもー

175 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 21:29:46
結局司馬懿の評価ではもりあがらんのか

176 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 21:59:23
孔明が陸遜より上とか大きく出たな諸葛厨w

177 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 22:05:07
>>173
勝手に結論決めるなよ
反論もたくさんあっただろうが

178 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 22:31:00
は?
魏延案の考察の人の、諸葛亮が奇襲を選択しなかった結論だろ

179 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 22:57:27
青州兵30万、実数かどうかは置いといて
200年前後の曹操勢力でこの数字は
豪族の兵力的協力を必要としないほどの大兵力だった
だから曹操の勢力には豪族から兵を出させるシステムが育たなかった

大兵力を一人で保有する曹操は、
本来芽が出ないはずの軍事に非凡な才能をもつが寒門出身の武将に
自前の兵を割いて与け、第一線に立たせることが出来た
そのおかげで魏(便宜上そう呼ぶとする)は戦争に多く勝利することが出来た

魏に有能な武将が多く名を揃えるのは、曹操に屯田兵がいたおかげと言える部分が多くある

曹操という人物の資質もさることながら、魏が天下の半分を取れたのは
青州黄巾党が舞い込んで来て、政府(とは言わないかもしれないが)が大兵力をもてたこと
更にそれにより身分を問わない人材活用が可能となり、
有能な人物を使って効率的に戦争に勝利できたこと
これらが理由だろう

魏は効率的勝利によって大きな領土を切り取ることが出来たが、
その反面、国家の集兵システムは成長しなかった
これが青州兵の功罪で、それが魏という国といえる

勢力争いをしていた小国期には30万の兵力は充分すぎる程であったが
天下の半分という広大な領土を維持するのに屯田兵だけでは不足する
魏の急成長と伸び悩みは表裏一体
そうした魏の中で、豪族勢力・司馬懿の台頭は必然だった
魏が晋に乗っ取られるのは定めだな

180 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 23:26:36
一番の原因は初代と二代目の皇帝が続けて若死にしたことだろうね

181 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 23:34:27
曹操は魏の限界に気付いていたんじゃないか
だから漢中を取ったとき蜀を望もうとしなかった

そしてあと二人
時務を識る俊傑 伏龍・鳳雛

諸葛亮と龐統は魏の限界を見抜き
二人とも大国魏に仕官しなかった

なんてな

182 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 23:46:25
>>180
いや、どの道同じ運命だったろう
大改革をしなければ問題は改善しない
この改革はどのような方法であれ政局が不安定になる
だから曹操も手を付けれなかった


183 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 23:52:16
急成長した企業の脆さだね

184 :無名武将@お腹せっぷく:2010/02/28(日) 23:56:51
>>176
いったのは、アンチ孔明で、陸遜信者でないかもしれんが、
「孔明は司馬懿・陸遜よりはるかに格下」って言われていたから、その反論な

陸遜って、夷陵・石亭の防御戦がメインじゃなかったけ?

司馬懿とせいぜい同クラスで、攻め込んで、魏にあれほど打撃を与えた諸葛亮の方が
はるか上だと思うけどなあ

185 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/01(月) 00:43:08
あれほど打撃を与えたってそれほどでもないだろ・・・・・
姜維のほうがまだ魏に対して健闘している
まあ、それ相応の犠牲は出てるけどな

陸遜は蜀がしばらく軍事行動ができなくなるぐらいにしているけど

186 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/01(月) 01:00:08
陸遜は名将だと思っているが夷陵は劉備の自滅だよな
劉備が黄権の進言に耳をかたむけていればあんな悲惨な事にはならなかったのに

187 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/01(月) 01:10:28
それをいったら第四次も自分の意志を通せなかった司馬懿の自滅でしょ
漢晋春秋の記述も怪しいものだけどさ

188 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/01(月) 01:39:04
陸遜の話でしょでしょでしょでしょ

189 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:09:58
>>176
大きく出たなってw
普通に考えて上だろう

陸遜の存在は諸葛亮を知る上で丁度いい

陸遜は優秀だ
だが小さい
関羽に遜って見せ油断させて同盟国の荊州を襲うという姑息な戦法を取ったり
周魴の偽の降伏を画策して曹休を誘き出したりと
やることが汚い
こういうのを「権」というのだろう
そういうやり方しか出来ない陸遜は知将として器が小さい

仮に諸葛亮がこういうやり方で関中を取っていたら
史実の諸葛亮ほど人々に尊敬されてないだろうね

陸遜の人気は演義が陸遜の容姿を美男としたことと
それに基づく光栄ゲームのビジュアルに由る所が大きい
ビジュアルが横山三国志の陸遜だったら多分人気ない

190 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:14:29
陸遜=市橋容疑者

191 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:48:31
姑息だってw
兵法は軌道なりだよ


192 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:49:18
>>189
その権も使えない馬鹿ってことか、諸葛亮は
戦争してんのに甘っちょろい事言ってんじゃねーよ

193 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:52:02
小さい小さい わっはっは

194 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:52:12
それにすら勝てない司馬懿

195 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 20:56:28
呉はショボイよな
魏を滅ぼす気力も能力もないなら裏切ってまで荊州盗るんじゃねーよ
結局滅んでやがる ダッセ

196 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:01:00
司馬懿は諸葛亮に勝ってるよ
諸葛亮は侵攻側で司馬懿は防衛側なんだしね
蜀軍は撤退してんだから敗北だろう

197 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:04:34
>>196
それくらいみんな知って言ってる
歴ゲ板じゃあるまいし

198 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:05:08
まあ陶謙も曹操に勝ってるしな

199 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:06:25
陶謙>曹操
ってことになるね

200 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:11:37
言い返せないらしい

201 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:19:54
>>197
それぐらい知って言ってるならなんで諸葛亮が司馬懿に勝ったとかいってるやつがいるんだよw

202 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:30:16
曹操は2度も陶謙に負けたんだな
結局1回も曹操は陶謙に勝てなかった
兵力差ってどうだったんだ?
イメージ的に曹操軍が圧倒してたように思っているんだが

203 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:33:00
>>201
局地戦の話だろ

204 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:33:10
曹操は戦下手

205 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:35:07
そして三国志はザコの集まりという結論へ…

206 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 21:39:46
攻撃側が撤退したら敗北という安易な考え方がおかしいのさ

川中島の戦い、武田と上杉双方勝ったと言ってるそうじゃないか
攻撃側が撤退したら敗北ということならどっちが勝ったかはっきりするだろ

それに誰も曹操が陶謙に負けたなんて思ってない
つまりは勝敗はそういうことではないんだよ
司馬懿が諸葛亮に勝ったなんて、司馬懿寄りの奴しか思ってないよw

207 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:11:10
諸葛亮が司馬懿に勝ったなんて諸葛亮寄りの奴しか思ってないけどなw

208 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:14:04
勝ち負けじゃなくてこのスレは能力の上下の話をしてんだよ

209 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:15:52
局地的に諸葛亮が勝利するも、戦略的には司馬懿の勝利という感じかな

210 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:15:55
司馬懿が諸葛亮に勝ったなんて副読本鵜呑みにする馬鹿しか思ってないけどなw

211 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:18:46
>>209
へぇ、興味深いね。
司馬懿は諸葛亮に戦略で勝利したと?
それは一体どんな戦略だったんだ?

212 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:20:08
手も足も出ない亀さん戦略です

213 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:22:30
>>212
それは戦略で勝ったんじゃなくて
アドバンテージで勝ったんだろ

214 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:24:30
だから手も足も出ないってw

215 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:28:06
持久戦、防衛に徹してるだろう、司馬懿は
蜀は兵站に難を抱えていることが分かっている。
そしてそれは蜀が兵糧が欠乏し撤退することでその戦略が正しかったと証明されている。

216 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:32:25
>>215
魏はああ言ってるが
蜀が兵站切らしたの李厳の怠慢による一回だけだぞ

217 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:36:21
>>216
怠慢というよりあれは蜀の険阻な桟道のための遅れだろう
李厳とて遅らそうとして遅らせたわけではないだろうし
まあ処罰逃れのために嘘をついたのはいただけないけど

218 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:44:59
>>217
李厳が意図的に足を引っ張ったって説もあるくらいだ
証拠はないが

219 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:47:10
李厳は劉備が遺した負の遺産の内のひとつ

220 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:47:36
>>215
でもこれ第四次は司馬懿の方が兵糧攻めにあってたんだよな
李厳による自滅、つまり運で辛勝したってかんじ

221 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:48:59
孔明「質が悪いとは思っていたが、コイツがここまで腐ってるとは思わんかったわ!」

222 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:51:05
李厳は劉備に劉禅を託されておきながら
諸葛亮に「九錫頂いちゃいなよ」なんて言うような奴ですから。
劉備の遺言を尊重しての事なのかもしれんが

223 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:52:09
>>220
収穫前の麦刈り取りのこと?兵糧攻めって
あれは魏への挑発も兼ねた兵糧調達じゃないのか?

224 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:53:24
曹真に漢中攻められたとき、李厳は諸葛亮に見返りを要求した

225 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:56:29
>>223
兵糧攻めにもなってる

226 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 22:58:04
兵糧攻めにもなっているというか、全て計算してるだろ

227 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 23:10:14
結局、それだけでは足りず兵糧輸送の遅れ(怠慢?)により撤退せざるを得なくなったんだがね

228 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 23:12:32
遅れというより帰国要求だった

229 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 23:37:38
長雨で輸送が困難になった
それを乗り越える根性と力が李厳には無かった、と

230 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 23:41:51
軍事能力

曹操>周瑜、諸葛亮>孫策>呂蒙、陸遜、劉備>司馬懿、関羽>呂布、張飛>孫権

こんなところかな
関羽の攻撃力は、使い方次第では結構、生かせるので、総合力は司馬懿と同ランク

231 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 23:53:11
>>229
行事の実行委員が当日に37.0度の熱で休むみたいなもんじゃないか?

232 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/02(火) 23:58:35
関羽・張飛・呂布みたいなのはピッチャーで、球威で相手をねじ伏せる。
曹操・周瑜・諸葛亮みたいなのはキャッチャーで、配球で相手を封じ込める。
みたいな感じじゃないのか?
だったら比較にならんと思うが。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 01:50:12
根性でどうにかなるならカミカゼで日本が勝ってるよ

234 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 13:11:39
いったのは、アンチ孔明で、陸遜信者でないかもしれんが、
「孔明は司馬懿・陸遜よりはるかに格下」って言われていたから、その反論な

陸遜って、夷陵・石亭の防御戦がメインじゃなかったけ?

司馬懿とせいぜい同クラスで、攻め込んで、魏にあれほど打撃を与えた諸葛亮の方が
はるか上だと思うけどなあ

235 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 13:27:32
陸遜は侵攻戦の戦果なんて山越討伐くらいだしな
てか石亭は周魴のおかげだろ・・・しかも発案者は陸遜ではなく厨房だしw
戦った相手を比べても孔明のほうが上だろ

236 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 16:08:00
陸遜は結局攻め戦で大した功績残せなかった上にカリスマ性も無く
民衆虐殺とかやって、さらに君主の疎んじられて憤死した男だぞ。
英雄としてはせいぜい馬超クラスというか
将としても「良将」どまりの人間だと思う、名将ですらない
孔明のように時代を越えて尊敬される英雄の器なんて到底持ち合わせてない

237 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 16:22:13
有力豪族・陸氏の頭領かつ孫策の娘婿という面で多大な影響力があった。
豪族連合の呉においてはそれがなにより大きな武器だった。
彼は最終的に丞相になったとはいえ、政治に深く携わっていたわけじゃない。
孫邵・顧雍という有能な丞相がいたから、外向けに専念できていた面は否定できないし。

238 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 16:22:32
まあその「尊敬」とやらは演義の捏造によるところが大きいのだがな

239 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 16:44:18
捏造乙
演義以前から既に別格レベルの賞賛受けてるよ


240 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 17:05:17
まあ陸遜の評価に関しては裴松之に全面同意
とても諸葛亮と並んで語れるような人物じゃない

>三国志に注を入れた裴松之は評価が辛い。
>嘉禾五年(236年)に陸遜が自ら命じて行わせた石陽急襲により
>住民が多く被害を受け、その後に戦傷者を保護した一件を指して
>「無辜の民衆を酷い目に合わせた」「孫の代で一族が絶えたのは、
>この悪行の為であろうか」とまで言っている。
>また、後に江夏の魏将を離間策で放免させた経緯に触れ、
>「わざわざ自らを卑しめる策略」「小賢しい詐術」と断じ、
>やる必要の無い事だったと疑問を呈している。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 17:11:00
正史で単独で伝が立てられているのは2人しかいない。

242 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 17:17:41
陸遜が防衛線ばかりで評価しづらいというのは動意。
石亭は周魴が一番の功労者というのにも賛成。

ただ、諸葛亮は軍事能力のみでは周瑜、呂蒙には劣ると思う。
内政・外交を含めた総合力なら上だが。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 17:37:03
捏造

244 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 18:12:19
捏造

245 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 18:42:19
そもそも、孔明は三国時代から一人だけ名将十傑に封じられてるくらいの別格で
比較相手が悪い

246 :月孔雀:2010/03/03(水) 19:15:13
孔明は、曹操を上回る学力を習得したが、天文の知識が甘かった。
学者の家系の司馬さんに負けてしまいました。

247 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 19:30:12
陸遜が防衛線ばかりで評価しづらいというのは動意。
石亭は周魴が一番の功労者というのにも賛成。

ただ、諸葛亮は軍事能力のみでは周瑜、呂蒙には劣ると思う。
内政・外交を含めた総合力なら上だが。

248 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 19:38:48
そうすると、周瑜・呂蒙よりも司馬懿は下ってことだよね

249 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 19:54:26
しかし諸葛亮はさらにその下

250 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:00:07
>>247
なぜ2度繰り返す?w

251 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:04:15
>>241
陸遜は息子が活躍したからだろう
息子の活躍がなければ周瑜達と同じ伝になってるはずだよ

陸遜は陸抗とペアで一つの伝と言える 
陳寿評、陸抗のもあるしね

252 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:10:21
郭嘉>周瑜=呂蒙>諸葛亮>司馬懿・陸遜

253 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:14:07
>>252
無理がある

254 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:16:23
呂蒙は孫権に周瑜には及ばないと言われてる

255 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:22:21
ところで、次スレは「曹操を冷静に評価するスレ」にしないかい?

256 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:22:37
他のバレ師さんがいないので簡単に。
576 大海賊エドワードニューゲート
黒ひげ海賊の紹介みたいな感じで始まる。黒ひげ称号はいらない。インペルに入るために七部会になりたかったとセンゴクに
黒ひげ、白ひげを煽る サッチも死んだ エースも死んだ
白ひげ無言の怒り、黒ひげ『闇水』で対抗するも、効かない 黒ひげ地面に食い込む
黒ひげ海賊、白ひげに銃やら鉄砲を打つ。 
白ひげ回想。ロジャーとの会話。
白ひげ、『ひとつなぎの大秘宝は実在する!』  立ったまま死ぬ白ひげ。

257 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:47:28
>>249
どう見ても諸葛亮のが上
あの内容で司馬懿が上とか言うなら戦争能力は陶謙>>>>>曹操になる

258 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 20:50:34
>>257
それは言い過ぎ
陶謙>>>>曹操
くらいだろう

259 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 21:06:42
曹操と諸葛亮はどっちが強かったんだろうか?

260 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 21:59:41
唐中期の名将10選にしても、君主クラスは抜かれてるから
あくまで曹操を除いた中での最強評価にすぎないんだよな<諸葛亮

個人的には曹操>諸葛亮だと思うが

261 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 22:02:38
君主と幕僚を比較するのもどうかと思うんだ

262 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 22:22:00
>>250
なぜか、>>184の俺のレスが、>>234で転用されているしなあ
誰かが、転用したんだろ

しかし、>>165のスレはひどいなw
歴史オタの評価なんて、あてにならないものだ
このコメントをしてきた奴らにここに来て、今の感想を書いて欲しいものだ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 18:43:55 ID:bU4O0CGf0
司馬氏の知力、孔明上回

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 17:51:36 ID:ZVA/n5ox0
>>90
それは定説
だって最終的には権力掌握に成功したんだから

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 19:53:30 ID:YzAKSGEF0
シバイと似ている奴って中国史では他に誰がいる?

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:05:03 ID:81sXk76i0
シバイは朱元璋に似ているような希ガス

しかし、曹操は分かるが、司馬懿にこんなにいれこむ心理は理解できん
ただの孔明アンチである自分を認められなかっただけだろw

263 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 22:22:53
>>252
どっから郭嘉が出てきたよ
郭嘉って軍を統率してたの?

264 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 22:43:26
個人的には曹操大して強くないと思ってるんだが

265 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:07:56
>>263
完璧な洞察力を評した

郭嘉>周瑜>諸葛亮>陸遜>呂蒙>司馬懿



266 :清一色:2010/03/03(水) 23:11:27
>>265

完璧な洞察力ならば、カクもかなりの上位に行くぞ。

267 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:11:58
曹操は優秀な軍師の意見が無いと何も出来ない

268 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:13:58
郭嘉>周瑜>諸葛亮>陸遜>呂蒙>司馬懿 >>>>曹操


賈詡の場合は心理戦だけ得意な気がするから微妙・・・

269 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:31:43
>>265
良いことしか書かれないからな

死んだ歳から逆算すると、曹操が張繍にやられたとき郭嘉も従軍してる

270 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:39:04
>>269
いかに良策があろうと、
あの頃の女に溺れた曹操を止めることは誰にも出来なかったから
息子まで死なせてしまったんじゃないかね

271 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 23:46:10
曹操は「ただ奉孝だけが孤の考えを分かってくれる」と言っていた

郭嘉もお行儀がよくなかったようだし、賛同したんじゃないかな

272 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 02:08:15
>>265
それは洞察力のランク付けって事?

まさか作戦考えるだけが軍事だと思ってるような奴は
ここにはいないと思うが

273 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 02:49:57
北伐が成功しなかった原因のひとつには呉が魏に痛手をあまり与えてくれなかったからな・・・
背後に山越がいるから全力出せないのはわかるが・・・

274 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/04(木) 03:24:15
まあ、それ以前に国力の差がいかんともしがたい
人材も乏しいしね

275 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 19:26:19
消防・救急・防災 男性俳優 女優 愛の種 ラジオ番組 鈴木あみ&浜崎あゆみ 椎名林檎
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276 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/05(金) 19:32:03
33 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/03/04(木) 17:09:47
>>28
あいつはレスが伸びたら三戦の集客に貢献してると思ってるフシがある。
ソース提示要求も自分が知りたいと言うより司会進行のつもりだと思う。
誰かが丁寧に教えてもびっくりするほど記憶力ないしな。


34 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/03/04(木) 18:18:53
>司会進行のつもり
これを生姜が本気で考えてるとしたら馬鹿そのものだな
ソース提示要求するのは生姜の暴論や生姜が納得したい論に対する反論相手だけ
司会を務めるつもりなら双方にたいしてソース提示を平等に要求しなけりゃ話にならんだろ
生姜自身がもう一方の論を張っている時なら生姜自身で提示するのは当然だ
司会を務めるほどの平等性も中立性も公平性も持ち合わせてない癖に司会気取りとは笑わせる
単に生姜は生姜自身がソース提示しない理由づけを探してそこらへんに落ち着かせた感じがあるな


277 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 10:37:16
軍事能力

孔明>陸遜>司馬懿は、ガチで決定?

国力差があるのに、外交も戦争も三国をリードしていた蜀を率いた孔明は、マジすごい

数千年の間のベストでないにせよ、ワンオブゼムでは決してない



278 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 10:44:48
その辺は誰も反対しないと思う
問題は周瑜と比べてどっちが上、だ

279 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:25:01
まあ、それ以前に国力の差がいかんともしがたい
人材も乏しいしね

280 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:31:21
>>146
魏ほどの中央集権国家はないと思うよ
蜀が掌握できたたのは益州の30%くらいだろうな
その証拠に魏が蜀を滅ぼしてから魏をついだ西晋の人口は急速に伸びている

281 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:31:53
昔からジャイアンツの育成には定評があった。
ジャイアンツはポイント補強はしてきた。
そして育成された金の玉子達を育て上げ見事坂本君を二年で球界の顔に
育て上げ風神雷神も
JFKを越えたし
将来の日本の4番大田君もはつらつデビュー!!!
世界の名将原監督そして原チルドレン&レジェンド戦士達がジャイアンツ黄金期を築き上げた!!!
そしてヤンキースMVP松井秀喜を育てた!
松井はメードインジャイアンツ!!!

そして今年キング長野が日本プロ野球の歴史に名を刻む!

282 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 11:32:55
ウオーー!!!ジャイアンツ万歳ーー!!!

283 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:01:51
>>280
そんな馬鹿な
蜀が30パーセントって何の冗談
晋の人口が増えてるのはそれまで魏内にいた屯田民や、支配に入ってなかった遊民を戸籍に組み込んだ結果
魏の国土掌握力の低さの例証にしかならない

284 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:19:05
>>283
蜀は後漢時代に700万人も戸籍人口がいたのに、益州は黄巾の被害が大したことなかったのに蜀は94万しか戸籍人口がないんだよ
これはさすがに少なすぎるだろ
晋の人口が増えたのは屯田民の影響は大きいと思うけどそれだけじゃあそこまでは増えないと思うよ

285 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:23:38
>>284
それこそ詭弁
蜀700万の人口なんていうのは後漢最盛期の話
そんなこと言ったら蜀700万の人口だった後漢最盛期の総人口は5千万近いが
三国時代には戸籍人口では5分の1以下にまで落ち込んでる
飢饉や戦乱で全体的に少なくなっていると見るのが自然
蜀も含めた江南一帯にたいして中原は後漢時代において優位を確保してたはずなのに
中原を抑えた魏の総人口が低い理由も魏が中央集権なんていう理屈じゃ解明できない

286 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:29:21
>>285
中原は黄巾の乱の中心だったし虐殺とかも多かったし後漢末期は呉や蜀に人口が流失したから魏の総人口が低いのは当然でしょ

287 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:34:06
>>286
それで5分の1以下に落ち込んでると?
虐殺と言っても何千万も殺してるわけでもなし
少なくとも中央集権を理由にするなら魏の戸籍人口が低すぎる
晋では倍増してるのだから単純に遊戸や屯田民が戸籍に組み込まれただけの話

288 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:36:01
>>286
呉では人口不足に悩んでいるし蜀でも劉備が入るまでの間、いざこざがなかったわけでもなし

289 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:38:16
>>286
曹操の徐州大虐殺の結果として諸葛一族みたいなのが荊州に流れたりはしてる
蜀はどうだったんだろ
わざわざ蜀の桟道を通っていくとなると亡命地としては不便そう

290 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:39:30
>>289
東州兵

291 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 12:44:05
数万くらいみたい

292 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/03/06(土) 13:55:24
蜀漢と魏(晋)のどちらが中央集権的だったかは知らんが、
人口として戸籍に組み込む度合いという点なら、
まず蜀漢と晋、両者の蜀における戸籍人口を比較してみるのが良い。

晋書を参考に旧蜀漢の領域全体での戸数を考えると、
武都、陰平、漢中、梓潼、広漢、新都、涪陵、巴、巴西、巴東、
蜀、犍為、汶山、漢嘉、江陽、朱提、越嶲、牂柯の18郡あわせて236100戸になる。

後主伝の注に引く王隠の蜀記によると、蜀漢の戸数は280000戸となる。

他の要素も考えなければいけないので、これだけで結論は出せないが、
蜀漢から晋に移って戸数は44000ほど低下している。

293 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 15:25:11
なんで益州の戸籍人口はここまで減ったんだろう

294 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 19:24:56
>>289
曹操の虐殺関係ないぞ、諸葛一族が出て行ったのは

295 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 19:57:24
中原での流民発生による不安定化は黄巾の乱の70年以上前から始まってるんだから
ずっと後に曹操やら袁術やらが局地的にやったことなんて殆ど影響ないだろうな。
群雄割拠によって朝廷の郡県支配の箍が完全に外れたことで、
流民に加えて豪族達までが関中・山東から荊揚益冀州への大量に移動した。
後漢後期の飢饉が青州など中原部から始まり、
南方諸州は比較的安定していたことなどによるものだろう
(冀州の事情はよく判らない。後漢代での開発進行、漢水の流域変化説などが出ているが)。
これによって四州は「比較的な人口維持」が成功し、三国の基盤となった。
地方四大州は晋代まで30万戸前後の戸籍を維持しているが、
豫州は114万から11万
徐州は57万から8万
青州は63万から8万(後漢の領域で計算)
と無残な有様に落ち込んでいる。

296 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 20:51:53
益州は南蛮の異民族の戸籍が把握できてないんじないの

297 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 20:55:13
揚州は大規模な山越討伐をしまくってほぼ制圧したから人口が大きく増えたんだろうね
例えば諸葛恪は4万の兵を集めたし、一緒にいた顧承は8000人、陳表は1万人の兵を集めたらしい

298 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 21:22:50
増えてないよ
揚州も102万から30万台に激減だ。あくまで「比較的な人口維持」に過ぎない。
ただ江水南岸は両漢代の上昇曲線のお陰でダメージが緩和されたのだろう。
逆に益州は秦・前漢からの先進開発地域だった。

299 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:03:01
司馬懿(正史)

知力 90 政治 75 統率 70 武力 75 魅力50(名家補正+20)
マスクデータ 義理 0 勇猛 0 冷静 100 野望70

諸葛亮の能力値(正史)

知力 85 政治100 統率 95 武力 70 魅力85
マスクデータ 義理100 勇猛 60 冷静 80 野望50

陸遜(正史)
知力 85 政治 75 統率 85 武力 65 魅力70(名家補正+15)
マスクデータ 義理80 勇猛 30 冷静 90 野望60

こんなところか? 南蛮討伐、二郡獲得はもっと評価していいので、孔明の武力は上げた

300 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:09:02
司馬懿は自分より弱い相手の時は勇猛最大でいいと思う

301 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/06(土) 23:16:54
誤爆?

302 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 08:22:00
そもそも正史における武力って何?意味不明

303 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 16:29:00
クマッタの傀儡と化したロコモティブに代わる自分たちの傀儡として、
三郎と常陸四郎は御しやすい康三郎を当主に据える。
そしてその直後の自治新党党首選挙ではロコ家総力を挙げて康三郎を党首に当選させた。
そこまではよかった。

しかしその後三郎の興味は新たなポストである三戦板覇者へ向かい、
常陸四郎も幹事長というポストを与えられたことで満足してしまい、
原爆ラップに傾倒していく暗君・康三郎を誰も補佐しようとしなかった。

結局乱起こし易しと判断したクマッタ一派の奇襲に康三郎は対抗できず、
党首という地位にある者には相応しくない醜態と哀願を衆目に晒しながら退位させられた。
だが、康三郎にばかり過失があるわけではない。
この間康三郎はロコ家重鎮である三郎や常陸四郎に再三救援を求めたが全て無視された。
これはクマッタとの対決を三郎らが忌避した結果である。
三郎と常陸四郎は自分たちではクマッタには勝てないと判断したのである。

結局、久々のロコ家政権は、康三郎の無能ぶりと、三郎と常陸四郎の弱腰が原因で崩壊したのであった。

304 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 21:46:40
あげ

305 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 22:02:32
あげ虫

306 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 22:01:17
李世民は諸葛亮をあまり高く評価していないみたいだね
李衛公問対の中では李靖は評価しているみたいだが

307 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 23:30:53
あれは曹操もボロクソに言われてるしね

308 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 00:00:13
>>307
何の話?

309 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 15:13:41
孔明の戦いっぷりは見事だったと思う
6歳の女王クリスチナを奉じて敵地で頑張った、スウェーデン宰相オクセンシェルナもかくやという奮闘ぶりだ
惜しむらくは呉にフランスのリシュリューほどの執念がなかったことか
あとオクセンシェルナにはバネルやらトルステンソンなんかの優秀な将もいたし
(バネルは忠誠に難ありだったが)

310 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/01(木) 00:38:14
孔明の政治力って難しい。
統治面や戦略眼は問題ないが、人事面の人心掌握力は弱い。
李厳とかもっと上手く使えただろう。なまじ有能な自分があるから、残りは従順で無難な自派閥で埋めてしまった。

そういう面で言えば、司馬懿は前線にいながら中枢への配慮も怠っていないし、諸葛亮の挑発に
部下を制し続けられた点も司令官としての人心掌握力の高さと言ってよいと思う。

311 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 00:45:55
自分を侮る部下を使い続けて失敗をさせなかった諸葛亮と
四次で手綱を絞り切れなかった司馬懿

臣下ナンバー2の李厳を江州守備や漢中兵站よりも上手く扱うとしたら
北伐軍総司令を委任するくらいしかない。
そして李厳が諸葛亮より上手くやれるとは考えづらい。

312 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 01:25:10
政争に関しては司馬懿の方が見事だと思う
大国にあって曹・夏侯一族で固められた政権内での勝利

諸葛亮は元々劉備の後ろ盾があったのが幸運だった
もちろん劉備も諸葛亮の能力を認めての事だろうけど
司馬懿よりは恵まれてる

313 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 18:31:13
>>312
魏の皇族冷遇政策も知らんのか?

314 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 19:13:56
>>313
あくまで侯王クラスの話、しかも王・都督・刺史を兼任させて八王の乱の要因の一つにした西晋と比べての話。
漢と比べればそれほどでもない。

315 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/02(金) 19:20:43
>>313
魏の場合は礼遇されるのも皇族なら権力握るのも皇族って状態で
蜀よりはるかに窮屈な状態だっただろう。
つうかそこで皇族礼遇で反論したつもりになるのは分かってない証拠。

316 :清一色:2010/04/03(土) 16:06:40
>>312
司馬懿の政争って、そんなに多くあったっけっか?

皇帝の新任が厚かったのは確かだけど、それは本人の態度と職責からだし。

むしろ、政争は下手って言うイメージの方が・・・

317 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/03(土) 16:58:48
信任があついのと、信頼されているのとは違う

318 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/03(土) 17:02:28
明帝の代には既に司馬懿は魏に忠実な臣下では無く、魏とは切り離されたところで、独自に豪族層の支持を得ていると評価されている

319 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/03(土) 23:31:11


320 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/03(土) 23:39:28
>>310
諸葛亮は自分に物言う人物を評価していたし、求めていた。
「従順で無難な自派閥で埋めてしまった」というのは全く分かっていない者の意見だよ。
諸葛亮は求めていたが、
真っ当な人格かつ非常に優秀な諸葛亮に意見できる程優秀な人物は
得られなかったんだろう。三国中探してもあまり居なそうだ。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/03(土) 23:41:02
>>312
司馬懿は曹丕に乗っかって出世したじゃないか。

さらに司馬懿は荀ケ−陳羣が築いた大きな土台に陳羣亡き後乗っかって大きな力をもった。
荀ケは数多くの人物を曹操勢力に推挙した。そのうち大臣にまでなった者は十数名にのぼった。
荀ケの派閥が魏国内で如何に大きな力を持っていたか分かるだろう。
正始の政変は他の協力無くして成功しなかったはずだが、司馬懿のその力は
司馬懿が自力で作り上げた物ではない。


蜀で
魏延・楊儀が仲違いして諸葛亮が苦労させられたり、李厳が我が儘言ったり怠慢を働いたが
それらは劉備が招いた。
劉備による人格無視の大抜擢で、小人物魏延を大出世させてしまった。
おかげで魏延を調子に乗らせ、扱いづらくさせてしまった。
また、劉備は李厳を諸葛亮と共に劉禅の後見とした。
劉備が李厳に力を与えたため、これまた扱いづらくなってしまった。
諸葛亮は劉備の遺した負の遺産に苦労させられることとなった。
諸葛亮の掌握力とかそういう問題じゃない。



魏では

後漢は儒教国家で、人物の多くは儒教に基づく思想をしていた。
曹操が魏を建てるというのは儒教に反することで、
魏臣の多くが曹氏の建国をおもしろく思わなかった。
曹操の軍事力の前に認めざるを得なかったというのが正直なところだろう。
魏の建国は曹氏vs他氏という対立の内部構造を生んだ。
正始の政変は、他氏である司馬懿が機会さえあれば軍事力を掌握出来る位置に登っていたことで
起こせたことであり、これを「政争」と呼ぶに相応しいとは思わない。
「政争」と言えるものをしたのは、その前の陳羣や荀ケらで、
司馬懿は彼らが君主権力とせめぎ合って勝ち取ってきたものに乗っかって、
武力で曹氏を封じ込めたに過ぎない。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/03(土) 23:56:43
劉備のしたことに足を引っ張られた諸葛亮と
曹操のしたことに押し上げられた司馬懿
比較にならない

そもそも諸葛亮は司馬懿のライバルなんかじゃないしね
一体誰なんだ、二人をライバルに仕立てたのは

323 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 00:33:37
まて、総司令官同士幾度と戦をした相手なら
普通はライバルとして捉えられるはずだろ?

324 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 02:54:57
>>321
司馬懿が荀ケらと同じ派閥という根拠はない。「名士」にもさまざまな派閥がある。
人格軽視・能力重視の人事を行ったのは諸葛亮も同様であり、
魏延は劉備にとっては有用で、諸葛亮とは馬が合わない系統の人間だったというだけでしかない。
楊儀に至っては劉巴と仲違いして左遷されていたのを諸葛亮自ら丞相府に招いている。
益州は秦代から開発が進められた「天府」で後漢末の疲弊を免れた土地であり、
統治の質では中原より遥かに有利な環境にある。
劉備がここに割拠し得た恩恵の上に諸葛亮の手腕が重なって北伐の蜀兵が生まれたのであり、
一方的に足を引っ張られたなどというのは意味がない。

儒教は王朝交替を是とする思想。
また漢初以降も、諸王は漢にとって「外国」と認識されており、君臣関係の倫理から見ても、
魏臣達は魏臣の位を受けた時点で漢への義務感情は大きく減退することになる。
つまり魏臣になった者は早晩王朝交替が起こる目算で臣下となったのだと考えてよい。
正始の変は「曹氏vs他氏」なんてもんではなく、漢でも呉でもその後の王朝でも腐るほど起きた、
幼弱の皇帝即位に付け込んだ権臣同士の政争の一つに過ぎない。

この時代の廷臣達は、まっとうな成人君主を相手に「君主権力とせめぎ合って勝ち取」ることは
ついに出来なかった。桓帝・霊帝・劉禅・孫皓らでさえも、純粋な臣下との闘争では終始有利を維持して終わった。
政略によって権臣が皇帝の優位に立てたのは、「託孤寄命」の臣になることに成功したり、
即位のごたごたで大きな借りを作ることに成功したり、臨朝皇太后の強力な指示を得られたときだけ。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 08:26:53
>>320
衆議に反して抜擢した街亭の馬謖は言うまでもなく
わざわざ聞いた楊洪の意見に反して張裔を留府長史に登用したように
諸葛亮が他者の意見を退けて自説を通した記事はあるけど
逆に諸葛亮が他者の意見を容れて自説を曲げたことってあったっけ
(徴兵の件で楊洪の意見を採用したとする記事はあるけど
諸葛亮自身反対していたようには書かれていない)

326 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 11:02:27
司馬一族の乱が成功裏に終わったのは、
そもそも魏の成り立ち自体が弱肉強食の産物であり、成り代わりに対する抵抗感が低かったせいもあると思う。
これが蜀だったら、心理的な抵抗感はもっとあったろう。
と言うか、そもそも帝位を狙うという発想が生まれなかったかもしれん。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 11:46:39
弱肉強食はあらゆる王朝が同じだけどね
心理的にも体制的にも王朝として安定する時間が足りなかったという一因はあるだろうな

328 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:03:31
>>324
孔子の哲学であった儒教は後漢になって「宗教」にまでなった。
三国志の時代、「漢=天」の価値観が人々に根付いていた。
漢に対する思いは帰属した者の義務感情などといった簡単なものではなかった。
信奉に背くことを強いられたに等しいのだから。

曹操は簒奪(禅譲どちらでも)を目指して
漢朝の正統性を守る儒教の力を弱めに掛かった。
名士という言葉は好きではないが、名士は儒教の影響下にあるのが一般的で、
曹操の建国志向は必然的に名士との対立を生むものだった。
曹操が漢の再興を旗印にしている内は問題なかったが、
曹氏建国の野望を露わにすると名士との対立は決定的なものとなった。

329 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:04:59
魏朝下で、儒教の人々名士は「皇室」をもはや“神”とは思って居らず
「人対人」という意識で居たに違いない。
魏への臣従は漢へのそれとは違い、お互いを利用し合う「ビジネス」に近かかったろう。
上下に差がないというのは"不安定"であり、
臣下であっても機会さえあらば取って代わろうと思える状態だ。
君主はより力を得て政権を安定させようと図るし
臣下は臣下で自分たちの権益を守ろうと図る。
そんな中、生まれたのが九品官人法で、
曹氏の対立で死んだ名士筆頭荀ケの後継者陳羣が立てた。
九品官人法は名士の既得権益を守るのに都合良い制度で、
臣下に力を持たせることが不都合に繋がる君主というものにとって
歓迎できる制度ではないが、曹丕は禅譲を名士に認めさせる事と引き替えにこれを呑んだ。

330 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:05:44
司馬懿は荀ケに推挙された。これが同じ派閥だったという根拠。

正始の政変は単なる権臣の政争ではない。
司馬懿を斥けた曹爽政権 の中心人物
曹爽は言うまでもないが、
曹操の側室の連れ子で、養子となって曹操に非常に可愛がられた何晏
夏侯氏で、九品官人法を批判した夏侯玄
曹操の同郷人で挙兵以来の寵臣丁斐の子、丁謐

曹爽政権は曹氏一派で固められた政権だった。
当時の名士筆頭司馬懿を閉め出すというのは
他氏を排斥して曹氏で独裁(独占の意見合い)することを意味する。
当然、他氏と対立する。

政争と呼ぶものがあったとすれば、それは曹爽のこうした動きの成就であり
司馬懿は政争に敗れた。それを剣の力でひっくり返したに過ぎない。
それも堂々の剣ではなく、衣服の下に隠し持った剣でね。

331 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:06:35

>人格軽視・能力重視の人事を行ったのは諸葛亮も同様であり
諸葛亮は人格重視だよ。

>魏延は劉備にとっては有用で、諸葛亮とは馬が合わない系統の人間だったというだけでしかない。
劉備は人を見る目がない。いや、持っていない。
というのも、劉備は国家のビジョンというものを持っていなかったように思えてならない。
ビジョンがなければ、どういう国家を作るのが善く、そのために必要な要素は何か
など考えることが出来ない。人を人材として判断する基準がないんだ。
劉備の人事にはビジョンとかそういうものを感じない。
劉備は、"友達作りは上手でも経営センスがない社長"といったところだろう。
諸葛亮には明確にビジョンがあった。

>楊儀
楊儀は上司である劉巴と折り合いが悪く、左遷された。
関係上仕方ない措置だが偏った不当な処遇だった。劉巴亡き後、中央に戻すのは妥当な措置。
楊儀は真っ直ぐな性格で、そのため人とぶつかることもあった。
魏延と楊儀の仲違いは魏延の方に非がある。
楊儀は魏延に巻き込まれて小人物とされてしまった被災者と言えるだろう。
楊儀には同情する。

>劉備がここに割拠し得た恩恵の上に諸葛亮の手腕が重なって北伐の蜀兵が生まれたのであり
>一方的に足を引っ張られたなどというのは意味がない。
夷陵の大敗で荊州の兵を全て失った。これ計算に入れてる?
それに劉備に益州を視野に入れさせたのは諸葛亮だ。益州取りは劉備の力だけではない。
勢力の土台となった荊州南部を手に入れたのもね。

>>325
書かれてないだけで、まぁ、あるんじゃない、何度かそういうことも。
>>320は薫和伝にある話。それによると胡済という人物に間違いを正されたとあるね。

332 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:07:25
>>323
実力が拮抗していることがライバルの条件だろ?

333 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:19:09
董(とう)を薫(くん)と打ってしまう時点で説得力皆無

334 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:24:07
あ、w

335 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:25:56
「くん」と打ったのではなく「かおる」と打って書いた。
誤字だ。

336 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:32:41
>>335
どっちでも恥ずかしさは同じだから安心してフェードアウトしていいよ

337 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:36:03
別に大して恥ずかしくないが?

小ちゃな事は気にするな

338 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:45:02
>>328
>三国志の時代、「漢=天」の価値観が人々に根付いていた。
根付いていなかったんだよ。
天は天、漢家は漢家。別のもの。時世が変われば天命も遷る。
この時代の忠誠心とは、直接の恩を受けたり、禄を食むことで初めて具体的なものになる。
一般の庶人・庶民は、生まれたときから国家に帰属しているなんて意識を殆ど持っていなかった。
だから門生故吏という概念が強く意味を持ち、
乱世となれば豪族や部曲将が民・兵を引き連れて勝手に移動することが出来た。
皇帝はもまた、庶人を「臣」として官僚制度に組み込むことで忠誠を得ようとした。
皇帝に一極の忠誠を払うべきという思想が国土の構成員そのものに浸透するには
朱子学以降を待たなければならない。

339 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 21:55:07
またテンプレ厨が荒してるのかと思ったら中身ちゃんとしてた。

340 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 22:17:44
根付いて居たろうよ。

>天命も遷る
漢室は天命を預かっているわけだ。
「漢=天」と言ってもそのまま神と言っているわけではなく
漢の皇室は神属性とでもいうべき冒しがたいものを帯びていた。

「蒼天すでに死す」じゃないが、漢室を天に当てている言葉があるということは
そういうことだ。漢=天。天子という言葉にも思想が表れているね。


忠誠という言葉は曖昧だ。
簡単に言えば、真心と言責を以て仕えると言うことか。
庶民にそんな上等な観念はなかっただろう。
門生・故吏は別に漢=天を否定するものではないだろう。
直属の主人に仕えるのは何処の世界でも基本だろう。
曹芳が殺された時、討つ兵士には抵抗感があったよね。
これに門生故吏と天(皇帝)の関係が表れていると思う。

341 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/04(日) 22:39:26
庶民じゃなくて庶人。官吏となりうる階層のこと。

天子が冒しがたい神聖を帯びるのは、天子が天地を祀り、
人を治める力を持ち、義務を果たしている時代でのこと。
天子としての影響力・皇帝としての支配力が減衰すれば、
皇帝に即位する人物であろうと「天子」ではなくなる。儒学では。
だから儒学では、王朝交替も、一人の皇帝の廃立も、倫理的に支持され得る。
他の全ての禅譲や放伐革命と同じく、後漢末に起きていたのはそういうこと。
結局曹髦が殺されたのは、>>340の言いようとは全く逆に、
天子の不可侵の流動性と、君臣関係の相対性を示す好例。

342 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 01:06:28
ああ、曹芳じゃなく曹髦ね。

儒教が皇帝と結び付いたのは漢からだよねぇ

「天子が天地を祀り〜「天子」ではなくなる。」
これは皇室の正統性を保証する論を逆手に取ったような論だよね。
誰がこのようなことを言うかというと、
皇帝を凌ぐほどの力を付けた簒奪を狙う実力者だろう。
つまり不忠者である簒奪者の言い分だ。
あっと言う間に滅んだ秦が皇帝の始まりだから
漢室というのは、実質上の初めての天の皇統と言うことになる。
途中新を挟むが漢は4百年続いた。
始まりから三国志の時代に至るまで皇帝=天子のイメージを、漢は独占している。
つまり、漢=皇帝=天なのだ。

漢代の学問は儒教なので、庶人だの名士だので儒教思想を身につけていない者はいない。
そしてその儒教は漢の正統性を保証し、天とする。
後漢末の庶人は漢臣の子孫で、漢の子らということになる。
儒教を修めているその漢の子らが国家への帰属意識を持っていなかったとは考えにくい。

後漢が滅び、魏に遷ったことで
それまでの価値観は少なからず変わり、
天子の不可侵性は流動的なものとなった。
魏晋があっさり滅び五胡十六国という混沌の時代に移っていったのはこの為だ。
時代に合わせて行われた儒教解釈は後漢と魏晋以降では異なるはずだ。
だから、儒教の知識をバックボーンにしてるっぽいが、
三国志の時代を語るにあたりその辺を考慮しなければいけないと思う。

343 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 01:07:31
>結局曹髦が殺されたのは、>>340の言いようとは全く逆に、
>天子の不可侵の流動性と、君臣関係の相対性を示す好例。
俺は庶民について語って、>>341は庶人について語っている。
逆になるね。

一兵卒にとっては、皇帝というのは遙か雲の上の存在で
簒奪だの禅譲だの事件があっても関係がなく、その影響を受けはしないだろう。
一兵卒の価値観は後漢の時代の庶民のそれと変わらない。
だから「皇帝」に剣を向けることが出来なかった。
しかし、指示した将にとっては
「皇帝」は皇帝でも魏の皇帝は簒奪を経た皇帝なので神性は失われ、
漢臣にとっての漢の皇帝とは異なり、天ではなかった。だから剣を向けれた。
この将と兵士2者の価値観はそのまま新旧の価値観と言える。
兵士(庶民)の価値観は曹氏による帝位簒奪の後も保存されていたわけだ。

ほんとこの件は良いサンプルだね。

344 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 02:08:01
>>342-343
ことの発端は

>魏臣の多くが曹氏の建国をおもしろく思わなかった。
>曹操の軍事力の前に認めざるを得なかったというのが正直なところだろう。
>魏の建国は曹氏vs他氏という対立の内部構造を生んだ。

漢魏の臣の立場と儒学の素養の話だから、
正統的な儒学の持たない庶民の話は初めからしてないよ。
屯騎校尉の将兵がまったくの庶民だったとは思い難いけど。


誰であろうと、「天子」」「皇帝」を廃するなり殺すなりするのに非常に大きな抵抗を感じるのは当たり前だ。
が、儒者達が従うのは、原理的には、天命・天道であって、天に地上の祭祀を委託される「天子」に無条件で従うのではない。
原理的に彼らは「漢家(国家)の子」なのではないんだよ。君主に従属するには君臣の関係を結ばなければならない。

霍光はおそるおそるながら天子の廃立を達成したが、その名分によると、
「昌邑王が祭祀を受け継ぐことができず、漢氏が天下所有を失うのではないか」と危惧している。
廃立が成功したあとに、「王は淫乱で天に見放された」と語っている。
霍光の正体が、「不忠者である簒奪者」未遂犯だった可能性は勿論あるが、個人の思惑を越えて、
この廃立は善事として後漢代の史書「漢書」に記される。この時点で漢=皇帝=天ではないことがわかる。

そして、遅くとも後漢末(魏公国の建国前)には漢家と諸家の関係が強く相対的なものになっていたという例証を
韓嵩が示している。彼は劉表に対して言うには、
「今の自分はあなたと君臣の関係にあり、それを死守するつもりだが、都にいって天子に官を
貰ってしまえば、自分は天子の臣となってしまうので、義としてあなたのために死ぬことはできなくなる」。
事実その通りに行動した。妻蔡氏は「その言は直」といい、韓嵩の態度は美事として残されている。

345 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 07:40:33
>>331
>劉備は人を見る目がない。
魏延が抜擢されたポストはもともと張飛が確実視されていたものだし
その後北伐が開始されるまでに魏延が問題を起こした形跡もない
だから魏延の件では「劉備に人を見る目がない」とは言えない

>劉備は国家のビジョンというものを持っていなかった
漢の継続をほとんど唯一の名目にして即位しながら
諸葛亮相手に「君可自取」等という遺言を遺す時点で
劉備に国家・王朝レベルのビジョンがなかったのは確かだろう
(遺言が劉備の本意ではなかったとすれば別だが)

>楊儀
魏延を倒した後の態度を見る限り
彼の性格に非がなかったとは言えないだろう

>書かれてないだけで、まぁ、あるんじゃない、
具体例がないのにその評判だけが伝わっている場合
(しかも董和伝にあるのは「諸葛亮本人の自称」だし)
本当にそうだったかは疑う必要があるのでは

346 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 21:54:50
>>344
>漢家と諸家の関係が強く相対的なもの〜韓嵩が示している

韓嵩は無論漢臣。
漢の州牧の從事中郎が漢臣で無いわけはない。
韓嵩は天子の陪臣であったが、天子から官を貰えば直臣となる。

陪臣も君主に対し臣下の礼をとる。
「臣下の臣下は臣下ではない」とは、極論で
その道理が通るのは極限的な状況だけ。

君主は陪臣に対しても命令権を持つ。
しかし他国の臣に対して命令権はない。
この違いは陪臣が君主と従属関係にあることを示す。


347 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 21:56:07
韓嵩のそれは
韓嵩が天子の直臣となってしまえば、
韓嵩に直属の主人である天子の為に命を使う義務が生じる。
それが臣たる者の道義で、それに対し誠実でなければ
韓嵩は忠義というものに背くことになる。
誠実であるためには純粋でなければならない。
劉表の為に全身全霊を傾けつつ、同時に天子の為に全身全霊を傾けるというのは不可能。
全身全霊を傾ける為には純粋である必要がある。それが忠義の道。

天子とその臣下を並べた場合、圧倒的に天子の方が重い。
天子の直臣が天子とその臣下を前にどちらを選ぶのが道かは明らか。
韓嵩は天子の直臣となった時点で、劉表に対する忠義を捨てなければならない。
そういう話。
漢家と諸家とかの話ではない。



韓嵩のこの件は韓嵩のような立場の者が漢臣であることを示している。
節義に篤い韓嵩なのに、その頭には天子がくれる官を拒否するという選択肢がない。
おそらく立場的に任官を拒否出来ないのだろう。それが常識だったと窺い知れる。
これは韓嵩のような立場の者が漢の天子に服従している証左と言える。
まぁそもそも漢の州牧の從事中郎が漢臣なのは明らかだけど。

348 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 21:58:38

>霍光
>〜、この時点で漢=皇帝=天ではないことがわかる。
言ってることがよくわからない。
もうっちょっと説明して欲しいところだが、



儒者達が従うのは「孔子の言動」。これが儒教の原理。
天命・天道という考えは殷からあって、社稷を守るというのが王朝による支配の大義名分。
儒教は前漢景帝の時代、漢の保護を受ける為に漢を正統化する宗教と化していった。
おそらくこの時に天道思想と孔子の言葉を結びつけた。
あくまで儒教の原理は孔子。
霍光の言は儒教と言うより天道思想。
君臣を説く儒教の原理ではない。
よって「"儒者"達」と、"天子"と臣の関係を儒教で語るのは若干相応しくない。

皇帝は天と人という二元論では語れない。
例えるなら、皇帝はキリストと同じ。
「キリスト」は神ではないが人でもない。神の子だ。
神の子というのは二元論的存在ではなく、属性的に中間にある存在。
人間の視点で見れば、それは神の属性を帯びた何かであり、
天の一物だ。


349 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:00:04
漢の高祖劉邦の伝説を見れば、劉邦は天に選ばれた者と考えられていることが分かる。
天が劉邦に天下を取らせ、その国が漢なのであるから
漢の帝位というのは天の御心によりあるということになる。
無論、人間ごときがおいそれと触れてよいものではない。
しかし、天子には社稷を守るという何より重大な職務があるので
天子に就く人間がそれを全うできる品格を求められるのは道理。
昌邑王の事件は裏に色々あるらしいが、盧植曰く昌邑王の罪過は千を越えるらしいので
表面の歴史上、昌邑王廃立の臣下の申し立ては当然か。
霍光が新帝(昌邑王)との君臣の義よりも漢室への忠誠を重んじたと考えることが出来る。
正確には天子というのは人ではなく位なのだから。
やはり、皇帝=天だろう。ここで言っている「天」とは蓋し天ではなく「天属性を帯びた存在」のこと。


それと、漢=皇帝=天というのは三国志の時代(後漢)の見方のことで、
それはその時点での、
歴史上、実質上の唯一の皇統というものと、
四百年の伝統とが相まって成る価値観。
あとは儒教の漢正統論による保証。
霍光の時代はまだ130年程しか経っておらず
後漢末の四百年の伝統とは重みが違う。
漢の神格はその分更に成長していると考えるのが自然じゃないかな。


350 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:02:09
>原理的に彼らは「漢家(国家)の子」なのではないんだよ。

>君主に従属するには君臣の関係を結ばなければならない。
うん。しかし、宮仕えしてない者は、臣ではなくとも漢の人民だよ。
皆、漢人。これに契りは必要ない。
漢の土地の家に生まれた者は無条件に漢人となる。
漢臣の子孫なら尚更その意識は高いだろう。「漢人」は「漢臣」とはまた別。
漢臣は広い意味での公務員で、就職という契約が必要だ。原理的に。

王朝には人事権があり、人士の身分という者は王朝が保証している。
階層・身分というのは、公務員契約である「臣」か否かとは別の所にあって
社会にある。その社会を支配するのが王朝。
人士は仕官の如何に関わらずそうして王朝と繋がっている。
李厳は弾劾され、職を追われただけでなく平民に落とされた。
そのようなことが出来るのも、王朝が社会の末端まで
支配という影響力を充分に持っているからで、
人士と国家が臣従契約によって初めて結ばれているのであれば
李厳は"契約解除"に止まっただろう。国家にそれ以上の権利はないはずだから。
それが人としてのものまで剥奪されたということは
国家にその権利があったということ。
権利の存在は繋がりの存在を示す。
在野の人士であっても国家と支配という形で繋がっている。
無論、漢人が漢を嫌う理由もない。
思想的に国家からの精神的な独立を果たそうとする者は身分を捨てるだろう。
帰属意識を持たないまま一端面して他の人士と肩を並べて語り合うような事はせず、
文字通り世捨て人となるはずだ。

351 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:04:29
>漢魏の臣の立場と儒学の素養の話だから、
>正統的な儒学の持たない庶民の話は初めからしてないよ。
「皇帝=天」の話なので、その価値観を持つ主格は臣民。>>328「人々」。
「漢室=天」という"価値観"は別に儒教の教義ではないので
儒学を勉学として学んでいないとかは関係ない。
そんで、本題
荀ケは曹操の公への進爵を、「義」「忠貞」を挙げて反対した。
これは「道理」の話で、抵抗感といったものは心の問題だから道理では語れない。
その心の問題は、冒しがたい存在感、漢室=天という"価値観"に由来する。

王莽は孔子の予言書を使い自分の正統性を主張し、この問題を乗り越えようとした。
光武帝も孔子の予言書を使い後漢の正統性を主張した。
『漢を継ぐは高なり』だっけ?後漢末この予言の解釈に忙しかった。
予言が大きな意味を持っているこういう宗教チックな考えは
逆説的に漢の帝位の天属性が強固なものだったことを意味する。

352 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:25:57
>>345
>だから魏延の件では「劉備に人を見る目がない」とは言えない
ああいや、そういう事じゃなくてね、
「劉備は人を見る目がない。」は「人を人材として判断する基準がないんだ。 」まで1セット。


>楊儀
楊儀を大人物とは思わないが、小人物と評価されるまでに至ったのは
魏延との深い確執に引きずられたところが大ではないかと思う。
本来、人格的に褒められるところも非難されるところも大してないような
普通レベルの人じゃないだろうか。人格は。


>本当にそうだったかは疑う必要があるのでは
それを言ったらきりがない。
人の意見を聞いて改めた例話なんてある方が珍しい。
「帝紀」でもないんだし尚更。
そういう中で、本人談は割と信憑性ある方だと思うけど?

353 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:32:27
>>346-
わけわからん。
歴史上の儒者の誰も言ってないような論理を創作されても手におえない

354 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:37:52
創作してないけどなぁ

355 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 22:52:33
『論語読みの論語知らず』って言葉がふと思い浮かんだ

356 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/05(月) 23:33:07
まず、漢帝が「天子」と「皇帝」の二重の特性を持っていたと指摘されていることは知ってる?

そのうち、今問題になる「天子」とは、勿論三皇五帝を発祥とし、周王朝、そして儒学によって理想化された、
天下の祭祀を掌る者。
天子とは、天地の調和を守る神官的存在であり、礼教によって天下を治め、
陰陽五行の流転を乱す者を罰するという名目によって、はじめて他者に刑罰を下すことが出来る。
(五刑の最上に当たるのが「兵」であり、天子思想においては戦争も刑罰の一つにすぎない)
この封建的特性を強く保持する「天子」思想においては、天下諸家は全て独立・並立する地位にある。
倫理としては身分・立場ごとの分を守るという「孝」を尊び、天に対して己の身を正し、家を保全して
「調和」を守ることに最上の価値を置く。「罪を罰する」とか「恩に報いる」というのは、この調和を守る行為になる。
「忠」はその次に位置する。
この倫理思想によって政治を掣肘することができるのが儒学の特質だ。
だから儒者は、「そのような行いは天の意志に背く(調和を乱す)」という理由で天子に諫言することができる。
天子の廃立、王朝交替は、その延長線上に見えてくるものであって、儒学にとっては必ずしも悪ではない。
一元的宗教・西洋的絶対君主とはほとんど対極に位置するのが「天子」という存在。

それに対して、官僚制・法治・賞罰・利害によって臣を拘束し、ひたすらな「忠」を求めるのは、
漢代では「皇帝」の思想に分類される。これは勿論、始皇帝によって始められたもの。

漢魏代では、儒者官僚が政治勢力の一翼を担ったように(政権を握ったことはあまり無かったが)、
儒学が大きな力を持っていて、この儒学にはまだ、周・春秋の遺風が残っていた。
王氏、曹氏、司馬氏は、純粋な野心によって簒奪を企図したかもしれない。
しかし、それに従う前漢末、後漢末、魏末の儒者達は、その自らの倫理観に従うからこそ、
天意を失ったとみられる旧王朝を捨て、王朝交替を積極的に支持することもできたし、そのように自らを納得させることもできた。
この一種の信仰心が極めて強い強制力を持つ時代だから、王・曹・司馬氏はいずれも10年以上の時間をかけ、
一代での拙速な革命を避け、儀礼を整え、禅譲の体勢が熟すのを待って、ようやく革命に漕ぎ着けたわけだ。

宮廷内外での軍事力を掌握することは、確かに権力を握る重要なポイントだよ。
別に禅譲までいかなくとも、漢代に多くの権臣・外戚が踏んだセオリー中のセオリーだ(その多くは中途で失敗して滅亡したが)。
しかし、「天子」をどうにかするという段になるとは話は別。
強大な軍事力があれば他の郡臣を無理矢理従わせて天子になれる、とか単純なものではない。

357 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 07:36:50
>>352
>「劉備は人を見る目がない。」は「人を人材として判断する基準がないんだ。 」まで1セット。
繰り返すけど劉備が魏延を抜擢したのは「漢中の守将」としてであり
(北伐の際の主力を想定していたかもしれないけど)
少なくとも魏延がその任務で失敗した記録はない
魏延が問題を起こしたのはあくまでも北伐開始後だから
劉備の失敗として魏延抜擢を挙げるのは明らかにおかしい

>人の意見を聞いて改めた例話なんてある方が珍しい。
曹操について少し見ただけでも
官渡から撤退しようとしたのを荀ケに説得された(荀ケ伝)
関羽の北上で遷都しようとしたのを説得された(蒋済伝,晋書宣帝紀)
と曹操の意図を変えさせた事例は出てくる
権力・立場だけ見れば曹操と諸葛亮はほぼ同じだから
そのような事例があれば意見者の功績として記録されるはずなのに
全く記録のない諸葛亮執政期にはそのような事例はなかった可能性が高い
>>325のように諸葛亮が聴かなかった事例だけはあるのだから
諸葛亮は人の意見を自分の意見より優先させることはなかったのだと思う
(諸葛亮が聴かなかったのか部下が言わなかったのかまでは分からないけど)

358 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:17:01
>>356
>漢帝が「天子」と「皇帝」の二重の特性を持っていたと指摘されていることは知ってる?
知らない。というか歴史愛好家の言ってるそんな戯れ言どうでもいい。

天子は皇帝の別称。
「天子」は天帝の子の意味で、君主の支配を正統化する大義名分。
「皇帝」は詰まるところ「王」で、「王」は鉞の象形で武力と不可分。
「王」は武力で支配し、「天子」は天命により支配する。
「王」が"実"で「天子」は"名"。


「皇帝」という称号は、皇−帝−王−公の序列に基づいていて、
秦王嬴政(始皇帝)の功業が伝説の三皇・五帝を超えるものであったので、
称号は帝の上しかし謙虚に三皇より下として皇と称するのを辞し、
帝より上位の帝「皇帝」が創られた。

秦の政治と結びつけ「皇帝」にそれ以上の意味を見出そうと試みるのはナンセンス。

七雄の一国がそのような政治を行い、力を付け天下を制した。
それだけのこと。

「そのような政治」を行ったのは秦"王"。
法治も徳治も、郡県も封建も、為政者の政治方針の選択肢に過ぎない。
王も皇帝もないよ。

359 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:17:43
法というものは古くからあって、孔子も魯相の時代に法を定めてる。
儒教の説く徳治主義は、人の非行を礼により諭すというという考え。
韓非の説く法治主義は、法で人を抑えつけるという考え。
法というものに対する姿勢が違うだけ。
孔子は法は定めても執行しなかった。これが儒教の理想とされた。

秦は中央集権国家を目指し、君主権力を強固なものにしようと
郡県制を布き封建制を廃した。これに儒者が反対した為
思想改革である焚書、粛正である坑儒を行った。
これは反儒であるが、これが「皇帝」ではない。


皇帝と天子を別と考えているようだけど、
キーマンのように考えていると見受けられる「始皇帝」も「天子」って呼ばれてるよ?


360 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:20:21
>天子とは、天地の調和を〜陰陽五行の流転を乱す者を罰す〜
>〜戦争も刑罰の一つにすぎない〜天下諸家は全て独立・並立する地位にある。
これって五覇と無関係ではないだろうね。会盟政治の思想じゃないの?


>身分・立場ごとの分を守るという「孝」
「孝」は
よく父母に仕えるということ。よく先祖を祭り、その志を継ぐということ。
『孝悌は仁の元なり』

封建を解くというのは孝に反する。儒者の反発は当然だよね。


361 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:22:17

大木も大工道具があれば伐れる。
しかし神木となればそうはいかない。
お祓いする必要がある。

樹は伐られるべくして伐られるのではなく、単に人間の都合で伐られる。
人間は神木を伐る抵抗感を無くす為、お祓いをする。

大工道具は武力、神木は帝位。
お祓いは心的拘束を解くためにする神属性の儀式で、簒奪の道理付け。

樹を伐りたい者だけがお祓いを必要とするんだよ。


362 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:36:07
>>357
>魏延
繰り返すけど「基準がないんだ。 」まで1セット。
一般的な「見る目がない」は見抜く能力の高低を言うけど
俺が言ってるのは、見る目というもの自体を持っていないってこと。

魏延はサッカーで喩えるなら「スター選手」だったように思える。
人気がじゃなく、振る舞いが。

孔明監督は先帝の督漢中・四鎮将軍"スター選手"の魏延に苦労させられた。
人気・経済面を無視できれば、チームにスターは要らない。
蜀は営利球団じゃないのだからスターなんて要らないんだ。調和を壊すだけ。
関張諸葛ほど他国に武威を効かせられるならまだしも。
(サッカーに喩えたから軽くなったが本当は重い)
振る舞いを慎む人間性は高位になる程重要。ビジョンがあったらこういう人事はしない。



>諸葛亮
曹操時代の魏臣で立伝された人物と諸葛亮時代の蜀臣で立伝された人物の数に差がある。
曹操の名が登場する人物伝の数と、諸葛亮のそれとではまず比較にならない。
つぎに曹操には意外と欠点が多い。案外ヘボかったりもする。
他人に諭されるべき機会も曹操の方が多かったと思う。

363 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:50:13
東大史学に喧嘩売った子がいると聞いて来ました

364 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:56:20
>>358
>知らない。というか歴史愛好家の言ってるそんな戯れ言どうでもいい。
あっそう。
俺自身はただの歴史愛好者だが、そういう言い方をするならば、君には歴史学徒であるとの自負があるのだろう。
ならば、上谷浩一、富谷健之、好並隆司などの諸論文を一読してから出直してきてくれ。
漢代政治史研究の基本の一つだから。
その後でければ、「歴史愛好家の戯言」を全否定してしまった君には何も語る資格はない。

オワリ。

365 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 21:59:53
すまん、富田健之だ。人名間違っちゃいかんよね

366 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:14:25
暇なんで>>357の続きと補足を
>諸葛亮には明確にビジョンがあった。(>>331
楊洪伝注引益部耆舊傳雜記に何祇の記事が引用されていて
「諸葛亮は仕事をさぼっている何祇を抜き打ちで監査しようとしたが,
何祇は徹夜で準備して抜かりなく対応したので評価された」とある
これだけなら何祇の要領のよさを称える記事に過ぎないけど
現に仕事をさぼってた龐統や蔣琬を擁護したのが諸葛亮であることを考えれば
単に自分と親しい人物には甘いという見方も出来る
それは劉備自ら「不可大用」と言い遺した馬謖を重用して
最前線の主将にまで登用したことからもうかがえる
(裴松之は諸葛亮と馬良が義兄弟であったとまで言うから
諸葛亮と馬兄弟が親しかったことは明らかだろう)

魏延が問題を起こしたとされる記録は
対諸葛亮:(第1時北伐以降)意見を却下されて公然と反発した
対劉琰:(232年に)不仲になった
対楊儀:憎みあっていた
(費禕伝に記載される両者の肩書きが軍師と長史だから
魏延が前軍師に就任した230年以降の話だろう)
であるのに対し楊儀は
対劉巴:不仲だったので左遷された
>>331がどう考えているかはともかく
少なくともこの件で劉巴が悪いという説は聞いたことがない)
対魏延:上に同じ
対蒋琬?:恨みを公言して失脚した
ついでに諸葛亮:「以儀性狷狹」と評され後継者として認められず
だから魏延よりもむしろ楊儀の方が問題を起こした期間は長い

367 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:15:21
>君には歴史学徒であるとの自負があるのだろう。
まったくない。
なので「ならば、」はない。
読んで自分の知識としているのなら論拠など要点をまとめて反論すればいいんじゃないかな?
全否定出来ないものなんだろう?

368 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:22:49
悪いが、漢代の「天子と皇帝」について纏めた「歴史愛好家」の言葉(>>356)を、
「戯言」として頭から全否定する類の輩を相手に、これ以上言葉を費やすほどマゾでない。
専門家の言葉によって説得して貰う以外に、俺には適切な対処を思いつかないので、そのように努力してくれ。
論文はCiNiiで適当に検索してオンラインで国会図書館にコピーを依頼すれば素人でも入手できる。
あとは参考文献を芋づる式に辿っていけばいいので簡単だよ。
勿論、努力するかしないかはそちらの自由なのでしなくとも責めはしないが。

369 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:47:07
あそ。

「頭から」ってのには語弊を感じるね。
何者が唱えていようがそんな事は関係ない。
言説自体が有する説得力以外には何も存在し得ない。
君の書いた>>356は説得力に欠ける。論拠を欠くからね。
是非その説の論拠を書いて欲しいもんだよ。
「皇帝」「天子」という歴史の概念に余計な考察をねじ込むんだ、当然だろう?
たとえそれが他人の説であってもね。

370 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:48:34
延々考えている間に来てたのね

>>362
その魏延評自体は特に変ではないと思うけど
諸葛亮が魏延に苦労したということは
単に諸葛亮に人を使う能力がなかったということではないか
劉備は別に魏延の扱いに困っていなかったのだから
(関羽というもっと厄介なのがいたからというのもあるが)
諸葛亮で扱えない魏延が悪いと言うより
魏延を扱えない諸葛亮がその程度でしかなかったということ

あと蜀漢の立伝者が少ない件については明らかに諸葛亮の責任だろう
(陳寿は蜀漢が「注記無官」だったとし諸葛亮の不備としている
劉知幾等その信憑性を疑う者もいるけど
現に蜀漢の史官として仕えていた陳寿の言である以上
蜀漢末期には記録もろくに残っていなかったのだろう)

あと個人的には不得手なので触れなかったけど>>358
他者の意見を気に食わないとして否定するのは
ちゃんと立論できる限りには別に構わないけど
仮にも学問の一分野として扱われる歴史において
学説にも史書の記載も無視して己の妄想だけ述べるのは
いかがなものかと思うよ

371 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:49:08
×たとえそれが他人の説であってもね。
○たとえそれが他人の説を述べているだけであってもね。


372 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 22:53:27
>何者が唱えていようがそんな事は関係ない。
たしかに2chではそうあるのが暗黙の了解だと思っているが、
「歴史愛好家の戯れ言」と言っちゃった君は自らそのマナーを破っちゃったんだわ

373 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 23:23:00
>>370
>魏延
丞相には国主ほどの権威はない。
人を従わせるのは権威。
諸葛亮は上司といっても同僚。社長じゃない。
上司に身を低くするかは当人次第なところがある。

>立伝者が少ない件
三国志の著者陳寿にある。というか魏(晋)の世だから仕方ない。



あと、別に気にくわないことはない。
むしろ理性的だなと感心してるくらいだ。
まぁ、自論をねじ込む学者にはその人個人の臭さを感じて好きではないが。
369の書き込みから1分しか経ってないから読んでなかったんだろうけど
このスレの紙面上"妄想"なのは>>356。論拠書かなきゃいけない。
立論できてないだろ。


>>366
おろ?いつの間に…。

>現に仕事をさぼってた龐統や蔣琬を擁護したのが諸葛亮であることを考えれば
>単に自分と親しい人物には甘いという見方も出来る
「見方も出来る」というのは否定できないが
龐統や蔣琬のことはよく知っていたが、何祇のことはあまりよく知らなかった
という見方は否定できない。

魏延に関してこれ以上言うことは今のところない。


>>372
2ちゃんの話じゃないんで。

374 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 23:31:28
>>369
他者の説に論拠を求めるのは結構だけど
だったらせめて自分の説にも論拠を出してくれないか
もちろん通常の日本語が通じる人が読んで
「〜だからこう主張している」のが分かる程度でいいから

あと 漢=皇帝=天 について
>>370でも言ったとおり私は儒教のことは分からないけど
それでも東漢(後漢)滅亡後の三国時代において
「漢」を復興させようとする動きが
蜀漢の存在以外にほとんどなかったことくらいは知っている
(「三国志」や「華陽國志」はもちろん
蜀漢正統論の祖と言われる「漢晋春秋」にすらあったとは聞かない)
仮に 漢=皇帝=天 という考えがあったとしても
漢魏革命という現実の前には無力だったということだろう

375 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/06(火) 23:31:34
2chの話じゃないなら示された関係論文くらい読まないと。
先学の論を前提or批判せずに独自論理ぶっぱなしてられるのは
ネット上の弁論遊び(ここで俺らがやってることだ)でだけだから。

376 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 00:02:57
>>373
>人を従わせるのは権威。
魏公に就く前の曹操のように権力だけでもあれば可能だろう
まして諸葛亮は「君可自取」なんてお墨付きを得た身
劉禅よりも権威もあっただろう

>三国志の著者陳寿にある。というか魏(晋)の世だから仕方ない。
ごめん冗談抜きで意味が分からないのだが
蜀志よりも呉志の方が立伝者が多いことは知っているよな

>何祇のことはあまりよく知らなかったという見方は否定できない。
自分がよく知っているかどうかで扱いを変えること自体
身内に甘いということを示すものではないか
(ちなみに馬謖が処刑されたことについて
子玉の故事を引いて批判した蒋琬に諸葛亮は反論だけしているが「襄陽記」
おなじ故事を引いて批判した李邈は送還させられている「華陽國志」
まあ李邈の口が悪すぎたからかもしれないが)

377 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 00:14:44
劉備に人を見る目があるか、人事に卓越しているかと言われれば
全然そうは思わないが
それは魏延が理由じゃないなあ

関羽と不仲な糜芳を関羽の下に配して共に荊州のおさえにした事。
夷陵の戦いでの黄権の扱い
とくに役に立ったとも思えず、厄介事の火種になっただけの劉琰の厚遇
など

魏延は性格に問題あっても有能で、諸葛亮にとっても有益だったろう。扱いに苦労はしたけどね。
楊儀も同じく。諸葛亮が劉備に劣っているとも思わない。優劣がつけられるほどの判断材料は無いように見える。

378 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 07:44:11
>>377
確かに人を見る目について優劣を語るのは難しいね

劉備は旗揚げ以降長く戦場暮らしのたたき上げだったから
戦場で使えるかどうかの判断には長けていただろう
ただ関羽に一軍どころか一州を任せてしまったのが失敗だった

諸葛亮は教養人の出で主に内政、幕僚又は後方担当だったから
内政や軍政で使えるかどうかの判断には長けていただろう
ただ馬謖を政治家としてではなく最前線の司令官にしたのが失敗だった

他に適材適所な配置を行える人がいればよかったのだろうけど
馬謖はともかく関羽は他に処遇のしようがないか

379 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 19:38:31
>>378
劉備は教養人だが…?

ともかく、
戦場で使えるかどうかの判断だけに限定しても
諸葛亮が劉備に劣っているとは思わん

龐統は軍略に秀でているにも関わらず耒陽の県令に任じ
諸葛亮と魯粛が取り成していなければその才能を潰してしまうところだった
黄権の件では劉備自身も非を認めている。
このように、劉備にも失敗もある

諸葛亮の馬謖街亭の任は確かに失敗だと思うけど、
馬謖以外の武将の配置には問題は見受けられない
魏延や王平などの有能な将をちゃんと適所に用いてたしね

380 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 20:15:17
俺が思ってるより世間は語感が鈍いのかもしれないな。
抽象概念の使用別定義が伝わらなかったり
修辞技法中の句に食い付いたり
修辞文が読めていなかったり。

381 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 20:36:10
自分の脳内で捏ね上げられた語感を振り回すだけで、
人と語義を共有しようともしない者の言葉を
わざわざ忖度してあげる気にはならないのが「世間」という奴でね
当然反応は冷たくなる

382 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 20:48:13
反応が冷たいとかじゃなくてね。


>>376
同じ丞相でも曹操と諸葛亮は違うよ。

>劉禅よりも権威もあっただろう
あるわけないだろ。


>ごめん冗談抜きで意味が分からないのだが
「立伝者」が少ないのは、史官の問題より
三国志という書の構成バランスの問題が大きい。
書の中の魏志・蜀志・呉志の伝数はそのまま各国の存在感の比重を表すことになる。
蜀よりも呉の方が大きかったのは知っているよな
書にその世界観を反映させるにはどうすればいいと思う?


>自分がよく知っているかどうかで扱いを変えること自体
ズレてるよ。
龐統や蔣琬の事はよく知っている(把握している)ので
この問題は仕事の方が器に見合ってないからだと判断できた。
何祇のことはよく知らなかった(把握していない)ので問題を調査しようとした。
すると何祇が出来る子だったので、何祇を評価した。
依怙贔屓なら何祇を褒めないだろう。厳格にそれまでの怠慢を責めた筈だ。

383 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 20:49:15

>馬謖
馬謖は天才。

>李邈と蔣琬
「批判」という言葉は相応しくない。
李邈は諫言、蔣琬は質問。
それにTPOを検討する必要があるね。特にタイミング。
「亮將殺之」
李邈はまさに殺そうとするタイミングで諫言した。
馬謖は軍法会議に掛けられ死罪が決定し、それから処刑された。
李邈は正式な会議を経た決定事項に口を挟んだんだ。御法度だよ。
蔣琬は後日「あの判断は正しかったのですか?馬謖は必要だったのではありませんか?」と質問した。
決定事項に口を挟むのは進行妨害および秩序を乱す罪があるが、回顧には罪がない。
蔣琬の話からはパブリック色を感じないが、李邈の話からは感じる。場(P)も違うだろう。
二人は言ってることはほぼ同じだが、やってることは全然違う。

384 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 20:57:12
冷たいとかそういう問題なんだよ
この板で論陣張って何度も孤立した経験があると思うが、
それは人を納得させるテクニックが致命的に欠けているからだ

385 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 21:06:26
理解力の問題だ。

「反応が冷たいとかじゃなくてね。」というのもやはり読めていない。


386 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 21:58:01
さすがに単なる妄想には答えようがないけどね

>>378
>劉備は教養人だが…?
それはあくまでも諸葛亮との比較だから
でも劉備が学問を受けたのは確かだとしても
それが身に付いていたかどうかは分からないよ
(そもそも真面目にやっていない逸話があるぐらいだし)

>戦場で使えるかどうかの判断だけに限定しても
>諸葛亮が劉備に劣っているとは思わん
それを裏付けられるだけの「史実」が存在するのならぜひ教えてください
私が三国志その他を見た限りでは全く分からないので
(まさか事例一つ出せないということはないでしょ)

>龐統は軍略に秀でているにも関わらず(以下略)
権力者の息子とかならさすがに仕方ないとしても
下積みができないのに大官を任せろという考えが既におかしい
(3世紀の「名士様」と21世紀の社会人の価値観は違うだろうが)

>黄権の件では劉備自身も非を認めている。
黄権が曹魏に降伏したのは劉備が夷陵で惨敗したため
蜀漢に帰れなくなったのが原因だから
余程バカでない限り非を認めない方がおかしい

>馬謖以外の武将の配置には問題は見受けられない
それじゃ張休や李盛の立場はないな
(それ以前に相手が油断していたという意味で
辛うじて可能性の残っていた第1次北伐で失敗しておいて
問題はないと言っても負け犬の遠吠えでしかないが)


387 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 21:59:33
なんだ僕の持論を認めないのはおかしいってか?

388 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 22:14:12
>>382
>同じ丞相でも曹操と諸葛亮は違うよ。
「漢に取って代わる」という意識の有無は別として
曹操と諸葛亮の立場・権力にどれ程の差があるというのだ
(そりゃ曹操の方が支配地が広かった分強かっただろうけど
「対皇帝」という意味で差があったとは思えない)

>>劉禅よりも権威もあっただろう
>あるわけないだろ。
劉禅なんて諸葛亮死後ですら側近の董允を憚ってたのに
諸葛亮よりも権威があったとは思えないのだが

>蜀よりも呉の方が大きかったのは知っているよな
>書にその世界観を反映させるにはどうすればいいと思う?
陳寿は西晋や曹魏にこそ遠慮する必要もあっただろうが
まさか孫呉に遠慮することはありえないだろう

389 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 22:26:49
もうほっとけばいいのに優しい人が多いな

390 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/07(水) 22:41:33
>>383
>李邈は諫言、蔣琬は質問。
上司(しかも最高権力者)が行った行為について
本人に向かって「残念だ」ということが批判以外の何だというのだ
大体死刑に対する意見を事後に言ってどうするのだ

>馬謖は軍法会議に掛けられ死罪が決定し、それから処刑された。
>李邈は正式な会議を経た決定事項に口を挟んだんだ。御法度だよ。
そもそも蜀漢で軍法会議なんてものが行われた形跡もないし
ましてや李邈が諫めたのがその後だなんて根拠はどこにもない

>>389
まあ度々三戦板を見ている身として
言える範囲の事ぐらいは言っておこうかと

ただ馬謖は天才とか言われても対処のしようはないが

391 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 02:34:41
>>386
じゃあ馬謖じゃなくて街亭と言い直すよ。
こちらの言い方が悪かった。

裏付けを出してくれと言っても、こちらが言いたいのは
劉備にも諸葛亮にも成功例・失敗例と共にあるのだから、
諸葛亮の方が劣っていると
はっきり断定できるだけの判断材料はない、ってだけ
「裏付けは無いよね」ってこと

>>378も言っていたじゃないか。人の優劣を語るのは難しいって。
特定の事例だけに意識が行って木を見て森を見ずみたいな事にもなりかねないし

392 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 02:35:54
見る目について優劣を語るのは難しい、だった。訂正。

393 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 07:02:37
>>391
比較できるだけの裏付けがないのは確かだけど
最初に劉備の方が劣っていると言ったのはあなたですよ
そこまでリセットするのならそれでいいけど

394 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 20:37:50
まったく、、。ハン・ソロの相棒だな。

395 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 21:08:36
>>390
>批判以外の何だというのだ
取り敢えず国語辞典で各語を引こう。
それで分からないのなら語感が鈍すぎる。

>大体死刑に対する意見を事後に言ってどうするのだ
談話だろ。

>軍法会議
あのなぁ、、、。明記されてないと分からないのか?
無くてどうやって功罪量るんだよ。
街亭の軍の中で王平だけが賞され他は罰された。
どうやって裁いたと思ってんの?
三国志だと今思い浮かばないが漢書李広伝には軍法会議に当たるものが出てくる。
事情聴取・罪状認否が行われ、裁量される。

>ましてや李邈が諫めたのがその後だなんて根拠はどこにもない
挙げたろ。「亮將殺之」 。
「まさに」の意味が分からないとか? 辞書引こう。

396 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 21:10:40
>>388
>曹操と諸葛亮の立場・権力にどれ程の差があるというのだ
部下との間柄の話ってこと憶えてるかな?
曹操が丞相を務めた漢朝は二重組織だった。
「暴力団に乗っ取られた会社」と考えれば分かりやすい。
会社は表向き正常を装うため堅気を社長に据えているが、
暴力団の組長が専務として裏で実権を揮るい、
主要な職は組幹部で埋めている。社員も大半は組員。
これが曹操の漢朝。

この会社では、専務と部長は通常の専務と部長の間柄ではなく、親分と子分の間柄にある。

一方、諸葛亮と魏延は通常の専務と部長の間柄にある。
公平にヤクザ組織に置き換えてみるなら諸葛亮は若頭、魏延は弟分。

丞相曹操と丞相諸葛亮には、「親分」と「兄貴」の差がある。
配下と部下は違う。


>劉禅なんて諸葛亮死後ですら側近の董允を憚ってたのに
それは劉禅が董允の権力に怯えて彼の機嫌を損なうことを恐れてのことなら、
劉禅は弱い立場にいることになるが、
董允の言葉が正しいものでそれに諭されてのことなら、権力がどうのという話ではない。

権威というのは社会共通の価値観。
皇帝と丞相の上下ははっきりしているのに変なこと言うね。
曹操と漢皇帝(劉協)の権威は曹操のが上とか言いそうだな。


>まさか孫呉に遠慮することはありえないだろう
だから遠慮しての事じゃないって。
書に世界観を反映させたんだよ。

397 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 21:29:30
諸葛亮は節持ちだから。
軍事裁判権は当然諸葛亮個人にある。
司法権を複数で共有するものではないので軍法会議なんてものは存在しない。部下に諮問はしただろうけどね。
皇帝の勅命であろうと走り出て翻意を嘆願するというのは史書によくある話だ。
その行為を許すかどうかは主人の器量だが。

398 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 22:29:34
>>395
蔣琬の発言は
「昔楚殺得臣,然後文公喜可知也.天下未定而戮智計之士,豈不惜乎!」
だから有能な部下を失うことが敵の利益になるということであり
明らかに馬謖を失ったことを失敗だと言っている
(私にはあなたの言う語感は理解できないから説明してくださいよ)

>>軍法会議
>あのなぁ、、、。明記されてないと分からないのか?
>無くてどうやって功罪量るんだよ。
諸葛亮が権力を握っていた時は「政事無巨細,咸決於亮.」とされ
諸葛亮が死んだ後ですら
「自琬及禕,雖自身在外,慶賞刑威,皆遙先諮斷,然後乃行,其推任如此.」
と一々時の最高権力者にお伺いを立てて政治を行っていた蜀漢で
軍法会議なんてものが必要だったと思うのか
あったと言いたいのは勝手だがせめて立証したらどうだ

399 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 22:36:34
「司法権を複数で共有するものではないので」とか関係ないと思うよ。
様式は国や時代で様々だろう。合議制でないものは軍法会議ではないと誰が定義したんだ?

そもそも現代語を代用して概念を表しているだけなのに
様式が現代と違うからといって反論するようなことではないだろ。

400 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 23:05:14
定義付けも行わずに現代語を用いて違和感を覚えないのは史学にとって致命的な「語感」の無さだ

401 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 23:21:26
>>396
>>曹操と諸葛亮の立場・権力にどれ程の差があるというのだ
>部下との間柄の話ってこと憶えてるかな?
>曹操が丞相を務めた漢朝は二重組織だった。
建安期の曹操は録尚書事→司空→丞相と漢朝の官位を持ちながら
軍閥の長として実権を握っていた
その曹操を指して二重組織と呼ぶのなら
司空府や丞相府が漢王朝を凌ぐ実権を握っていたということだから
文字通り全権を握っていた諸葛亮の丞相府と一緒ではないか
(例えば劉備生存時に法正→劉巴→李厳と有力者が就いていた尚書令は
諸葛亮執政期には陳震が一時就いていただけで長く空白となっている
これは丞相府に全権を集めた結果ではないのか)

>董允の言葉が正しいものでそれに諭されてのことなら(以下略)
正しい言葉に諭されたのだったら
「憚る」なんて表現は適切でないと思うが
国語辞典じゃなくて漢和辞典を見ることをお勧めする

>皇帝と丞相の上下ははっきりしているのに変なこと言うね。
>曹操と漢皇帝(劉協)の権威は曹操のが上とか言いそうだな。
表向きはともかく現実としてはそうだっただろう
だから伏皇后すら平気で殺せたのじゃないか
(というか同族の劉備にすら勝手に王位を名乗られ
印綬を送り返された劉協に権威があったと思うのか)

>>まさか孫呉に遠慮することはありえないだろう
>だから遠慮しての事じゃないって。
>書に世界観を反映させたんだよ。
荊州奪取と夷陵の大勝という実績を誇る孫呉関係者はともかく
孫呉が蜀漢よりも上だなんて世界観が西晋期にあったと思うのか
(ましてや陳寿は益州出身で蜀漢の故吏だぞ)

402 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 23:25:25
>>399
>合議制でないものは軍法会議ではないと誰が定義したんだ?
存在を確認できないものを「なかった」として扱うのは常識ですよ
「あった」と言いたい側が照明しなきゃ

403 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/08(木) 23:52:32
>>402
×照明
○証明だったな
今日は早めに寝ます

>>398
李邈の件がタイミングまで含めて事実だとしたら
諸葛亮は部下の意見を聴かないどころか
意見する者を排除する人間だということになる

というか仮に諮問なり軍法会議なりがあった場合
丞相参軍(兼安漢将軍)の李邈はまず参加していただろうから
むしろ「自分に反対する意見を言ったから左遷した」ことになってしまう

404 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 00:10:44
>>398
>明らかに馬謖を失ったことを失敗だと言っている
どこが?

『昔楚殺得臣,然後文公喜可知也.』
この部分は、「敵の利益になる」と言っている。

『天下未定而戮智計之士,』(豈不惜乎!に続く)
この部分は「自国の損になる」ということを言っている部分。

『豈不惜乎!』
「どうして惜しくないことがありましょうか。」(=必要ではありませんか?)
原文には「!」は付いてない。


日本人の言語感覚では、エクスクラメーションマークは強すぎる。
日本語には向かない。

三国志中に「!」は沢山登場するが、邦訳文にそのまま「!」を付けると
おかしな感じになることが多い。
三国志の中が異常な激情家だらけになってしまう。

405 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 00:12:05

「どうして惜しくないことがありましょうか。」

「どうして惜しくないことがありましょうか!」

この違い分かる?
原文には「!」は付いてないんだよ。


三国志の中の「?」「!」は、
助字が「疑問」か「嘆きなどの強調」か、といったようなことを表す記号ぐらいに
考えておくのが丁度良い。

406 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 00:13:03
>>401
>司空府や丞相府が漢王朝を凌ぐ実権を握っていたということだから
>文字通り全権を握っていた諸葛亮の丞相府と一緒ではないか
頭の切り替えが必要のようだ。
論旨を嫁。論旨を。

丞相曹操と丞相諸葛亮には、「親分」と「兄貴」の差がある。
配下と部下は違う。

これ。

君マジでめんどくさい。



>「憚る」
君がな。


・権威
>だから伏皇后すら平気で殺せたのじゃないか
横暴な振る舞いが出来たのは権威があたっからではなく武力があったからだろう。
皇帝を擁立するのもその権威を利用することが目的だからだろ。


>世界観
当たり前。自明だ。

407 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 00:13:55
>>402
頭の悪い子だ。

>>403
「タイミング」無視しちゃ駄目よ。
>>383で答えてるよ。

408 :406:2010/04/09(金) 00:18:46
>>406

>「憚る」
君がな。

は漢和辞典を引けという意味。

409 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 07:37:31
>>404
「!」は標点本からそのまま引用したから
私が不注意だったということもあるだろうが

蔣琬は「昔楚殺得臣然後文公喜可知也」と言って
有能な部下を失うことが敵の利益になった故事を引いておいて
「天下未定而戮智計之士」と続けているから
馬謖を殺したことはそれと同様のことだということになる
諸葛亮の行為が敵を利したと言うのだから批判だろ
「豈不惜乎」で締めたのは露骨に批判するわけにもいかないだろうから
「どうして惜しくないことがありましょうか」と婉曲に言ったのだろう

>>406
>丞相曹操と丞相諸葛亮には、「親分」と「兄貴」の差がある。
>配下と部下は違う。
もともとは魏延を従わせられるかという話だったはずだが
その意味では「配下」も「部下」も同じだろう
上の命令には従わないといけないし
実際に魏延が命令に従わなかったこともない
(本当に諸葛亮自身から発せられたか疑問な五丈原からの撤退は除く)

>>世界観
>当たり前。自明だ。
「三国志」に反映されるのは陳寿やその時代以前の世界観であって
21世紀のあなたの世界観ではないのだから
論拠もなく「自明」と言われても誰も説得できないぞ

>>408
「憚」を漢和辞典で調べてみた
はばかる(忌む、つつしむ、おそれる、脅す)、つかれ病む、つかれる、おそれる、いたむ
(講談社「新大字典」)
はばかる(いみきらう、むずかしがる、おそれる、くるしむ)、おどろかす
(角川新字源)
あなたの主張にあう意味はありますか?


410 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 21:23:50
スレの流れを無視してひとつ
諸葛亮に好意的な裴松之ですら全否定する「郭沖五事」や
趙雲の没年すら合わない「後出師表」を安易に史実扱いする者が多いけど
実際はどうだったのだろうか

411 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 22:21:40
>>409
・蔣琬
>諸葛亮の行為が敵を利したと言うのだから批判だろ

蔣琬の主眼が
敵を利してしまった事にあるのか、
それとも
馬謖を失った事にあるのか、
蔣琬がどういうつもりで言ったかは、これにより異なる。


「何が言いたいか」というのは、言葉を簡略にしても言うことが出来る。

蔣琬の主眼が敵を利してしまった事にあるのであれば
「むかし楚が成得臣を殺すと、これを聞いた晋の文公は喜びましたぞ。」

蔣琬の主眼が馬謖を失った事にあるのであれば
「馬謖がどうして惜しくないということがありましょうか。」

どちらか一つで「何が言いたいか」表すことが出来る。


蔣琬の主眼は馬謖を失った事にある。

あの場面は、蔣琬は要するに
『馬謖がどうして惜しくないということがありましょうか。』と嘆いているんだ。

412 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 22:22:48

これだけ見るなら、批判とも
「惜しい人材なのにどうして死刑を選択したのか」という質問とも
取ることが出来る。

言葉とはそういうものだろう。
例えば「あれ高かったのですか?」(値段のこと) という台詞。
興味から知りたいという単純な疑問の場合もあれば、
そんな高いものを買いやがってという批判、
金持ちだなぁという羨望、それは損したねという同情など、
会話している二者の立場や状況で意味が異なる。
言葉は思いを表す道具なのだから発言者の思いが肝要。
他者の思いを測る為には背景を見ることが重要となる。
要するに言葉の意味を判断するには背景を見なければならない。

まず何と言っても諸葛亮と蔣琬の序列。
上司を面と向かって批判するとかあり得ない。
(不心得な部下ならあり得なくはないが。)

心得のある者でも、あまりのことに堪えきれず、、。
というようなこともあるかもしれないが、
この場合、その思いは「惜しい人材なのに何て事をしてくれるんだ!」という怒りだろう。
蔣琬はその怒りを諸葛亮に伝えたかったのか
だとしたら蔣琬は諸葛亮を全く理解していないことになる。
諸葛亮は馬謖を評価していた。それに国事と全力で向き合っている。
それを蔣琬が知らないわけがない。
まともな人間なら諸葛亮に対して怒りを抱いたりしない。
蔣琬はまとも以上の「大器」。諸葛亮に対して怒りを抱くなんてあり得ないだろう。


413 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 22:24:42

蔣琬にとっても、馬謖の処刑は残念なことだった。(諦めきれないことだった。)

蔣琬は
諸葛亮が馬謖を有能と認めて可愛がっていたのも知っているし、
法に厳しいのも知っていた。
両方知っていたので、処刑は諸葛亮が馬謖よりも法を択んだ結果だということは
蔣琬にも分かった。
しかし蔣琬は自分を納得させることが出来ない。
だから訊く。
どうして法の方を択んだのですか?と。

蔣琬のあの言葉は、言外で馬謖の価値と法の重要度との比較になっている。


414 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/09(金) 22:26:15
>もともとは魏延を従わせられるかという話だったはずだが
>その意味では「配下」も「部下」も同じだろう
そうか、違いが分からないか。。
分かるようになるまで待つしかない。いつか分かるよ。


>世界観
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sanguo_map.jpg
国土面積、総人口、総兵力、国力
また、存命期間、接している国境線の長さ、危険度(対防重要度)(中原への近さ)、
どれを取っても呉の方が上。


>「憚る」
【憚】
@はばかる ァ.いみきらう。 ィ.おそれる。 ゥ.むずかしがる。 ェ.あやぶむ。気おくれする。

Aおどす
Bやむ。つかれる。
〈漢語林〉

該当するのは@。
忌み嫌うような感じであり、畏れるような感じでもあり、難しがるような感じでもあり、
危ぶんだり気後れするような感じでもある。
と総合的に捉えれば、「はばかる」という言葉を知らない人も
そのニュアンスを掴むことが出来る。

そちらの辞書のもそうだよ。

415 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 07:18:38
>>410
郭沖の言う諸葛亮の軍事行動については誰も信じてないけど
(話題があがったとしても演義について。演義のネタになってるから)

「諸葛亮が刑罰に苛烈で民衆をむごく扱っていたので、君子から小人に至るまでみな諸葛亮を恨んでいた。
そこで法正が諸葛亮を諌めたが、諸葛亮はそれに反論した。」
この第一の弁護だけは何故か結構信じている人がいるんだよな。
諸葛亮に法に厳正なイメージあるからだろうか?
裴松之に「それ弁護じゃNeeeeee!!」って突っ込まれてるけどw

後出師表を史実扱いしてる人は見たことないけど
矛盾を指摘されたり自分で気付かない限り本物と受け取っても不思議はないんじゃないか?

後出師表も疑わしいが
郭沖なんて全部論外だろJK…

416 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 07:39:39
>>411>>413
1件で3レスもかけてご苦労なことだが
蔣琬が馬謖を惜しむだけで批判する意図がなかったのなら
「むかし楚が成得臣を殺すと、これを聞いた晋の文公は喜びましたぞ。」
なんて余計なことは言わないだろう
(文公は「我擊其外楚誅其內內外相應」と言って喜んでいる)

>>414
「憚」は私も@の意味で理解しているよ
劉禅が董允を「おそれはばかって」いたと


417 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 08:00:30
>>415
まあ一事については「後漢紀」にも載っているということもあり
諸葛亮が当時から政治刑罰を担当していたとしても不思議はない
(「先主外出,亮常鎮守成都,足食足兵。」を根拠にするのは疑問だけど)
裴松之の言うとおりまだ実権をもっていなかった可能性もあるけど

ただ裴松之は三事(空城の計)への批判において
郭沖が司馬駿(司馬懿の子)にこんなことを言ったり
言われた司馬駿がそれを評価することはありえないとする
つまり裴松之はそれぞれの故事の内容を否定するだけでなく
「郭沖が司馬駿に話した」事自体否定している

それを無視して一つの話だけ本当だとするのは如何なものかと

418 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 08:15:08
>>415(続き)
>後出師表を史実扱いしてる人は見たことないけど
蜀漢自体学術上の研究対象としてあまり扱われていないけど
それでも中林史朗氏「諸葛孔明語録」とか宮川尚志氏「諸葛孔明」とかある
(中林氏は「蓋然性が高い」という表現にとどめ
宮川氏は書いただけで上げなかったとするけど)
あと後世の文集では諸葛亮作として扱われているのが多い

趙雲の没年さえ訂正できれば真作としても矛盾はないんだけど
残念ながらそれをやった人を見たことがない

419 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 23:01:08
>>416
>1件で3レスもかけてご苦労なことだが
まったくだ。余計な労力を使わされてるんだぞ。


>「むかし楚が成得臣を殺すと、これを聞いた晋の文公は喜びましたぞ。」
>なんて余計なことは言わないだろう
言ってないんだな、これが。言ったのは俺。
「むかし〜喜びましたぞ。」てのは
蔣琬の主眼が敵を利してしまった事にある場合の要約文で、
その場合「批判」になるので、尤もらしく末尾に「ぞ」を付けた。
「むかし〜喜びましたぞ。」の印象のまま、本来の文に当ててはいけない。
批判の印象が残るだろ。

蔣琬に批判の心はない。
述べたように、あの会話は「馬謖の価値」と「法の重要度」との比較になっている。
故事の箇所は『身内の処罰は敵を喜ばすこともある。』と
「法の重要度」を下げてみせたのだ。
必然的に比較に措いて「馬謖の価値」が上がる。


>(文公は「我擊其外楚誅其內內外相應」と言って喜んでいる)
それがどうした? わざわざここに書く意味が分からん。それ読めてないだろ。

蔣琬は「身内の処罰は敵を喜ばすこともある。(敵の利益になる)」という意味で
あの故事を引いているようだが、間違って引用している。
文公が喜んだのはそんな理由じゃない。


>「憚」は私も@の意味で理解しているよ
そうか。それで劉禅と董允の事が分からないのだから相当語感が鈍いな。
否、多分に人格の問題かな。感応出来ないんだよね、きっと。

420 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 23:33:01
自分の言葉が理解出来ないという理由で人格攻撃かあ

421 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/10(土) 23:57:44
別に人格攻撃じゃないだろ。

422 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 00:14:32
>>415
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1244950966/

423 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 01:04:19
俺の珍説を認めないのは人格の問題とは・・・

424 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 01:18:53
>>417
>(「先主外出,亮常鎮守成都,足食足兵。」を根拠にするのは疑問だけど)
「成都平,以亮為軍師將軍,署左將軍府事。」
劉備の統治機関(政府)は"左将軍府"。
「事」は政治。
「署」は職務を代行する。


>「郭沖が司馬駿に話した」事自体否定している
裴松之の全敗。

司馬駿を怒らせるのは
「司馬懿が必ず諸葛亮に怯えて〜」のくだり。
司馬駿も実際不快感を露わにした。
しかしこれを言ったのは諸葛亮で郭沖ではない。
郭沖に対してムッときたろうが筋違いだ。
郭沖に司馬懿を意図的に貶める意思を感じたのなら不快感をぶつけるのは妥当だが
諸葛亮の科白は空城の計の理を語る上で不可欠なので
そこを忌避するわけにはいかないのだ。
それをしたら空城の計が成立する理由が理解できないだろう。
郭沖に非はない。
だから司馬駿も咎めなかった。
「怒る」と「咎める」は違うんでね、
理屈が通らないのに不快感だけで言動を選択したら子供だ。
王たらんとする者ならあの場面で「善」と言うさ。

425 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 01:23:31
423みたいなのばっかだとすると最近の三戦は厨房の集まりだな


426 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 01:40:16
>>425
お前みたいなのが一番いらん

427 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 08:43:53
>>419
さすがにもう相手にできないかな

>>「むかし楚が成得臣を殺すと、これを聞いた晋の文公は喜びましたぞ。」
>>なんて余計なことは言わないだろう
>言ってないんだな、これが。言ったのは俺。
あなたの訳文をそのまま使ったといえばそのとおりだが
蔣琬後詣漢中,謂亮曰:「昔楚殺得臣,然後文公喜可知也.天下未定而戮智計之士,豈不惜乎!」
(台湾の中央研究院のサイトから転載)
蔣琬が言ったとする記録は残っている

>>(文公は「我擊其外楚誅其內內外相應」と言って喜んでいる)
>それがどうした? わざわざここに書く意味が分からん。それ読めてないだろ。
文公の発言は蔣琬の「昔楚殺得臣,然後文公喜可知也.」の発言が
ちゃんと(当時にとっての)故事であることを示すために出した

>蔣琬は「身内の処罰は敵を喜ばすこともある。(敵の利益になる)」という意味で
>あの故事を引いているようだが、間違って引用している。
>文公が喜んだのはそんな理由じゃない。
馬謖の処刑そのものを擁護・正当化する意見は聞いたことがあるが
蔣琬(と李邈)の引用が間違っているという意見は聞いたことがない
そもそも文公が喜んだ理由が別にあるなら教えてくださいな

428 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 09:36:30
>>422
サンクス
でも去年から止まってるしネタスレにしか見えないな

>>424
>劉備の統治機関(政府)は"左将軍府"。
>「事」は政治。
>「署」は職務を代行する。
左将軍の「事」にはもともと政治の権限は含まれていないし
劉備は州牧の属官を別に任命しているから
左将軍としての職務と州牧としての職務が分離されていた可能性が高い
だから裴松之は諸葛亮が当時益州牧ではなかったと指摘したのだろう
(両者が統合されていたとする説もあるにはあるが)

>裴松之の全敗。
一事以外についてはほとんど相手にもされていないから
少なくとも裴松之の大勝ではないのか

>司馬駿を怒らせるのは
>「司馬懿が必ず諸葛亮に怯えて〜」のくだり。
>司馬駿も実際不快感を露わにした。
裴松之は「顯彰宣帝之短,對子毀父,理所不容,(以下略)」
つまり司馬懿の失点を明らかにしたことがおかしいと言っている
ここで言う失点は「よく確認しないで兵を引いた」ことだろう
別に諸葛亮の発言に対しては何も言っていない

そもそも司馬駿が不快感を表した記録はない


429 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 15:55:51
>>427
>蔣琬が言ったとする記録は残っている
ああごめん。そういえば読解力に難があるのだったね。配慮に欠けていた。

>>419は説明の>>411の更に説明したもの。
>411で蔣琬の主眼がどこにあるか見なければならないと言ったろ。

主眼は馬謖を失ったことにある。
こっちが主部。「天下未定而戮智計之士,豈不惜乎(嘆)」

「むかし楚が成得臣を殺すと、これを聞いた晋の文公は喜びました。
天下は未だ定まっておらぬのに智計の士を殺すことが
どうして惜しくないことがありましょうか 。」

蔣琬は「天下未定而戮智計之士,豈不惜乎」の補説として
成得臣と文公の例話を引いているんだよ。
同時に、この故事は法の重要度を下げている。(>>419参照)

430 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 15:57:18
君は"枝葉を見て幹を見ず"だ。
ずっとそう。だから相手している方はめんどくさい。

「昔楚殺得臣,然後文公喜可知也.」
「天下未定而戮智計之士,豈不惜乎.」は枝葉
「蔣琬の主眼」は幹
「背景」は根だ。
すべて見なくては木(言葉の真意)を知ることは出来ない。

431 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 15:58:45
>文公の発言は蔣琬の「昔楚殺得臣,然後文公喜可知也.」の発言が
>ちゃんと(当時にとっての)故事であることを示すために出した



>文公が喜んだ理由
晋の文公(重耳)と楚の成王はむかし誼があり
文公は成王に大きな恩があった。
晋と楚は他国がらみで戦うことになってしまったが
同盟国への義で動いた文公は本心では楚と戦いたくなかった。
楚王の方も文公の晋と戦いたくなかったので直接対決を避け
撤退を選択した。(楚が不義を働いた宋に攻め入ったのが発端。)
ところが宰相の成得臣だけが断固決戦を主張した。
楚王は個人の面子から戦を断固主張する成得臣に怒り
成得臣の「自分だけでも残って戦う」という主張通り
成得臣を残して軍を退いた。
こうして文公と成得臣は戦い、文公が勝った。
しかし文公は戦勝に喜ばず嘆息した。
これを不思議に思った左右の者が訳を訊いた。
文公曰く「戦に勝って喜べるのは心に一点の曇りもない者だけだ。
それにまだ成得臣は健在だ。どうして喜べようか。」

文公は大恩ある楚王の軍と矛を交えたことを不義に感じていた。
良心が咎めていたのだ。
それに成得臣の性格を考えれば、彼が復讐心から反晋に燃え
楚を本格的に動かしてくる可能性も充分考えられた。

成得臣が敗れて楚に帰ると、楚王は成得臣を責めて自殺させた。

これを聞いた文公は
「私が外から成得臣を撃ち、楚王が内から成得臣を攻撃した。
私と楚王は相応じている。」と喜んだ。
つまり、文公が喜んだのは
自分が成得臣を撃ったのを楚王は非に思っていないと知って
心の重石が取れたからなのだ。


432 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 16:00:34
>>428
>左将軍府
州牧に自治権は認められていない。
軍閥が勝手に自治しているのであって、漢王朝はそれを止めさせる力がないだけ。

劉備の主要な家臣、麋・孫・簡・伊を見ても
劉備が益州牧に就任して将軍位のみを授かった。
勢力の中央政府にあたるものが左将軍府ではなく、他のものだとしたら、
麋孫簡伊らがその官を授からないのは理屈に合わないだろう?

>劉備は州牧の属官を別に任命しているから
誰のこと?

433 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 16:02:16
>裴松之の全敗。
まぁ裴松之の全敗だな。
>>422で裴松之の指摘は全部殺されてるじゃないか。

>つまり司馬懿の失点を明らかにしたことがおかしいと言っている
言ってない。

『宣帝の失点を明らかにするのは、駿が父を毀することに当たり、
駿が郭沖の言を容れないところとなるのが道理。
しかし蜀記は「扶風王慨然善沖之言」と云う。
ゆえに蜀記に見える郭沖五事のエピソードは作り話だとわかる。』


郭沖が司馬懿の失敗を語ったことがおかしいのではなく
司馬駿が「善」と言ったことがおかしいと言っている。



>そもそも司馬駿が不快感を表した記録はない
「扶風王“慨然”善沖之言」

434 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 16:18:46
訂正
「扶風王“慨”然善沖之言」


435 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 20:01:33
司馬懿の子の駿でさえ親父より諸葛亮が凄いって認めたんだぜヒヤッホゥ!
という手の込んだ逸話だね

436 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 20:51:24
一事。
裴松之の「善政を酷政と呼ぶなど聞いたこともない」という裴松之の反論はまったく反論になっていない。
諸葛亮は「法」の人であり、公正で目こぼしをしない方針が、特に豪族の怨嗟を買った可能性は当然ある
(特に丞相就任後は)。
しかしながら、法正正存時の諸葛亮の地位は「署」左将軍府事であって「領」ではない。
董和と権限を分署する立場であるし、劉備も幕府内に曹掾を置いて行政官僚を整備した。
諸葛亮が劉備の不在に軍政の全権を掌握していたのは確実だろうが、
民政の権限を持っていたと伺える箇所はこの郭沖の弁以外に存在せず、
まして全権を委任されるほど強力な権限を持っていたならば陳寿の筆から漏れるのは不可解なことと言うしかない。
また、法正が諸葛亮の方針に不服を持ったとして、府外の将軍である諸葛亮よりも劉備に近い
側近の立場を持っていた法正が、当の劉備にそれを訴えずに済ませたというのも解せない。
少なくともこの逸話は完全なものでは無い。

二事。
類型の度が過ぎる「綺麗な」逸話ではあり、裴松之の不信感も尤もだが、それは反証にはならない。
劉備も諸葛亮も、人を見る目があったとしても人間なので百発百中では有り得ない。
たまたま劉備が失敗し、諸葛亮が成功するケースは当然あり得るので、
裴松之の反論は意味がない。

三事
諸葛亮が陽平に駐屯し、魏延が主力を率いて「東下」したなどという記録は、北伐全史を紐解いても存在しない。
(そもそも地理的に不可能)
のみならず、別将に大軍を任せて自分が少数で陽平を守るようなことを諸葛亮はしたことがない。
秦嶺山脈は長大で、陽平-陳倉間でも100キロ以上ある。
諸葛亮の在不在に関わらず、陽平関の60里(24キロ)という至近まで司馬懿が軍を率いて南下したことは無い。
曹真の蜀討伐の時だとするならば、都督荊州諸軍事の司馬懿が陽平へ迫るということは、
漢中盆地と南鄭がとっくに落ちていたことになる。これもありえない。

四事
>>422に全面的に賛同する。街亭で負ける前のやりとりとするならば矛盾は無い。

五事
剣閣を攻撃するには、当然陳倉から散関を突破し陽平関を抜かねばならない。
しかしなぜか、司馬懿ははるか西の祁山を攻撃している。前後に脈絡が無い。
また、張コウの言葉を信じるならば、四次北伐で祁山は落ちておらず、魏軍が死守している。
諸葛亮が立て篭もる場所は祁山には無い。
それから勿論、明帝が長安に行幸した記録は一次北伐の直後以外に無い。

437 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 21:13:41
俺様解釈を正当化させるために
史書に出てくる引用すら間違っていたと言うとはねぇ
(蔣琬、李邈、習鑿歯が全員間違っている可能性もないとは言わないが
その根拠が「あなたの思い込み」じゃどこにも通用しないよ
そもそもあなた以外からそんな話聞いたことがない)

>>429
蔣琬の主眼が「馬謖を失ったこと」にあることぐらい私でも知ってるよ
ただ「文公と成王の故事」をわざわざ出してきた以上
成王と同じ事をした諸葛亮を批判する意図が少なからず含まれていると言うだけで
(だからといって必ずしも諸葛亮が間違っていたという訳ではないよ
敵を利することがあっても処刑しなければならない場合だってあるだろう)

>>431
文公の楚に対する借りは「三舎を避ける」ことで返したのだと思うが
だから成王が商臣に包囲されて死んだ時に何もしなかったのだろう

>>432
州刺史は知ってたが州牧にも「表向きには」なかったのか
(それは知らなかった)
益州牧の属官としては劉備就任時に王謀(別駕従事)、彭羕(治中従事)が
劉備が漢中王になった後にも黄権(治中従事)がいる
彭羕が「羕起徒步,一朝處州人之上,形色囂然,自矜得遇滋甚。」とあるから
実権が伴わない名誉職だったとは考えにくい
(もちろん軍府の方が上だったという可能性は否定しないよ
任官者と劉備の関係を考えても軍府の方が上だろうし
ただ安易に軍府が州牧府を吸収したかのように言うのはどうかと思うだけで)

>>433
>>422で裴松之の指摘は全部殺されてるじゃないか。
明らかなネタスレを根拠に出すなよ
他の意見含めてバカにされるだけだぞ

>郭沖が司馬懿の失敗を語ったことがおかしいのではなく
>司馬駿が「善」と言ったことがおかしいと言っている。
それで郭沖が諸葛亮の「発言」を出したのが問題だと言うのか
敵の諸葛亮がいくら司馬懿を貶める発言をしてたからって
司馬駿が一々怒る訳ないだろう
西晋人の郭沖が司馬懿を貶める故事を出すからおかしいのであって

438 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 21:35:41
>>436
>裴松之の「善政を酷政と呼ぶなど聞いたこともない」という裴松之の反論はまったく反論になっていない。
善政だと見做していたなら「厳格」とでも言えばいいのに
「刻剥」だなんて明らかに否定的な表現を使うからおかしいのではないのか
(王隠が書き間違えたというなら別だが)

>たまたま劉備が失敗し、諸葛亮が成功するケースは当然あり得るので、
それはそのとおりだと思う
ただ劉備相手に平然としていた刺客が諸葛亮を見たくらいであわてるのだろうか

>街亭で負ける前のやりとりとするならば矛盾は無い。
その時点で諸葛亮は祁山近辺にいたはずだけど
作戦の最中に祝賀されるということはあるのだろうか

439 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 21:56:54
>>438
諸葛亮は一般に善政を敷いたと信じられているけど、
裴松之はその根拠を示さずに「善政」を無謬の前提として「刻剥」を否定しているわけ。
これは議論の方法として誤っているということ。

>ただ劉備相手に平然としていた刺客が諸葛亮を見たくらいであわてるのだろうか
有り得ないことではない、としか言えない。
このような説話的エピソードは史書にはゴロゴロしているわけで、これだけでは
「蜀記」の信憑性が他の史書より格段に落とすわけにはいかない。

>作戦の最中に祝賀されるということはあるのだろうか
この時、二郡が投降し、天水と冀城を囲み、数千人を蜀へ送るという大戦果を挙げた。
部下がとりあえず慶賀するのはむしろ自然。ところが諸葛亮を顔色を愀然とさせ
謝るという奇異な行動を示した。
この大戦果で喜びもしない諸葛亮が凡人の計り知れない大志を有していた。パネェッス。
という逸話であって、この逸話内での矛盾は無い。

440 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 22:19:12
>>437
君頭悪すぎ。

>俺様解釈を正当化させるために
>史書に出てくる引用すら間違っていたと言うとはねぇ
引用の誤りと蔣琬の言葉の意図を結びつけてはいない。

俺以外いないというのは解釈の正誤にとって何の根拠にもならないよ。
「誰が言ったから」「誰も言っていないから」とかいう次元に居るのは雑魚だけだ。


>諸葛亮を批判する意図が少なからず含まれていると言うだけで
文公と成王の故事を引いたことは大意に逆流するほどの証明にはならない。
はっきり言って君の思い込み。


>三舎を避ける
それだけで返せる恩かな?
別れの時の二人のやり取りは戯れ言だ。
「何をしてくれる?」と訊いた成王も
「三舎避ける」と答えた文公も、冗談だよ。

>だから成王が商臣に包囲されて死んだ時に何もしなかったのだろう
信長は道三を救えたかな?

441 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 22:21:18

>州牧
州牧には州を管理するという仕事がある。
当然そのための属官も置かれた。
しかし自治に関する職務などあるはずもなく、
その任にあたる属官などないだろう。
彭羕の「羕起徒步,一朝處州人之上,形色囂然,自矜得遇滋甚。」など
何の根拠にもならないよ。


>明らかなネタスレを根拠に出すなよ
>他の意見含めてバカにされるだけだぞ
只のネタスレに見えるのは馬鹿だけだよ。
馬鹿がバカにするんだろうなぁ、馬鹿だから。


>司馬駿
>>422を熟読しろ。読書百遍義自ずから通ずってな。
俺が相手するのはそれからだ。めんどくさい。

442 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 00:43:00
やっぱり、孔明パネェってことと、
司馬懿、まあ、軍事と政争は一応、及第点だけど、基本的に魏に不忠な名士の代表ってだけで、、
分裂期の最大勢力なら、この程度の人材はいつの時代もいるよね、でFA?

九品官人法、骨抜きを考えると、政治もやばいな。
乗っ取るつもりなら、長期的展望がないことになるし
そのつもりがないなら、ただ利権を貪り、魏を弱めたことになる

結局、歴史に大きな名を残すほどの器じゃなかったってことかな?
西晋は、銭神論や清談とか、退廃文化の王朝で、後世からの評価も低いし

結果論から言えば、司馬懿は魏を裏切るなら、孔明に協力して、漢を再興させた方が
大きな名を残せた可能性が高いだろう

443 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 00:52:57
>>442
お呼びじゃないから。黙っててね

444 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 02:45:44
>>443
無学乙w

445 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 07:38:57
>>439
>諸葛亮は一般に善政を敷いたと信じられているけど、
>裴松之はその根拠を示さずに「善政」を無謬の前提として「刻剥」を否定しているわけ。
>これは議論の方法として誤っているということ。
そちらの主張したいことはよく分かったけど
裴松之は「未聞善政以刻剝為稱。」
つまり「善政」を称えるのに「刻剥」という表現を使うことを疑問視している
この記事で諸葛亮を称えたのは郭沖だから
間違っているのは裴松之ではなく郭沖ということになる
(だから裴松之は否定する根拠として挙げたのでは)

>「蜀記」の信憑性が他の史書より格段に落とすわけにはいかない。
確かに二事は他の4つと比べて可能性は高いだろうし
「郭沖五事」に入っていなければ疑問視すらされなかったと思う
この件で史書の信憑性を疑われることはないだろう

>この時、二郡が投降し、天水と冀城を囲み、数千人を蜀へ送るという大戦果を挙げた。
>部下がとりあえず慶賀するのはむしろ自然。ところが諸葛亮を顔色を愀然とさせ
>謝るという奇異な行動を示した。
>この大戦果で喜びもしない諸葛亮が凡人の計り知れない大志を有していた。パネェッス。
>という逸話であって、この逸話内での矛盾は無い。
たしかに逸話内だけなら矛盾はないけど
ただでさえ諸葛亮の軍隊は規律が厳しいと聞くのに
敵主力との対決すらまだ行われていない段階で
慶賀している余裕があったのだろうか

446 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 17:58:19
城が一つ投降して来たようなときに総司令官に向かって「おめでとうございます」
の一言もないような軍隊なんてありえないんでない?
数十日に渡って戦局が推移する時代なんだからなおさら。

>この記事で諸葛亮を称えたのは郭沖だから
>間違っているのは裴松之ではなく郭沖ということになる
郭沖は一貫して、諸葛亮の政治を「善政」だなどとは言っていない筈。
諸葛亮の統治が「寛治」の類とは程遠いことは他の記事からもわかるし、
この第一事は、郭沖も諸葛亮の統治が統制的なものだったと認める
下りとなっている(当時の儒学的倫理観から見て、だが)。
「善政」という言葉は裴松之がどこか別のところから持って来たものであって、
郭沖の責任ではないね。

447 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 20:40:54
>城が一つ投降して来たようなときに総司令官に向かって「おめでとうございます」
>の一言もないような軍隊なんてありえないんでない?
軍内部の人間が言ったのであれば確かにそうだね
「諸将」でも「兵」でもなく「人」とあるから外部から慶賀されたと思ってた

>郭沖は一貫して、諸葛亮の政治を「善政」だなどとは言っていない筈。(以下略)
確かに「善政」と言ったのは裴松之であって郭沖ではない
でも郭沖は「諸葛亮を擁護・称賛するために」発言し
その一つとして一事を言ったのだから
それを読む裴松之も当然「諸葛亮を擁護・称賛」する発言として読んだだろう
それなのに諸葛亮の行動を「刻剝」なんて表現で書かれていたら
そりゃ裴松之はおかしいと思うだろう

448 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 20:54:26
>>436
・一事
>「領」
左将軍府の政を左将軍以外の者が公的ニュアンスのある「領」したらおかしい。
例え左将軍自身が政が不得手で、部下に全てお任せしたとしても「領」はないんじゃないか?
その場合「代理(代行)」の意味の「署」になると思うが。

>民政〜郭沖の弁以外に存在せず
劉曄伝に劉曄の言葉として「諸葛亮明於治而為相」とある。
(漢中を取った曹操にそのまま蜀を攻めるよう進言したときの言葉。
このとき劉備が蜀を収めてからまだそんなに経ってない。)

>まして全権を委任されるほど強力〜 陳寿の筆から漏れるのは不可解
先主伝「先主复領益州牧,諸葛亮為股肱,」
全権委任かまでは分からないが、国政にかなりの権力を持っていたはず。

>また、法正が〜 劉備にそれを訴えずに済ませたというのも解せない。
法正は蜀郡太守、外統都畿。その職務上の直接の上司は相の仕事をする諸葛亮。
太守や代官が政務のことで宰相すっ飛ばして国主に相談したらおかしい。


・二事
裴松之の反論は推理で、帰納的に充分論証の域にある。
がしかし>>422の郭沖氏の語る通りだとしたら
このエピソードは否定できない。

449 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 20:55:16
・三事
>「東下」したなどという記録は、北伐全史を紐解いても存在しない
蜀軍が魏に対して「東下」したことが一度だけある。
建興八年の魏延の羌中入りからの、羌中から関中方面への進軍が「東下」になる。

>自分が少数で陽平を守るようなことを諸葛亮はしたことがない。
>陽平関の60里(24キロ)という至近まで司馬懿が軍を率いて南下したことは無い。
正しくは「記録にはない」。
それらの諸葛亮と司馬懿の軌跡が消失した(或いは記されなかった)可能性の否定を
達成することなしに、三事否定の材料とすることは出来ない。


・四事
同意。


・五事
>前後に脈絡が無い。
そうだね。

>諸葛亮が立て篭もる場所は祁山には無い。
諸葛亮伝注魏略、三郡寝返るのくだりを見ても
「祁山」は山の称だけでなく、あの辺りの事を指す称としても使われていると思われる。

>それから勿論、明帝が長安に行幸した記録は一次北伐の直後以外に無い。
記録が消失した或いは記されなかった可能性の否定を達成することなしに
五事否定の材料とすることは出来ない。

450 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 22:11:49
>>448>>449
劉曄の発言は否定しないけど

>全権委任かまでは分からないが、国政にかなりの権力を持っていたはず。
諸葛亮の当時の権限を考える上では
これが軍政を統べるに過ぎなかったのか
民政まで統べていたのかで大分変わると思う
(当時の劉備集団を考えれば軍政を司っているだけでも大きな権力だろうし
左将軍府が民政まで司っていたとする根拠は郭沖一事ぐらいしかない)

>法正は蜀郡太守、外統都畿。その職務上の直接の上司は相の仕事をする諸葛亮。
法に厳格だった諸葛亮が法を濫用する法正を諫めることもできなかったことを考えれば
諸葛亮が太守の上司であった可能性はないといっていいのではないか

>蜀軍が魏に対して「東下」したことが一度だけある。
>建興八年の魏延の羌中入りからの、羌中から関中方面への進軍が「東下」になる。
それは明らかに「蜀漢に帰還する」途中なのだから
郭沖三事の真偽を考える上では何の意味もないだろう

>それらの諸葛亮と司馬懿の軌跡が消失した(或いは記されなかった)可能性の否定を
>達成することなしに、三事否定の材料とすることは出来ない。
子午の役で実際に戦った記録があるのは「先鋒」の夏侯霸ぐらいしかない
大体司馬懿あたりの主力と交戦していたなら
負けた曹魏側はともかく勝った蜀漢側にすら何の記録もないのはおかしい
そもそも>>436氏の言うとおり
東の西城からやって来る司馬懿が陽平関の近くまで来ていたなら
漢中のほとんどは抜かれていたことになる
(陽平関って漢中郡の西南だぞ)

451 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 22:17:40
>>448-449
一事
「領」についてはその通り、勘違いだった。全権委任なら「委」だね。
「署」の意味は、漢書注に「分部而署置」「署猶分部也」とある。
董和という分署する人物が確認できる以上、諸葛亮の左将軍府事についての権限は不確定といえる。
しかしながら、そちらのいうことに加えて、董允伝にも諸葛亮が外交に関わっていたという記録もあり、
政治に関わっていなかったとは言えないようだ。訂正する。
しかしこの逸話に最終意志決定者の劉備の存在が語られないのはやはり不可解なことだが。

二事
可能性はいくらでも考えられるけど、これは武将一騎駆けなどのように説話色の強い逸話であって
あまり真面目に議論することでは無いだろう。

三事と五事
>それらの諸葛亮と司馬懿の軌跡が消失した(或いは記されなかった)可能性の否定を
>達成することなしに、三事否定の材料とすることは出来ない。
>記録が消失した或いは記されなかった可能性の否定を達成することなしに
「反証可能性」で検索。
論理である以上、どれほど鉄板と思える科学法則であろうとも、「不完全な可能性」「誤っている可能性」は必ずある。
その可能性なければ、自然科学では認められさえしないし、人文科学である歴史学でも概ねその通りだ。
それは論理の不備を意味しない。「誤っている可能性もある」というだけのことでしかない。
この場合必要なのは、諸葛亮存命期間中に、
「司馬懿が陽平の60里まで迫った可能性」「一次北伐以外で(討蜀のために)明帝が長安に行幸した可能性」
を提示し、それが他の史料との整合もつく、十分に蓋然性の高い仮説であると論証すること。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/12(月) 22:18:49
あ、451=436ね。

453 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/13(火) 23:40:10
>>451
・一事
>「署」
それは名詞の署で、動詞の署ではないのでは。
漢和辞典には
動詞の意味としては「わりあてる」・「職務の代行」が載っている。(「記す」は除外)
名詞は「役所」。

「署左将軍府事」
(諸葛亮は)左将軍府の政を割り当てられた。(割り当てられた→受けもった)

「諸葛亮は、勢力内の数ある仕事のうち、"勢力の政"を受け持った」的な解釈で
良いんじゃないかな。「左将軍府の政を"分けて"受け持たされた」ではなく。
董和も左将軍府の政を受け持った。二つは「受け持った」で矛盾しない。

まぁ国政は大意で同意に到ってるから「署」はどうでもいいんだけど。

>しかしこの逸話に最終意志決定者の劉備の存在が語られないのはやはり不可解なことだが。
法正があんな事を言っているのは管轄下からの陳情に因るものだろう。
太守・代官としての法正の上司は統括する諸葛亮だから話は諸葛亮に持って行くのが筋。
法正は諸葛亮の話に納得した、と。

454 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/13(火) 23:41:04

・三事と五事
>論理である以上〜「誤っている可能性もある」というだけのことでしかない。
つまり、
「司馬懿が陽平の60里まで迫ったことはない」
「一次北伐以外で(討蜀のために)明帝が長安に行幸したことはない」
というのは“間違っている可能性がある”と認めたわけだよね。それで充分。


>それは(反証可能性は)論理の不備を意味しない。
>「誤っている可能性もある」というだけのことでしかない。
「反証可能性」は
「反証される可能性がある」=「誤っている事がはっきりする可能性がある。」
という性質のことで、
「反証可能性さえあるならばどんな仮説でもデタラメではない」となるわけではないよ。


455 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/13(火) 23:49:10
>>450
>民政まで統べていたのかで大分変わると思う
だから「相」だって。

>諸葛亮が太守の上司であった可能性はないといっていいのではないか
よくない。
太守は相の部下だが法正は唯の太守ではない。

>それは明らかに「蜀漢に帰還する」途中なのだから
「明らかに蜀漢に帰還する途中」ではない。

>子午の役で実際に戦った記録があるのは
子午の役とは一言も言ってない。

456 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/14(水) 07:38:52
>>455
>「相」
当時の劉備は大臣を置ける格ではないから
補佐役という意味で捉えてたけど
あなたの解釈もごもっともだな

>太守は相の部下だが法正は唯の太守ではない。
法正が諸葛亮の部下扱いだったら
(劉備に遠慮して)処罰はできなくても諫めるぐらいはするだろう

>「明らかに蜀漢に帰還する途中」ではない。
私は帰還途中に曹魏軍と戦ったと思ってたけど
あなたは東に転戦して戦ったというのね
それは了解した

>子午の役とは一言も言ってない。
子午の役以外で司馬懿が陽平の近くまでいた可能性は
曹操が漢中を平定してから劉備に奪われるまでの間しかないし
その間の諸葛亮は成都を離れていない
(諸葛亮が漢中にいる時司馬懿は既に大軍を率いる身分だったから
その司馬懿が陽平近くにまで侵攻した事実があったのなら
両者側の記録に全く残らないというのはおかしい
確かに0ではないがまずないと言っていいだろう)

457 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/14(水) 16:16:50
それより、シバイtpシュウユと比べてどっちが強いんだ?
戦う機会がなかったのが残念だな。

458 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/14(水) 22:28:38
>>456
>法正を諫める
劉備に遠慮したというよりも、法正を諫めることは諸葛亮の非となる。

劉備が蜀に入れたのは法正のおかげ。
法正が劉璋に背いて劉備を蜀に招き入れたのは
蜀の地で任用されず、また誹謗されもして、志した道を絶たれて失望したからだった。
有能な法正はおそらく自身の器に見合うだけの大望を抱いていただろうから
不当にその道が絶たれたのであれば、その人間を恨みに思っていても不思議はない。
というかそうなのだろう。
逆に恩を受けた人にはいつか恩返しをしたいという強い思いもあったことだろう。
劉備勢力が法正の報いようもないほど大きな恩に報いるには
原動力となったそれらの人物に対する想いを晴らさせてやるのが最もだ。

劉備の心は法正のおかげで解き放たれたというのに
その劉備が法正の心は解き放たせないというのは不義。
上申したところで侠客気質の劉備が法正を咎めるとは思えない。

法正は権力を嵩に着て当たるを幸い好き勝手しているのではなく、その対象は限定的で、
国の害となっていくような放埒な人格をしているわけではない。
今はただ不遇時代の清算をしているだけ。
治国を思えばそれも当然善くないが、上述の通り
劉備の受けた恩を共に与る人間(荊州時代の人間)に、
恩ある法正のこの行為を諫めることはできない。道理に悖る。


あと、法正が諸葛亮の部下なのは、内政の系統上でのことだから。

諸葛亮が恩を見ず、治国の完全性を追求するために法正を諫めれば
法正は不公平さに納得行かないだろうから、劉備に対しての忠誠心を失う。
無論、諸葛亮のことも憎む。
法正が価値のない人間なら太守解任して使い捨てに出来るだろうが
有用で、謀主となっている。太守を解任しても陣営から消えるわけではない。
丞相と参謀長が啀み合うのは国にとって大きなマイナスとなる。
そのマイナスは治国の完全性を欠くことより遙かに大きい。

459 :無名武将@お腹せっぷく:2010/04/14(水) 22:29:45
>子午の役以外で司馬懿が陽平の近くまでいった可能性
基本的に可能性はいくらでもある。
居なかったと確定させるにはその時間の現場不在証明が必要。

"その時間"は行動が書かれていない時間すべてだから、
「近くまで行った可能性」はいくらでもある。

これをベースに考えなければいけない。


>両者側の記録に全く残らないというのはおかしい
史書は自分側の不都合は書かないのが基本だから、残ってなくても全く不思議ではない。

空城計の話は、
司馬懿にとっては、絶好機に諸葛亮を逃すという大失敗なので
その出来事を記す必要がなければ書かれないだろう。
諸葛亮にとっては計略で大ピンチを逃れたという成功話だが、
元々が敵の大軍の接近を間近に許したという戦略上の大失敗なので
その出来事を記す必要がなければ書かれないだろう。

460 :前スレ1:2010/05/03(月) 19:40:46
このスレ、止まってるなあ。出来れば孔明の
新スレ建てたいんだけど。このスレ止まってるって
事は別の孔明スレ建てても良いんだろうか?

そこそこ知識も溜まったので孔明新スレを建てて
別角度から孔明を見れるようなスレを考え付いたんだけど。

461 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/03(月) 20:26:33
いーわけねーだろこれ以上立てるな
何個立てれば気がすむんだよお前は
意見があるならここで言え

462 :前スレ1:2010/05/03(月) 20:31:01
このスレとはちょっと趣旨が異なるんだよね。

前にキョウイの北伐と孔明の北伐比較スレ
みたいの建てたんだけどそれに近い感じ。

463 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/05/03(月) 20:37:36
無闇にスレを立てず、多少趣旨が違おうと語れるスレがあるならそこで語るべきだろう。
毎度毎度スレを立てては殆ど語らずに他の住人任せて放置。
貴様は話がしたいのではなくスレが立てたいだけにしか思えん。

464 :前スレ1:2010/05/03(月) 20:44:32
スレを建てる事とそのスレ内で語ると言う事は別問題だと
思うけど。スレを建てた人がいなきゃ伸びないスレなんて
おかしいでしょ。他の住人が思う事あって書き込むようなスレが
ベストなんじゃないかなあ。それに俺はスレが伸びない時は
ちょっと書き込むようにしてるよ。

今三戦板とあと他の歴史板にちらっと思うスレ建ててるんだけど
自分のレスもしてるし。

今建てようとしてるスレは
「孔明はなぜ劉邦になれなかったのか」
ってスレなんだけどこのスレで語るにはテーマが違いすぎるでしょ。
せっかく司馬の項羽と劉邦買いなおしたんだが。

465 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/05/03(月) 20:52:00
なら勝手にするんだな。
もっとも、お前のような成長もしない阿呆が立てたスレで語る人間は殆どいないだろうが。

>>460にしたって、立てて良いか聞いておきながら、
結局は立てる事を前提に話している。
結論ありきで自分の発言を肯定してもらいたいだけの人間と誰が語るというのか。

466 :前スレ1:2010/05/03(月) 20:57:36
いや、残念だがスレタイを発表した時点で
このスレは建てれない雰囲気になってしまったかなって
感じ。

それに俺は自分の意見を肯定してもらいたいと思った事はないよ。
俺がする発言をうまく否定してほしいと思ってるぐらいだもん。
そうしないと議論にならないし。

467 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/03(月) 21:40:15
ん〜>>2で変になってるけど、>>1とスレタイから考えるに、>>464の話題はここでそのテーマで話し振っていいんじゃないかな?
流れが逆で、ここで話してて盛り上がって、「それ、趣旨ズレてるし参加者もいるから別スレ立てれば?」って意見出てから立てるんでいいんじゃないかな?

ま、もう立てづらい雰囲気になっちゃったってのは同意。

468 :前スレ1:2010/05/03(月) 21:40:45
なんか真面目な感じになってしまったので追加で書くが。
俺は大体が蜀末期のスレを建ててきたんだけど
結構限界って物もあるのかな?って思ってきたりしてるんだよね。

三国志の良いところって正史しかない所なんだよね。
正史をいかに解釈するかってのが議論の根拠になって
しかもそれは誰でも参加できる。正史を知ってさえいれば。
俺はちくま文庫版の正史4巻と5巻持ってるんだけど。
それこそキョウイの部分とか孔明の部分は何回も見て
この角度から見れば新しいかなみたいなのを探してたんだけど
そろそろ限界っぽい感じ。正史の別の巻買って新しい議論探すとかも
あるんだけど赤壁のナゾとかイリョウの実態とかね。けど蜀末期ほど
興味がわかない感じ。

で別の板で義経のスレ建てたりしたんだけど。源平合戦の義経ね。
結局義経とかあるいは幕末の人物とかって知識がある奴が上になっちゃうんだよね。
当時の貴族の日記とか知ってる奴が勝ちになっちゃう感じ。

469 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/03(月) 22:50:49
建てればいいじゃないか
人に訊く必要はない

470 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 00:27:23
マジギレするJominianなんて初めて見たのぅ

471 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 08:23:49
アホな1は自サイトのチラシの裏でやれよ

472 :前スレ1:2010/05/04(火) 19:29:17
もう新スレ建てる状況じゃないんでこっちで書くが、
孔明ってのは劉備を劉邦にしようとしたわけでしょ。
蜀から攻めるにあたり。劉邦の模倣をしようとしたんだと
思うんだけど。なぜ劉邦と同じ事ができなかったのか?

まあ劉邦には有能な部下がいてしかもその部下を
適材適所に配置できる劉邦の凄さもあったんだろうけど

成功例→劉邦 と失敗例→孔明

で対比したら孔明の真実が見えてくる気がしたんだけどなあ。

473 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 19:31:57
孔明を冷静に評価するというのは、エコヒイキするのでなければ、
最初から批判する心構えでいるのでもない。
中立的に、機械的に正史を読みその事実に主観を交えず解釈すること
ではないか。

474 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 19:38:04
>>473
その正史自体もチンジュが元蜀の臣の権威復興の
ためにプロパガンダとして書いたから孔明が良く書かれてる説と

チンジュの父親が孔明に処罰されたから孔明は悪く書かれてる説

があるから難しいんだよね。

475 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 20:27:34
1の課題

・無計画なスレ立てをやめる
・漢字変換
・ちくま全巻を読む

476 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 20:35:06
>>473
正史という物が不完全すぎるから不可能

477 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 20:37:12
>>472
ぜんぜん流れが違うぞ
スレ違いだろ
つまらん意見に流されずスレ立てな

478 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 20:51:00
戦術
 項羽にボロ雑巾にされる劉邦
 司馬懿を引きこもらせる孔明

兵站
 蕭何がしっかり補給してくれる劉邦
 李厳が責任転嫁してくれる孔明

外交
 韓信、彭越、英布が大活躍の劉邦
 孫権、孟達、軻比能が役立たずの孔明

戦略
 張良、陳平の助言をよく聞く劉邦
 臨機応変が微妙な孔明


 ついてる劉邦
 ついてない孔明

479 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 21:40:37
簡単で分かりやすい法律を作った劉邦と
ガチガチで人から嫌われる法律を作った孔明。

480 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 21:47:56
孔明が劉邦を模したってのはどうかな。
確かに蜀の地を選んだのは残りもの以外に劉邦と重ねるという名目を上乗せしたかったというのもあると思うよ。
でも、北伐自体が国の存在意義を守るための、芝居がかったデモンストレーションだと思う。
実質、統一の意思を示しながらの領土維持が孔明の狙いだったんじゃないかな。
魏延の作戦を採らなかったのもその表れだと思う。

481 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 23:26:27
>>479
ガチガチ過ぎる秦の法律を緩くした劉邦と
ゆとり過ぎる劉璋の法律を正した諸葛亮

482 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/04(火) 23:59:42
盛り上がりそうだね
前スレ1、スレ立てチャイナマーブル

483 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 01:18:43
>>472
それ、あんたが今まで立てたスレで何度も検討されてるし、
回答らしきものもでてるんだが…
加わらなくていいからレス読め

484 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 09:58:34
前のスレでは孔明スレだったから基本的に孔明を主にした
検討だったんだけど。

なぜ劉邦は西の果てから天下取れたのか?みたいのは
あんまなかったんだよね。

485 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 13:07:09
関中取れたから 

                         終わり

486 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 15:52:31
パーフェクトな回答だな。なぜ取れなかったのかは
魏延によれば臆病だから
陳寿によれば天命、人材不足、国力差、芝居が凄かったから

487 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 18:02:46
1)ロウ西荒らす
2)出張ってきた魏の中軍を、有利な位置で撃破する
3)後方固めたうえで長安まで進撃

1)長安急襲
2)長安で魏の中軍を抑えてる間に、ロウ西、涼州平定
3)長安で決戦するか、魏が諦めるまで防衛

無理に言うなら漢中戦と同じ手順だよね

488 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 19:09:00
・魏の防衛線を破る
・魏の侵略を防ぐ
・長安を押さえる
・雍州涼州を切り取る

どういう順序でやるか

489 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 20:27:46
項羽と劉邦ってさいつも不思議に思うんだけど。
項羽が負けた時点で国が負けたみたいになってるけど
そんなものなの?TOPが負けたら国は降伏しちゃったのかね?

三国志でも孔明の北伐で魏の皇帝を倒せてたら
魏は滅んだんだろうか?他の奴が皇帝になると思うんだけど。

490 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/05(水) 20:37:35
>>489
あれ順番が逆
項羽は劉邦の侵攻食い止めるために中原に出ていたら、劉邦は項羽の本拠地の楚や第三勢力の斉に別働隊を派遣してて攻め取ったり降伏させたりしてた
項羽が死ぬ時点で、項羽はほとんど孤立していたんだよ
唯一味方してくれそうな呉に逃げ込もうとした途中で自殺した

491 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 21:58:32
へえ。本とかマンガとかだとまだまだ項羽の勢力が
すごいみたいな感じで描かれてるから勘違いしてた。

孔明は別働隊派遣なんてできなかったんだろうけど。
人材不足のせいか?それとも兵力が少なかったのかね。

492 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 23:38:52
>>491
主に兵が足りなかった
そもそも攻め込む時の拠点も攻め込む先もなかったが

最初の計画では劉備は関中を攻め、別働隊が荊州から出て中原を狙う予定だったんだがな
これなら劉邦の時のように二方向からの侵攻になる

493 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 20:00:20
>>491-492
劉邦、蜀から出るとき別働隊とか派遣したっけ?
諸葛亮はまだその段階ではなかった

494 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 20:19:56
>>493
劉邦のときと諸葛亮の計画は同じじゃないよ
劉邦が別働隊を送ったのは関中から楚側を攻めるときのこと

495 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 20:25:38
>>494
分かってる
劉邦と諸葛亮の比較で劉邦の別働隊作戦について諸葛亮を考えるなら
劉邦のそれと同じ段階になっていないと何とも言えない

496 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/07(金) 20:28:00
>>495
そもそも諸葛亮のは計画通りに行ってないからな
蜀・漢中と荊州を両方取った時点での同時侵攻を考えてたがそうはいかんかった

497 :清一色:2010/05/11(火) 16:50:47
劉邦の場合は、司隷(関中)に誼を通じていて、項羽の部下は司隷を把握できていなかった。
対して、曹氏三代で固められた司隷を奪うのは、諸葛亮では難しかったんだろう。

498 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/11(火) 22:57:35
諸葛亮「では」、ということは他の奴なら出来たってことだよな、
誰だったら出来ていたと思うの?

499 :清一色:2010/05/14(金) 13:13:14
司隷攻略できるとしたら、龐統・法正・魯粛の誰かが生きていれば、漢中制圧後の劉備じゃないかな。
あくまで可能性だけど。
魯粛が生きていたら、背後を突くことも無いだろうし。

劉備死後の諸葛亮の時代だと、司隷攻略には二つの要素がいると、個人的には思う。
一つは、兵站の円滑な運営で、これには、諸葛亮自身が成都で指揮を執るしかないと思う。
二つ目は、涼州を味方に引き入れること。
このためには、鍾繇・徐邈・張既を除かないといけない。
張既はとっとと死んでくれるから良いとして・・・。
涼州の事情に通じていて、尚且つ謀略が展開できる人物と言えば・・・賈詡かな。

・・・・と、賈詡信者の俺が言ってみる。

500 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/15(土) 09:15:29
魏は項羽の国と違ってて攻め込む余地がなかったのかな?

501 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/18(火) 07:24:39
仮に劉備が東征しないで孔明の言うとおりにしてても
なにができたんだ?って話だけど。



502 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/18(火) 14:50:29
>>501
蜀の主力が無傷なのと全滅したのとでは状況が違いすぎる。
少なくとも陳倉を落として長安を伺いつつ、孤立した涼州を支配する事ぐらいできたろうよ。

503 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/18(火) 19:40:59
>>502
劉備や張飛が生き残ってたら全然違ってくるだろうけど
諸葛亮自身が総司令官を務める以上
街亭の敗北と陳倉の攻略失敗は避けられないのでは
(東征の戦死者に魏延や呉懿以上の将は見当たらないから
どっちみち諸葛亮は馬謖抜擢を強行するだろうし
陳倉を落とせなかったのは魏が備えをしていたからであって
蜀軍の質量の問題じゃないだろう)

504 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/18(火) 20:33:44
>>503
いやけど、東征しなかったら劉備が長生きしたとは限らないと思うが。

張飛の死は防げてた可能性はあるけど。

505 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/18(火) 20:50:34
>>503
こうなったらもう諸葛亮を暗殺するしかないな

506 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/19(水) 13:37:18
実際問題劉邦と孔明の違いは韓信がいたかどうか、が第一。
劉邦だって韓信がいなかったら負けていただろう。
当時の韓信はすでに天下を取れる力を持っていた。
もし孔明に関羽と士元がいたら北伐は成功しただろう。

507 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/19(水) 16:40:21
>>503
東征の戦死者に魏延や呉懿以上の将は見当たらないのと
諸葛亮の馬謖抜擢となんの関係が…
と思ったが魏延・呉懿以上の将がいたら代わりに魏延・呉懿が街亭に送られていた可能性もあるのか?
あまり関係ないと思うけどね
街亭にはあまり上将は使わないだろうし、どっちみち馬謖使いそう
それか作戦自体が全く別のものになっていた可能性があるかもしれない

508 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 20:08:37
>>507
違う違う
諸葛亮は魏延や呉懿を推す衆議を押し切って馬謖を抜擢したけど
もっと格上の将がいたらさすがにその将を登用したんじゃないかということ
(衆議が魏延等を推したのは蜀の上将として認められていたからだろう
漢中奪取後の主将に張飛が目されたのと同じ理由で
だから諸葛亮が馬謖を抜擢したのは劉備が魏延を抜擢したのと同じことだと思う)

それに諸葛亮は街亭(や列柳城、箕谷)で敗れた時点で北伐を諦めているから
街亭派遣軍にはそれなりの自信を持っていただろうし
そこに上将を派遣しない理由もない
諸葛亮は「馬謖ならその任務を達成できる」と信じていたと思う

まあ関羽や張飛クラスの名実伴った上将がいれば
北伐自体全く様相が変わっていただろうけどね

509 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 20:16:19
馬良が生きてたら馬謖のかわりに馬良が宛てられたのだろうか…と考えると、空恐ろしいな
戦を政争の具に使っちゃ駄目だって、ドズルおじちゃんが言ってた


510 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 20:44:12
>>509
馬良が生きていれば留府長史でしょ
張裔みたいに諍いは起こさないだろうし

511 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 20:51:11
>>510
嗚呼確かに
で、張裔さんは若輩が昇進で上を行った事で拗ねて引き篭るわけですね。わかります

512 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 20:59:55
>>508
いや、だって第一次北伐は街亭で作戦終了じゃないし、その後肝心な戦いが待ってる予定だから
トップの将は温存しておこうとして魏延・呉懿じゃなく馬謖を派遣したんじゃないの?

513 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 21:23:35
最重要任務で最前線だから経験豊富なベテランや上将を推薦する声が多かったわけで
馬謖を任命したのは明らかに意外な選択

514 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 21:32:34
最ではないと思うけど、でも作戦の前準備としては最重要かな
どっちみち馬謖を選ぶだろうね、だめだね

515 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 21:40:39
別にそれ以上の将がいたらそれを選んだ気がする

516 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 22:10:36
曹操が王允を弔うところで詠んでた詩は
リアル曹操の詩?

517 :516:2010/05/20(木) 22:11:52
orzごめん誤爆した

518 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/20(木) 22:35:26
東征がなかったら、もっと早い時期に、史実を上回る兵力で、北伐を行えた
もしかしたら馬超もまだ生きていた時期に行ったかもしれない(ギリギリ)
張飛もきっと生きていることだろう

史実に置き換え考えると
将軍トップは威張りんぼ魏延ではなく、上には猫の張飛
尚書・兵站役は非協力的な李厳ではなく、黄権・馬良あたり

これだけでも大分違う


街亭は張飛・馬超・趙雲・魏延の空いてる子

519 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/21(金) 06:41:32
>>512
その街亭で敗北した結果肝心な戦いをあきらめたのだから
諸葛亮本人は街亭を作戦上重視していたというでしょ
特に造反した3郡の確保も必要だっただろうし

>>518
劉備よりも先に死んだ馬超が参加できるなら
司令官は諸葛亮ではなくて当然劉備本人だろう
でもその場合魏は油断はしていなかっただろうけど

520 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/21(金) 20:38:29
http://deaikeijiban.sakura.ne.jp/up/src/up0484.jpg

孔明は祁山経由して街亭に出た後、どうする気だったんだろう。
後に陳倉や五丈原へ真っ直ぐ出てる所を見ると、街亭を拠点にしようとは考えてなさそうだし。

521 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/21(金) 22:29:51
街亭派遣は遅滞作戦とって時間稼ぐための処置で、本命は長安からやって来る明帝との会戦だったんじゃないの?
だから魏延たちは出来れば温存したかった

522 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/22(土) 00:45:34
>>518
張飛は猫ではないな
魏延と同じく同僚(劉巴)と問題おこして諸葛亮にとりなしてもらってたし
劉備の蜀攻めの事を考えると諸葛亮との問題は起こさなさそうだけど
というか魏延も諸葛亮と対立してたわけじゃないけどね。侮辱はしたが

523 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/22(土) 00:58:52
そのシナリオなら、普通に劉備親征が第一候補、次点が丞相諸葛亮だろう。
大遠征をするのに統率力があって軍事に精通している皇帝と丞相が揃って留守番は無い。
どっちかが総司令でどっちかが留守番。

524 :清一色:2010/05/22(土) 01:21:36
>>520
街亭を失うのは、造反した3郡や涼州を抑える為の喉元に刃物を突きつけられたようなものじゃないかな。
逆に、街亭を押さえれば、長安と涼州の喉下に刃物を突きつけたような状況を演出できる。
しかも、兵数で劣る蜀軍が魏軍を迎え撃つのにも適した隘路で。

だからこそ、街亭を失ってしまうと、兵力差で漢中との連絡・補給路を好き勝手に荒らされて多大な被害を出す可能性があった。
ここを抑えていれば、その後涼州の実効支配を進められたんだろうし。

逆に、これ以降の北伐では、蜀軍は隘路を制されて全軍を有効に使える状況になっていない気がするし。

525 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/22(土) 09:37:36
陳倉からイ水沿いに上ケイまで直進というのはやっぱ無理なの?
ロウ山を北回りに迂回して街亭通る道しかないんか?

526 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/22(土) 09:51:24
>>524
街亭は諸葛亮がいた祁山よりも北にあるから
3郡や涼州との連絡を絶たれるのはやむを得ないとしても
祁山と漢中の補給路を荒らされる可能性は低いのでは

それにしてもこの時点で曹真は斜谷で趙雲と戦っていたし
曹叡は長安に着いたかどうかだったのに
なぜ諸葛亮は街亭を再奪取しようとしなかったのだろう

527 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/22(土) 10:04:06
まだロウ西の諸城を攻略中で、その中で少数の兵でも足止め出来るということで街亭に派遣したんだろ
街亭で失敗したなら、次は会戦しかないよ
そしたら、せっかくの包囲も解かないとだし

528 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/22(土) 10:42:03
>>525
普通に渭水に沿ってもいけるよ
北回りに街亭に進んだのは、とりあえず涼州方面との打通を計るためだったのだと思う

529 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/23(日) 16:31:57
地理的には行けるが、陳倉を落とせなきゃ話にならないし
長安・洛陽からの魏軍が到着するだけで退路が消える。

530 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/24(月) 19:34:22
街亭って、魏軍の侵攻を察知して、それに対して防御出来るところとして軍を派遣したってだけの意味しかないと思ってたけど
実は蜀が確保しようとした拠点に魏が攻撃を仕掛けたという構図なのか?

531 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/24(月) 21:30:36
>>530
街亭よりも北の安定郡が蜀に靡いているし
西方諸郡を制圧するためにも街亭は押さえるべき場所だと思う

というか諸葛亮の本隊が祁山から動いた形跡がないのに
張郃がわざわざ街亭に向かったということは
街亭にそれだけの戦略的価値があったということでは

532 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/25(火) 01:18:55
ttp://dl6.getuploader.com/g/yandere/20/yandere_20.jpg
こんな感じ
先に張コウが動いて、それに対して街亭に馬謖を派遣したという形
張コウが渭水に沿って、上ケイにいる郭淮と合流する可能性もあったから
もっとも、その場合はキ山にいる孔明本隊と睨み合いになって、ロウ西、涼州への連絡は遮断されたままになる
張コウとしては、とりあえず街亭に出て選択肢増やして、曹真本隊を待つつもりだったのだろ
そしたら、孔明の見切りが早かったというだけで

533 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/27(木) 21:59:27
日本では普通諸葛亮といえば戦下手というのが確定評価となっているけど
現代の中国でもやっぱり同じく正史の諸葛亮は戦下手ってのが一般的なの?
あくまで現在の中国で、正史の歴史人物としての諸葛亮。
というのも中国の歴史ドラマみてたら総司令官が兵の士気をあげてる場面で
「私は諸葛亮のような無様なことにはならない」って言う台詞があって
中国も日本と同じく諸葛亮といえば戦下手のイメージなのかなと

534 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/27(木) 23:16:20
街亭で負けなかったらというがそもそも馬謖が張郃を抑えれるとはとても思えないんだが・・・・・
作戦違反がなかったとしても

535 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/28(金) 00:21:38
史実でも戦術的には勝ってて戦略的に負けるパターンだから
孔明には戦下手って確定評価じゃないだろ


536 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/28(金) 01:08:37
個人的評価ではなく定説の話。私見は捨てて下さい。
日本では政治上手で軍事下手、と周知の前提として語られるだろ?
結局中国も日本と変わらないのかな。
よく考えたらそれも当然の気がする
日本も中国も同じ史料読んでるわけだし

537 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/28(金) 01:09:49
会戦級なら孔明強いでしょ
所謂、司令官の目に届く範囲での野戦

538 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/28(金) 01:16:50
定説ったって、三国志読本とかそんなレベルでの定説じゃあなんともかんとも。
中国でのそういう巷レべルなら、演義や京劇の普及度が圧倒的だから
普通に「悲運のスーパー軍師」だろう。

539 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/28(金) 23:23:46
>>536は、来るのが十年遅すぎた

指揮官級の戦術においては、同世代では最強というのがここでの定説なのだよ

540 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/29(土) 22:46:02
真っ向からの殴り合いには滅法強いからな諸葛亮
対孟達、公孫淵であれだけ冴えを魅せた司馬懿が、明らかに攻めあぐねてる
第四次は李厳の一件がなければ負け戦寸前
第五次も完璧に引き篭もってたわけじゃなくて、騎兵でちょっかいを出してるけど迎撃されてる
郭淮の働きが無かったら、やばかったんじゃないのってレベルだ

541 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 00:27:11
司馬懿が諸葛亮に勝ったと言い張るのなら、曹操は陶謙に二度も負(ry

542 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 06:14:28
>>541
たとえ劣勢だったとしても最後まで戦線を維持した司馬懿と
現に最前線から逃亡した陶謙を一緒にするのはいかがなものかと

543 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 07:22:43
>>540
実は相手に攻めてきてもらえない時には
諸葛亮の方も結構攻めあぐねているんだよね

侵攻して来た側が攻撃を待っていると言うのはなんか不思議だけど

544 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 21:03:45
陶謙って、逃亡していたってどこにあったっけ?

たとえ、そうであったとしても、
司馬懿が諸葛亮に『勝ったと言い張るのなら』、曹操は陶謙に二度も負(ry

って本質は変わらないが

545 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 21:07:40
人物眼も評価が難しい所
馬謖は失敗、姜維を選んだことも結果的に蜀の国力を損なうことになってしまった
それに対して蒋エン、費イを選び出したことによって蜀は他二国に比べて政治的に安定をもたらすことが出来た

546 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 21:17:12
司馬懿は諸葛亮に対して、陣営攻撃を掛けて負けたことはあるが、一旦自陣を設営した地点から後退した記録はない。
下ヒを捨てて琅邪まで後退している陶謙と比較するのは不適当。

547 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 22:50:58
>>545
たしかに街亭の選択は最悪だった。
でも人物眼を評価するなら一箇所ではなく全体を見て評価しなければならない。
馬謖や蒋エンだけじゃなく諸葛亮が重用した魏延や王平など全てから
というか姜維を選んだって何に選んだんだよ。諸葛亮時代に姜維なにかしたっけ

548 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 22:52:23
北伐軍中の幹部。

大抜擢だけど、姜維が諸葛亮の後継者云々ってのは演義でさえも言ってないことだね。

549 :無名武将@お腹せっぷく:2010/05/31(月) 22:59:11
姜維は魏が「蜀は姜維1人でもっている」と評したくらい軍才はあったんだから
北伐軍中の幹部にするのはべつに問題ないんじゃないの?

550 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 04:28:30

孔明ってニートだったの????







551 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 04:34:14

何で生計立ててたの???

552 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 21:03:42
戦争において退却戦は最も難しく追撃する側は圧倒的に有利。
魏の攻守の要として曹操の覇業を支え百戦百勝、追撃戦の鬼と言われた名将張コウの完璧な攻撃を、
計算し尽くされた緻密な布陣そして作戦で完膚なきまでに撃ち破り、張コウを討ち取った孔明はまさに鬼神。

張コウを失ったことによって魏は、呉や蜀を攻める手を失い、
事実上この時に、三国時代は確立されたと言われている。

553 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 21:23:46
言われてないw
張ヨウのような叩き上げの武将がどうこうできる次元より遥か高いところで三国鼎立は確立している。

554 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 22:07:20
誰が言ったんだよw
孔明厨は痛いって言われたいのかね
それとも演義厨がいいか

555 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 22:12:57
>>554 逆に張コウは痛いと言われたいのかと思った

556 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 22:13:43
>>554 逆に張コウ厨は痛いと言われたいのかと思った

557 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/01(火) 23:21:46
張コウが百戦百勝ってのもな
黒星も結構多かった気がするが

とはいえ、諸葛亮が撤退戦が上手いのは確かだね
>>552は褒めすぎだけど
もっと前に三国鼎立は完成していて、攻めても勝てない状況が固まりつつあった

558 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/02(水) 03:29:27
>>546
不適当と言われても、本質は全く変わらないってば
諸葛亮が戦下手なら、司馬懿は愚将ってレベルになるだろ

559 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/02(水) 05:07:46
>>558
なんで「司馬懿は後退していない」と言っただけで諸葛亮が戦下手だったことになるんだよ。
いちいち頭の悪い勝ち負け問題に持ち込むな。

560 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/02(水) 14:06:59
>>552
これはまた醜態晒したね
読んでるこっちまで恥ずかしくなってくるわ

561 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/02(水) 16:31:07
普通に釣りだろ
いつまで釣られてんだよ

562 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/02(水) 17:50:54
孔明の学んだ荊州学ってどんなの?
兵家、法家、天文学?

563 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/03(木) 15:47:54
>>561
本人ですか?火消し乙です^^

564 :清一色:2010/06/04(金) 21:11:59
・・・あれ?
ぜんぜん冷静なスレじゃないじゃん

565 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/04(金) 21:55:48
>>564
お前どれだけ三戦板に居るんだよ
今までに三戦板で住人が冷静なスレが一つでもあったか?

566 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/04(金) 22:23:48
ちょっと読んだんですけど、みんなすごいですね
普通の人から見ればみんな三国志の研究者か??っていうくらいすごいですね・・・

そこで皆さんに聞きたいんですけど

なぜ、孔明は街亭の戦いで馬謖を抜擢したのでしょうか?

三国志研究でそもそも北伐自体、漢朝復活のため魏討伐のためではなく
蜀自体の自衛のための戦争だったとする説がありますよね
それは魏の国力が蜀の何倍にもあったからなんですけど

それ以前の諸葛亮の采配や
史実から考えて、問題のある馬謖を抜擢したのはなぜなのか、変だなと感じているんですけど

これは僕はこう考えていて
@街亭の戦いの最中に孔明は祁山を出て長安を攻撃するルートを取っている

A蜀はそれ以前から人材難で有能な武将が少なかった

つまり孔明が守っていても、祁山、長安を攻めるルートに
他の武将で安心して任せられる人物がいなかった


@、Aから考えて結論を言うと孔明が街亭を守っていても、北伐自体とても苦しいもので
明帝自身が大量の援軍をもってすれば到底長安を落とせるようなものではなかった

そう思っているんですが
みなさん個人の意見はどうでしょうか・・・??

567 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/04(金) 22:28:36
答えは簡単

街道に陣を構えて守りを固めてればいいだけの役割でベテランの王平もつけてたからまず安心

568 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/04(金) 22:35:03
またアホな1が来たよ
お前は一辺死んでおけ

569 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/04(金) 22:40:30
>>568
え?どのレスの事言ってんの?

570 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/04(金) 23:53:15
>>566
馬謖って天才だよ?

571 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 00:12:29
>>570
軍板に出張して叩かれてた人?

572 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 05:29:00
そのときの王平なんて、どうでもいい将軍その3ぐらいの扱いだと思うけど

573 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 07:37:07
張休、李盛、董襲とかもいっしょに派遣されてんだよ
その他大勢の1人だったけど、街亭でうまいこと撤退して王平株アップ

574 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 19:50:41
>>571
あれは叩かれてると言うより絡まれて煩わされてるって感じだったぞ

575 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 19:56:29
どの板でもあんなん居るんだなw

576 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 20:15:59
牙門将って千人弱を率いる程度の職って聞いたことがある
万はいたはずの街亭守備軍のなかじゃ埋もれていたろうね

577 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 02:26:05

                     _____
                        f{ l l l l lヽ
                       || l l l l l |             .  ,′
                       || l l l l l |           、     ,
                       ト、_|__|__|__|__|イ          、     ノ}   ,
                    ハ ___ o __ノ!         ‐-   / 〈   ´    臣
                    ム::レ 、_  ̄ _, 、|:!        -   {   !   ‐
                   八: |  ̄  「 ̄ i:|          -   V}ノ   -    亮
                     /|::::::i /__ノ_、/:人        ,   _L  、
              / ̄   |::::::ト _,/::::|   ̄ヽ         |  :| ゙        申
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                                       ̄

578 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 05:35:44
出師の表も本物かどうかぁゃιぃ
特に後出師の表は後年の創作

579 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 08:12:50
孔明が撤退戦が得意というか、
劉備時代から撤退に見せかけて伏兵で仕留めるのは達人級。
逆に言えば正攻法で戦うのは苦手って事だが。

>>576
牙門将は将軍の姓が書かれた牙門旗を守る責任者で、将軍位ではないしね。
軍の面子を守る上では大事だけど、戦力としては数えられていない小部隊。

580 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 08:45:08
なにせ張コウを射殺してるくらいだからな

581 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 09:11:37
>>579
王双も斬られたしな。
激突→おお!敵が引いていくぞ!追撃だ→ジャーンジャーン!ゲェッ伏兵だ!
のパターンは有効と言う事だね^^

582 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 11:49:32
劉邦と劉備はどちらも人を見抜く能力が高かった。
やはり君主の資質は人材を適材適所に配置する能力だよね。
孔明は五才十過で駄目だよね。清廉にして人を許せぬ者や何事も自分でことをなす者。

583 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 15:58:08
劉備は人を見抜く能力は知らんが適材適所に配置するのはそれほど上手だとは思わん
失敗も多いし
だけど、人を従わせるのは上手いと思う
この慕われっぷりはやはり人徳のなせるわざか

584 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 21:31:20
劉備の人を配置する能力はかなり高いと思うが
下手ならあそこまで小規模な勢力から国を大きくはできないだろうし

585 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/07(月) 21:48:06
苦労してると、人を見る目がうんぬんかんぬん・・・。

586 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/08(火) 00:26:52
>>548
それ孔明のおかげ

587 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/08(火) 23:13:23
アンカ間違えてた

>>584
それ孔明のおかげ

588 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 19:41:04
孔明の能力ってのは個人に由来するものではなく、
司馬徽門下生というブランドによる人材ホイホイだろ。

589 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 19:59:22
>>581
古今東西を問わず、最も効果的な戦術の一つだからね。
一歩間違えると偽装退却のつもりが兵士が動揺して本格的な敗走に繋がる事になるけど。

590 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 21:01:09
>>588
名士のネットワークの事か。
個人の能力プラス、それって事じゃね?

591 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 21:09:04
渡邉w

592 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 21:44:13
諸葛亮が襄陽避難組に所属した名士の端くれってのはまあいいとして、司馬徽門下ってのはこじつけもいいとこだな。
「益州の今学は章句を大事にしない」と批判した尹黙が師に求めた司馬徽と、
徐庶ら三人が学問の精密さを追求するのを尻目に一人大略を観た、という諸葛亮は、明確に学派が違う。
諸葛亮は今学派か、古今折衷の鄭玄・盧植学派に位置したことになる。
或いは劉備と息が合い、討論を交わすことができたのは、学派の近さからかもしれない。確証はないが。
ともあれ司馬徽の弟子ネットワーク云々は史料上殆どありえない。

593 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 21:48:54
あいや、一家一経を伝承する今学もありえないな。
元の学派がなんであれ、経典に精通し、故事を現実問題に適切に適用するのを問題解決の手法とした
当時の一般的な学問態度から外れた道を選んでいたのだろう。

594 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 22:51:13
そんな勉強態度のくせに現代の管仲・楽キを名乗ってたんだから
歴史に名を残さなかったらただの痛い奴で終わってたろうな

595 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 23:11:55
>>592
徐庶が司馬徽門下生だから諸葛亮もそうだったと考えるのが自然じゃないか?

596 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 23:20:10
>>595
そんな話あったっけ?
加えて、諸葛亮と徐庶は親交の逸話が何箇所にも見られる、
若い頃の諸葛亮にとっては珍しい人物。にも拘らず、「相善」などとあるだけで
同門という記述はなかったはず。
これでは自然には考えられない。

597 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 23:21:57
>>952
>司馬徽の弟子ネットワーク云々は史料上殆どありえない

曹操の南進で、ほとんど捕まっちゃったしねぇ・・・。
赤壁後は、名士のネットワークに頼った印象がある。
司馬徽の評価・・・伏竜は、鳳雛に似るとかなかったっけ?

蜀学と荊州学の違いと、荊州学を学ぶ諸葛亮らの態度の違い気になります。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/09(水) 23:26:21
荊州学って言っても司馬徽は潁川の人だけどね

599 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 19:53:29
>>596
そうだね
やはり諸葛亮は司馬徽門下ではなかったかも知れない

徐庶が司馬徽に師事した事は向朗伝注襄陽記に書いてある
ここに韓嵩・龐統の名もあるけれど、諸葛亮の名がないということは
違うということかも知れないね
徐庶と諸葛亮が共に学んだのは若い頃で
後に徐庶は司馬徽大学院へ進み、諸葛亮はニートになって名を馳せたのかも

600 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 20:02:24
なんか大学院って使えない印象があるけど。

601 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 21:10:11
ニートはそれ以上に(略

602 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 21:15:27
>>599
朗少師事司馬コ操與徐元直韓コ高ホウ士元皆親善.
では、徐庶まで司馬徽門下だったとは言えないだろう。
ここは、與(接続詞「と」)の前で主語の「向朗」が省略されている。日本語でもよくある書き方。
これは

・朗は少くして司馬コ操に師事した。
・(朗は)徐元直、韓コ高、ホウ士元とみな親善した。

という二文。「ホウ士元」までを一文として「徐元直、韓コ高、ホウ士元とともに師事した」とでも解釈すると、「皆親善」が浮いてしまう。
司馬徽との詳細な逸話が記されているホウ統伝でも、ホウ統が司馬徽に師事したとは書かれていないし、師事したとも思えない。
当時は、巷での人物評価の高低が社会的地位や官吏としての出仕・出世を大きく左右した。
そのため、認められない人間は人物評価で有名な名士の所に売り込みに乗り込むことがあった。
曹操も無名の郎だった頃、橋玄の許へ乗り込んで、民を安んずるのは君に違いない、と評を得たが、橋玄に師事したわけではない。
ホウ統と司馬徽の関係も同じ


603 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 22:06:15
>>602
司馬徽・向朗・徐庶・韓嵩・龐統 皆親善
師匠司馬徽を中心としてこの五人は皆仲が良かったって事

龐統と司馬徽の出会いは龐統が18歳の時とされている
司馬徽と語らい龐統は感銘を受けた
書かれてないがそのまま弟子になったんじゃないかな
従父の龐徳公が2千里もただ会いに行かせたとは思えんし
遊学に行かせた話だと思うよ

司馬徽が徐庶を龐徳公の元へパシリに遣った話もある
師弟ならではな話だよ

604 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 22:49:11
>師匠司馬徽を中心としてこの五人は皆仲が良かったって事
>書かれてないがそのまま弟子になったんじゃないかな
文章無視してそんなことを言われても困る。

当時の知識階級は討論や論評を行う広範なソサエティを作っていたんだよ。
その中で学派や論の対立も研鑚も当然あった。
司馬徽やホウ徳公の邸宅は、そんな学徒論客の出入りする場だったと考えられる。
向朗・徐庶・韓嵩・ホウ統らの「相善」した有力な場のひとつは、当然司馬徽の邸宅が考えられる。
が、だからといって師弟関係だなんて決して言えない。
そんなことを言っていたら後漢から三国に掛けて友善とか相善した人間同士が、
それ即ち全て師弟・同門だったことになってしまうよ。

605 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 23:25:12
>>604
訳はこうだよ
「向朗は若いころ徐元直・韓コ高・龐士元と共に司馬コ操に師事し皆仲が良かった。」

606 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 23:33:18
それなら
朗少與徐元直韓コ高ホウ士元師事司馬コ操皆相親善.
だね。


607 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 23:41:24
>>606
それだと四人一斉に司馬徽に弟子入りした事になる

608 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 23:43:17
あと「相」は無い

609 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 23:51:09
>>607
與は「共に」というくらいの意味しかない。「相」が気に食わないなら別に省いてもいい。
だが、結局>>606が語順と文法を無視していることには変わりはない。

610 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 23:55:05
あとついでに他の史料との整合性も。

別に、徐庶・韓嵩・ホウ統、諸葛亮を含めた四人のいずれかが司馬徽門下だった可能性を否定するもんじゃないんだよ。
ただ、考証上、向朗・尹黙以外に司馬徽門下生を特定する史料は無い(はず)ので、
それ以外の人物を門下生とすることを仮説の前提にすることは出来ないってだけ。

611 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/11(金) 06:43:11
>>578
>出師の表も本物かどうかぁゃιぃ

なら、曹操の詩や注釈も全て後世の人の仮託で終了

司馬懿も実際は演義よろしく毎度、ぼろ負けしていたということで

612 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/11(金) 19:12:44
>>611
後世の人の仮託だったら
むしろ諸葛亮の方が毎回負けていたのでは

613 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/11(金) 21:35:53
>>612
「応変の奇略」もあったことになる

614 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/11(金) 23:08:24
>>613
ないよ。
故国の弁護が目的で三国志を著し、劉備を劉邦と比較までして
諸葛亮を可能なかぎり賛美し、「応変の機略に欠けていたのか」などと
欠点を小さく書いている陳寿を皮切りに、蜀漢の評価はその後鰻上り。
それを後世の仮託と言ってしまったら
諸葛亮はじめ蜀漢の実像は無残な有様になる。

無論、そんな意見に承服など出来はしないが。
多少の美化はあっても陳寿はそれなりに誠実に歴史を書いただろうと考えられる。

615 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/11(金) 23:20:50
西晋の人間が司馬懿を貶めてまで諸葛亮を賛美して当然なんて理由はあるの?

616 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 00:06:07
陳寿は諸葛亮と司馬懿を共に最大限フォローしてるんだよ

617 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 05:46:20
>諸葛亮を可能なかぎり賛美し
>欠点を小さく書いている

これは、陳寿が諸葛亮に怨みがあった説もあるから、そうであったとも限るまい
他にボロクソ書いている書物があれば別だが
ハイ松子が称揚している書物を並べて注釈を書いているのは、ひいきではなく、
真実を明らかにしようという動きかもしれん

まあ、自分も陳寿が公正な人間だとは思うが、三国志や晋書に見られるような司馬懿像も
兵や民や魏王朝を利用尽くした結果の、ねつ造であった可能性も蜀漢称揚以上に、否定できないだろ

司馬懿の戦闘や助言の功績は全て、他の魏の人物の功績の吸い上げであったことも疑える

618 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 08:44:07
>>617
陳寿が諸葛亮を恨んでいたとする説の根拠は「父が処罰されたから」だけど
諸葛亮伝の評には「刑政雖峻而無怨者,以其用心平而勸戒明也。」とあるから
陳寿本人が諸葛亮を恨んでいたとするのは無理がある
(恨んでいる本人がこのような評価を自分の言葉として書くはずがない)

裴松之の態度はその通りだろうね
(彼自身は諸葛亮を評価しているけど魏や呉を賞賛する史書も引用しているし
自身がおかしいと思う記述に対しては諸葛亮に対する評価でも批判している)

司馬氏に都合の悪いことは捏造しないで単に「書いていない」から
陳寿は史家としてできるだけ公正に史実を書きつつも
現に晋朝に仕える身としては遠慮しなきゃいけないことがあったということだろう
(晋の前王朝である魏や自身の故国である蜀に対してどうだったかは分からないけど)

ただ司馬懿に対しては相当の配慮が含まれているだろうけど
本人に何の功績もなかったらそもそも曹真や陳羣には並べないだろうから
ある程度は自前の功績だったと見ていいだろう

619 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 10:24:17
司馬懿は応変の機略に長けていたので堅守している司馬懿に勝てる!
でも蜀は滅ぼせない。

「応変の機略に欠けていたのか」の前に「征戦を行いながら失敗したという結果を見れば」という言葉が入る。
つまり結果論。
しかもその結果は才知ではなく天命に由来するとも他でフォローされている。
ひとつのキャッチコピーで全てを解釈するのはやめた方がいくね?

620 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 14:57:15
シュウユかリクソンなら、火攻めしそうな感じだが・・・。
孔明には、手のひらに「火」と書いて見せ合う相手が必要だったのか!?

621 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 21:58:51
>しかもその結果は才知ではなく天命に由来するとも他でフォローされている。
それ、フォローじゃないよ。蜀漢の正当性を疑い、諸葛亮の北伐の意義を潰しかねない危険な言葉。
統一晋の皇帝に対するギリギリの建前。
加えて、同じ献呈文の中で「治戎は長と為し,奇謀は短と為す」とあるのだから、
それが陳寿の基本的な諸葛亮認識としていいだろう。
名相忠臣としての諸葛亮の権威を守るために「応変の将略」「奇謀」を捨てたという言い方もできる。
そもそも、正統な、少なくとも立派な王朝に仕えなければ、いくら智略があっても名相忠臣ではない、
ただの賊だから。
晋に対してはともかく、魏と比べて故国を劣位に置きたくない心情が端々から伺える陳寿の三国志で、
諸葛亮を賊臣の地位に貶めることなんてできるはずはない。

まあ逆説的に言えば、諸葛亮伝の賛で「運が無かった」「統率力が無かった」と書けないために
「将略がなかった」と書いたとするなら、諸葛亮の実相に迫る場合、「運が無かった」や「統率力が無かった」を
認めれば、「将略は十分にあったのに」と言うことはできるのだろう。

と言っても、五次北伐で半年対陣して勝てなかったのなら、運以外の何かが足りなかったと見るしかないだろうが。
自分としては陳寿に賛同して、その欠点を「将略」のレベルに卑小化したいところだね。

622 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 22:44:13
「卑小化したい」とか気持ち悪いな
陳寿と違って何の抑圧もない現代日本人なのに
正しい評価をせず欠点は小さくしてごまかしごまかし虚飾まみれ
しかもこれを意図的にやってるってんだからどうしようもない
信者ってのはマジきもい連中だな

623 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 22:53:51
>>621
天命と正当性は別じゃん

624 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 22:57:40
天に選ばれたってことは正統王朝ってことだろ?

625 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 22:59:56
そいつは失礼。鉤括弧を付ければお気に召したのかな

626 :625:2010/06/12(土) 23:00:34
>>622宛て


627 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/12(土) 23:03:37
>>624
なにそれ?

628 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 19:56:45
>>609-610
「A與B,動詞,目的語」は、AとBが同時に[動詞]を行ったことを意味する
向朗伝注は「向朗が少い頃に司馬徽の門を叩いた」ことを語る
少い頃に入り、少い頃に抜けた ので無ければね
ここに時間が限定され、>>606は誤りとなる
>>605は意訳
「向朗は少い頃司馬徽塾に入門し(瞬間)、徐庶・韓嵩・龐統と共に司馬徽に師事し(継続)、
皆仲が良かった。」

朗少師事司馬コ操,與徐元直、韓コ高、龐士元皆親善。
は「龐士元」の後ろ、「皆親善」の前に
前出の「師事司馬コ操」が省略されている

>>602が言うような
・朗は少くして司馬コ操に師事した。
・(朗は)徐元直、韓コ高、ホウ士元とみな親善した。
だと、前後に繋がりがない
「朗少師事司馬コ操,與徐元直、韓コ高、龐士元皆親善。」は
徐庶・韓嵩・龐統が司馬徽の弟子という前提だからこそ読むことが出来る
この隠れた前提がなければ
向朗が少くして、司馬徽・徐庶・韓嵩・龐統に師事したようにも読むことが出来てしまう
それに
・(朗は)徐元直、韓コ高、ホウ士元とみな親善した。
は言葉としておかしい 「皆」は要らない
この文のおかしさは「親善」の主語が向朗であるところにある
「親善」の主語は「皆」だよ

629 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/13(日) 20:42:57
出師表は「諸葛亮集」という諸葛亮の書簡集にあるから仮託ではないな


陳寿は諸葛亮を公正に評価したんだろうけど
あれは陳寿が軍事を分かっていないが故の評価だろう

630 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 03:38:37
「向朗は少くして、徐庶・韓嵩・ホウ統とともに司馬徽に師事した。」
なら
「朗少與徐元直韓コ高ホウ士元師事司馬コ操」
だね。

馬超遂與韓遂、楊秋、李堪、成宜等叛.
と同じ。動詞の前の主部に名詞をたくさん繋げることができる。

631 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 02:22:14
>>621
ただ諸葛亮は五丈原でジワリジワリと漸進していて
司馬懿は決戦を避けつつ押し留めようと騎兵で
孟エンが武功水東岸で橋頭堡築いてるところに奇襲掛けたりしてたんだが
結局諸葛亮の死までこの蜀の地道な漸進は止められなかった

何年掛ける気だよ、ってな囲碁みたいな作戦だが
司馬懿が諸葛亮を遅くは出来てもとめられはしなかったのは事実なもんで単純な実力不足というわけではないよ
屯田まで作って本気で数年掛かりで関中落とそうとしてるのがわかる

632 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 22:10:20
五丈原で屯田をしたのは良いけど、肝心の作物の実りが無かった説は本当なのか!?

633 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 22:23:32
>>631
諸葛亮の軍隊の統率力や兵の強さは折り紙つきだろう。
だから四次でも五次でも局地的には優位に立てる。
しかし、膠着した戦況を一挙に覆すような「奇謀」、
敵の虚を見出してそこに実をぶつけるような「応変の将略」が
足りなかったために最終的に勝ちを掴めなかった、と陳寿は分析している。

この奇謀というのは、漫画みたいな奇想天外な計略とかじゃなくて、
虚実、奇正を見極めて彼我の行動を制御する、孫武が唱えた戦略眼を意味する。
諸葛亮は出兵段階ではこれを見事にやりとげて魏の戦力を分散させたり
遠路急行を強いたりすることができたが、
戦場では、先に到着しているにも関わらず後から来た魏軍に陣営を構築して
膠着状態に持って行くことを可能にさせるなど、後手が目立つ。
あくまで司馬懿などに比べて、というわけだけど。

あと、時間を掛けたら曹叡の本隊や中原諸軍が来るので不利になっていくばかりだろう。

634 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 22:26:21
>>632
根拠はないし、殆ど気候が変わらない漢中や武都で農業をやっているのに
渭水での屯田が失敗するという必然はない。

635 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 08:05:22
>>633
前々年辺りから呉が連年山越を駆逐して軍事力を増強させているもので
たかだか10万程度の蜀相手にそんなに多数の軍勢を貼り付けておけないのが魏の悩み
下手に決戦すれば第四次の二の舞だし

636 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 08:31:22
>>632,>>634
田中重弘氏は土壌、気候、作物(品種)、農法等が屯田地に適さなかったことと,
史書にも成功した記録がないことから,五丈原以前に漢中での屯田も失敗したとする。
(歴史群像シリーズ18)

氏の意見は置いとくとして,五丈原では現地民と摩擦が起きなかったとあるから,
蜀軍の屯田は農地として使われていなかった場所で行われたのだろうけど,
そんな場所で1年目からうまくいくのかと言われれば疑問ではある。

637 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 08:54:42
>>631
>結局諸葛亮の死までこの蜀の地道な漸進は止められなかった
魏軍が本陣を後退させた記録も,蜀軍が魏の本陣を攻めた記録もないから,
蜀軍は半年近く対陣していながら敵陣にすらたどり着けなかったとも言える。
(両軍の間は武功水を挟んで20里しかない。)

638 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 20:39:23
>>635
貼り付けてはおけないが、呉を撃退した翌年にもまだ蜀が関中にいたのなら、
それに皇帝中軍を振り向けるくらいのことはできる。

639 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 22:19:53
>>637
武功水の東岸に時期は不明なものの陣地を構築してたわけだしじわじわと押しちゃいるんだよね
魏側には数万ほど増援も送られてて寡兵な蜀が敵陣に突っ込むなんて真似もできないし
辿り着けなかったとかではなく陣地の取り合いをする囲碁のような戦い方だっただけだろう
仮に蜀が強引に攻めても司馬懿は要害に篭って決戦しないであろうことは
それまでの行動でもほぼ既定路線と呼べる状態だからなぁ

640 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/28(月) 20:06:50
>>639
魏は決戦を避けて陣地に篭っていればそれでよかったのだけど,
それでよくないはずの蜀がそのようなことしか出来なかったという事は,
諸葛亮の作戦が行き詰っていたということではないのか?
(諸葛亮が五丈原に上れば問題ないと言う司馬懿の言葉には,
それだと決戦をしなくてすむという意識も含まれているだろう。)

641 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/28(月) 23:39:11
>>630
意訳と言ってるんだけど

642 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/28(月) 23:40:33
横レス
>>636

>田中重弘氏は土壌、気候、作物(品種)、農法等が屯田地に適さなかったことと,
>史書にも成功した記録がないことから,五丈原以前に漢中での屯田も失敗したとする。
読んでないけど馬鹿馬鹿しすぎないか?

・漢中
まず屯田地に適さないの意味が分からない
漢中は張魯時代栄えていたのに農地に適した場所がないということがあるわけがない
記録もいちいち成功した記録がある方が珍しい 称揚家の魏ぐらいだろう

・五丈原
渭濱居民の間に混じって屯田したのだから
その場所は耕地化しさえすれば作物が採れる場所だよ
農作に向く向かないないなんてのは、もっと広〜い"一帯"を言うものだろう
蜀軍の場所だけ土壌・気候が悪いという事があるわけがない

643 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/28(月) 23:43:05
>>639,>>640
五丈原は本陣
普通、本陣の回りにいくつもの陣地を築いて陣立する 
よく聞く「陣容」とは陣の配置・配分のこと
武功水の東岸の陣地はその一部
五丈原に本陣を置く蜀軍の前衛ってこと

644 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 06:51:51
五丈原って耕作に向く向かない以前に
マジで万余の兵が入ったのかよって位に狭いよな


645 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 16:58:37
要するに孔明は機略縦横の智謀英雄の士ではなかった
まじめな実務官僚型の士

646 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 17:25:55
>>645
そりゃ今さら言うことでもない
ずっと前からそう言われてますがな
定説ってやつ
石田三成的な

647 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 18:59:00
確かにコウメイと石田ミツナリは似ている。
内政に優れ、兵の士気は高く、参謀タイプだから作戦に凝り、
野戦の指揮官タイプじゃないから、あまり臨機応変なことはしない。
主が死んだ後も忠誠を尽すのも似ている。

648 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 19:08:17
孔明は参謀タイプじゃないだろ
曹操や劉備と同じく武将タイプじゃん
参謀がいれば参謀をつける

649 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/29(火) 21:17:12
>>644
五丈原の面積12平方キロメートルだよ?
分かりやすく言えば 3q × 4q と同じ面積

650 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 15:46:25
北伐の目的の一つは内乱をふせぐための
軍事権の掌握だろうな

651 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/12(月) 17:47:10
蕭何に近いんじゃね?

本人、ガッキやカンチュウのようなタイプ目指していたようだが。

実直な能吏ってところジャマイカ?

忠義はピカ一だけどな。



652 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 22:02:13
孔明 「諸君は戦争経済をご存じない」

653 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/12(月) 22:04:36
そこで言う経済とは

経世済民のほうなのか、economyのほうなのか

654 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 22:06:41
>>651
そりゃ蕭何の輩といえば誰も文句は言わないだろう。
後方担当としての諸葛亮を否定する奴なんてまずいないのだから。

なぜか中国史上最大の名将であるかのように言い張っているから馬鹿にされるだけで。

655 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/12(月) 22:10:33
はっきり言って応変の才は張良にはおよばないし、陳平にははるかにおよばない

と思う。

ひょっとすると法正にもおよんでないかもしれない

656 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 22:18:44
>>655
無茶言うな。
諸葛亮を称賛している陳寿や袁子ですら言わざるを得なかったのだから,
「応変の才」が足りなかったのは明らかだろう。

何せ後世の擁護派ですら「将才」はあるとしか言えないのだから。

657 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/12(月) 22:21:02
創価。

比較すること自体が_ということか。

658 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 22:52:49
アレクサンドロスとかハンニバルとかトップクラスでも応変の才というか、
最後は会戦での力業という気がしないでもない
その力業が余人には真似できない物なんだけど

659 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 22:56:09
諸葛亮の政治力と統率力に加えて張良・陳平と比較できるほどの「応変の才」があったら
それこそ中国史上最高クラスの化け物だわw

660 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 23:16:39
「応変の才」って、この場合の軍を率いる・・・に当てはまる?
むしろカンシンが比較対照じゃ?

第4次北伐みたいに正面でぶつかれば強いんだけどねぇ。
第1、3次北伐みたいに陽動がないってのはどうかと・・・。

661 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 23:19:45
兵力がない、別働隊を任せられる将軍がいない
ナポレオンは糞つえーので負けちゃうけど、奴がいないとこで勝ちを2つ以上拾えれば最終的にはOKみたいな

662 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 02:48:22
>>654
中国史上最大の名将だなんて言ってる奴なんて居ないだろう
定説じゃ戦下手で応変の才なし。無能と言う奴までいるのに
高評価する奴だってせいぜい「無能ではない、それなりに優秀」どまりしか見たことない

勝手に仮想的を作って諸葛亮叩くなよ

663 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 11:34:41
孔明を無能って・・・。
政治手腕は間違いなく有能だと思うけどな。
あの益州を維持&遠征軍の派遣できるのが他に誰がいるのかと思うのだが。

応変の才はないのは確かだけど、戦下手と言うのは言いすぎな感じ。
兵が多く守りを固めてる相手に勝つ奴って滅多に居ないような?

664 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 11:54:45
今は政治分野の話じゃないだろ

665 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 13:27:33
そもそも
>>655の張良も陳平も法正も

武将じゃねえええ

666 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 18:13:59
孔明が戦下手ってのも煽り以外ではあんまり聞かないぜ

667 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/13(火) 19:19:58
>>665
おっと、自ら兵を率いるような香具師の話だったのか。

失礼。

ただ、漢中取りの法正と北伐の孔明はやっていることに違いはあまりないかと。

>>666
下手とは言わんが抜群とも言わない。

戦略では非凡だが、戦術は平凡よりやや上くらいの印象。

戦術面では劉備のほうが上と思われ

668 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 19:28:52
>>666

ttp://www.k4.dion.ne.jp/~shota/syoku2.html#SEC12
ttp://china-biography.seesaa.net/article/132358163.html
ttp://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1723031.html
ttp://alfalfa.livedoor.biz/archives/51413505.html

いくらでも聞くけど。
知恵袋で孔明か諸葛亮で検索してみたら?

669 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 19:34:17
知恵袋は知識の無い回答者が平気で嘘書いてるじゃん
wikiよりも頼りにならない

670 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 19:41:24
今は信憑性の話じゃないだろ

671 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/13(火) 19:42:20
カコウボウよりは戦上手だと思うよ

672 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 19:52:45
カコウボウより戦下手な奴っているの?

673 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 20:32:49
ぼーって実績あったのか?
戦場にも出たことなさそうなのに、敵国にまで伝わるへたれっぷりとは何なのだ

674 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 23:02:54
戦術においても、司馬懿より上ってこのスレの流れではなっているけど
劉備より下なのは認めるが、平凡より上ってのは過小評価すぎる
陰謀論をいれなければ、司馬懿より上と評価するのが普通

あの政治力、統率力で、三分まで持っていく戦略があって、それだけの戦術があるから、
あれだけの文章が書けて、発明ができて、君に忠誠を尽くしたわけだから、
どれだけすげーんだ、ってわけで、張良や陳平より上の名声を受けたんじゃね?

まあ、「応変の才」はあまり無いのは認めるが

675 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 23:06:53
劉備って戦上手か?

676 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 23:39:32
劉備は少なくとも曹操以外の魏将ならほとんどボコっていて
曹操相手でさえ、状況が整えば勝てるほどの力は持ってる

677 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/13(火) 23:54:59
ぶっちゃけ関羽張飛のおかげじゃないの?

678 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 00:10:00
>>677
史実では夏候惇とか劉備の伏兵戦術にものの見事にやられてる
ちなみにこれは孔明が使える前のこと

漢中戦でも劉備が軍を率いて戦って勝利したところに関張はいない
陸遜も劉備を評して「千軍万馬の古強者」とよんでおり
劉備が綿密な策を立ててるときは戦っても勝ち目がなかったといってる

679 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 03:09:52
でも夷陵分マイナスしないと
負けの規模が大きいし、
ただ負けただけならともかく
黄権の献策を蹴ったのは明らかに劉備のミス
だから劉備もそれを分かってるから「わしが黄権を裏切ったのだ」と言ったんだ
そんな負け方をしたから曹丕にも「戦が分かってない」なんて言われた
運がなかった、だけじゃすまない
戦下手だとは思わないが

諸葛亮だって失敗があるからこんなに劣ってる劣ってる言われてるわけで
劉備だって敗戦は考えに入れないと

680 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 09:31:08
でもそれをいうなら
曹操だって赤壁をはじめとする大敗北があるんだから
そこらへんをマイナスしないと、って事になるよね

681 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 20:47:03
孔明が駄目なのは作戦級での采配
目の前の相対する敵との戦術だったら強い
劉備も作戦レベルだとウンコ

682 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/14(水) 20:54:36
>作戦級での采配

これを詳しく

683 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/15(木) 03:42:04
>>680
そんなのあたりまえ
曹操を評価するときいつも赤壁無かったことにして
勝利しか見ずに曹操は無敵!曹操は完璧超人!とか言ってんのか?

全体を見て、勝因と敗因、その他の条件もわかうる限りちゃんと考慮に入れないと
ただマンセーしたいだけ、貶めたいだけにしか見えない

684 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/15(木) 20:46:28
曹操も赤壁をはじめとする大敗があるのに戦上手と評され
劉備は夷陵の敗戦によって、曹操にさえ勝利した手腕を忘れられ
戦下手とよばれる理不尽

685 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 05:22:30
劉備だって戦下手ではないということさ
そして曹操だって大天才みたいな言われ方してるけど失敗もあるってこと
それを分かってくれない奴がいるんだよな
失敗があったって英雄には違いないのに

686 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 11:22:58
>>678
>>677は演義も孔明の話もしてないのに
史実では〜孔明が仕える前〜とかw
ちゃんと人のレスは読めよ
なんでも演義厨扱いしてないでさ

687 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 18:46:50
>>684
要はそういった極論を吐いて批評家を気取ってるやつらが問題なんだろうな
赤壁で敗れたといっても曹操が戦上手ではないとは思えないし、
夷陵で敗れたからといって劉備が戦下手ってわけでもないしな
無敗の人物だけが戦上手でもないわけで


688 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 19:29:37
呉氏も言っているだろうが。

五たび勝つは禍なり

〜中略〜

一たび勝つは帝なり

と。

孔明がチュウタツより戦術の才が上かどうかはあやすい気がするが
戦略面では上じゃないかなぁ、と思う。

>>674の戦術を戦略に変えると漏れの意見と同じになるような。

689 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 19:54:45
諸葛亮が司馬懿より下って
司馬懿の方が上なんだったらなんでヘタクソの諸葛亮ごときに局地戦で負けたのかね
やっぱ陰謀とかわざと負けたんだとか史書は曲筆してるとか言うクチ?

690 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 20:59:56
そもそも演義のように諸葛亮が司馬懿が
戦術的手腕を発揮する場面てあったのかな?
曹操みたいに自ら少数の兵を引き連れて敵陣を襲うのならともかく、
諸葛亮が司馬懿なんかは後方に控えて都督らに任せっきりじゃないのか。
袁紹も軍事は沮授らに一任してただろう。

691 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 21:33:47
>>686
誰も演義厨扱いなんかしてなくて
単に史実の劉備の実績をあげただけだろうに
被害妄想強すぎ

692 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 21:36:02
>>690
第4次の会戦は司馬と諸葛がそれぞれ決断を下した上での激突となってるから
孔明の勝利は戦術的勝利といえそう

693 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 21:39:07
>>688
直接対決で孔明が仲達に勝ってるのは
孔明の戦略的手腕の所以だといいたいの?

694 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 21:45:34
>>693

いや、そうじゃなくって、それレスしたときは陳倉のこと考えてた。

祁山のことは頭になかった。

それでも>>688は変わらない。

695 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 21:52:29
>>694
悪い意味じゃなくて
あなたの考えが知りたいと思ってね
祁山会戦では孔明と仲達が直接対決し、その結果、孔明が見事な勝利を収めた
これは戦術的手腕では孔明>仲達であるといういいモデルケースだと思うけど
戦術では孔明が上でないとするなら、勝因はどこにあると考えてるの?
あの勝利は孔明の戦略的手腕の証明だといいたいの?
あなたの考えが面白そうなのでぜひ語ってほしい

696 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 21:54:38
司馬懿が陳倉落としたとは初耳だ
落としてないのなら上下を判断できるわけないからな

697 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 22:05:43
>>695-696

そうだねぇ。

直接対決で勝ったー、負けたー、で評価するのが一番なんだろうけど

どうも陳倉の印象が強くてねぇ。戦術的によろしくなかったような。

一方で祁山はチュータツに全責任を負わせるのもなんとも。

真ちゃんと交代してからあまり日がなかったようだし。

ま、理屈つけて説明するべきだろうけど、ゴクゴク簡単にこんな感じで。

ただ、あれよ、戦略は目を見張るモノがあると思うぞ。

ほぼヒキコモリ青年があれだけのポジションに劉備軍全体を持っていったからなぁ。

もっとも孔明独力ではないだろうけど、凄し。

698 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 22:06:46
孟達や遼東を見るに司馬懿が凄いのは作戦的機動力であって会戦でどうこうってのは特にないな

699 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 22:13:42
第4次北伐の孔明にはちょっと酷かもしれないけど、
張碌先生が言っていたように、戦はまず寸土でもキープせんと。

もっとも、李平が悪いんかな?

700 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 22:15:22
おっと、>>699は戦術以上の要求のようだなw

701 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 22:31:54
一応、二郡とっているじゃん
国力差と互いに国家が安定してことを考えると、戦術も相当なものといっていいだろう

しかし、こっちの方がレベルが向こうより高いな

司馬懿はどうしてメジャーになれないのか?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161769088/l50

多少、ましなのもいるが、諸葛亮を戦下手とか、司馬懿の陰謀論をマジで主張しているのがいる
やはり、ネタが多くても、専門でやっている人の方が強いのかね。それとも、その方が広い視野をもてるのか
どちらにしても、中英敗れたりw

702 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 22:37:20
司馬懿がマイナーなのと諸葛亮と関係ないのになw
目の敵にするんだよな

703 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 22:50:51
>>701
おっと、申し訳ないがその二郡教えてくれまいか?
チュータツに勝ったのちにいきなり祁山まで全面撤退の記憶しかないもので。
そもそもこれが勘違いしている可能性もある。

で、ここで整理しておくと

戦術とは…戦闘実行上の方策。一個の戦闘における戦闘力の使用法。
戦略とは…戦術より広範な作成計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法。
                                                (広辞苑より)

漏れはこういう意味で一応使っているつもり。

704 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 22:55:09
何故自分で調べない…

705 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 23:04:25
むむむ。

第三次なら二郡の話はわかるんだがなぁ

第四次北伐は・・・

ヒントくれ。○○に載っているとか。

706 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/16(金) 23:17:20
二郡とったのは、第三次の話として
陳倉の話も出してきたのだから、別に第四次に限っているとは言ってないだろ

今は、孔明の軍事能力の話なんだから

また、こっちから攻め込んでいるんだから、撤退したとしても、橋頭堡を破壊したり、
その作成を阻害している
寸土もとっていないは、少し言い過ぎだろ

707 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 03:18:48
>>697
それいったら陳倉だって考慮の余地があるんじゃないの
20日分くらいしか食料もってなかったみたいだし
このくらいの期間じゃ堅城攻略するのは結構厳しそう
それに野戦と城攻めじゃ求められる戦術能力も違うよ
日本の徳川家康だって野戦は得意だけど城攻めは下手といわれてるし
孔明も少なくとも戦歴を見る限り、野戦の能力に関しては結構なものをもってそうだよ

708 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 04:26:20
孔明の失敗は全部孔明のせいだけど
司馬懿の失敗は司馬懿の全責任じゃないよ
直接対決で蜀が勝っても
孔明の功績じゃないし司馬懿の失敗じゃないよ
だから孔明より司馬懿の方が上だよ


こうですか

709 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/17(土) 05:24:23
>>706
>>699 漏れは第四次に限定してますモノ言ってますがが、何か?

>>707
あれって奇襲だから兵糧少なめなんじゃないの?

奇襲ならばそもそもその選択が如何、というところ

>>708
それは違う。
戦術に関してははっきりと チュータツが孔明より上だ。キリッ 
じゃなくてチュータツが孔明より上なんじゃないかぁ、ぐらい。

断言するほどの差があるとは思っていない。

710 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 06:53:21
第四次に限定するのなら陳倉とか言い出すなよ
一方を甘く見て(司馬懿、自分)
一方を厳しく見る(孔明、論戦相手)
ってアンフェアが多いな小銀玉たんは

711 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 10:26:04
たしかに

712 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 12:02:54
仲達の遼東征伐や対呉の手腕を見る限りでは、真面目に孔明に苦戦してたと見るべきでは

713 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 12:35:29
f

714 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 13:52:12
そもそも戦略だの戦術だの言ってる奴はどういう観点でどういうソースをもとに語ってるのか
一度整理してくれ
そしてどっちか一方が立てばどっちか一方は否定みたいな二者択一的な思想は控えていただきたい

715 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 14:36:35
司馬イ自身がいってるじゃないか。
食いモノが少ない大兵には持久戦、逆なら速戦だ、と。
第五次北伐だと、孔明は十数万(蜀の人口の記録見ると、到底不可能な大動員だが)の兵を出していた。
まともにぶつかるほうがおかしいんじゃ?

716 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 14:46:58
防衛する側だって動員かければ消耗する
何より自領土が戦場になって荒らされる
しかも、粘着質で諦めの悪い孔明は何度も攻め込んでくる
侵攻軍を撃破できるならやった方がいいに決まってる
長躯遠征の不利を抱える相手を撃破出来ない、追撃かければ逆襲食らう
あれは出来るけど、これは出来ない
結局、司馬懿も孔明も軍事能力に関してはちょっと優秀なくらい

717 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 14:57:40
>>715
どこから十数万なんて数字が出たんだよ

718 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 14:59:42
篠田センセが十数万って言ってた
北伐に関しての明確な兵力記述ってどこにもないでしょ
降伏時の戸数とかその辺から、各人が類推してるだけ

719 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:09:20
篠田センセが言ってたって・・篠田センセのイエスマンかよ
じゃあ「安藤センセが言ってたから3万」とかでもありになってしまうだろ

その篠田センセが何の史料からどういう根拠でその数字を推測したかを言えよ
まさか根拠も分からずに盲信してるわけじゃないんだろ?

720 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:11:17
諸葛亮伝に衆をつくして、とあり注釈に十万、という数字が見えるのが元じゃないっけ。
どの道、毎回食い物が続かない中で大兵力を投入するなんてばくち以外何者でもないが。
屯田策によほど自身があったんだろうか。

721 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:16:10
晋書宣帝紀にある十数万が一番多い数字かな。

722 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:22:09
魏書だと孔明病没も、食糧尽きたのに悩んで、とある。兵站の勝算の無い戦いはやはり無茶。
もっとも注釈した陳寿さえあまり信じていないっぽい記述だがな。

723 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:25:56
司馬イさんによると、
孔明は志は大きいが機を見るのは鈍い。
謀計は得意だが決断力が乏しい。
戦術は優れているが正攻法しかとることができない。
十万の兵を連れているけどこちらの思うとおりになっている。必ず破れる。

724 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:32:28
毎回食糧不足の失敗を繰り返す。二度も三度も同じミスを続けるのは、将軍として微妙としか。

725 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:48:04
兵站の改善なんて無理だから、決戦求めてたんじゃん

726 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:48:10
>>707
陳倉の件な。

・諸葛亮は事前情報から陳倉城はオンボロの小城と判断していた。
・しかも小城なので守備兵も1000人前後。
 ↓
・曹真に進撃路を読まれて陳倉城は突貫工事で要害化されていた。
・余裕かましてやって来た諸葛亮は堅牢になった陳倉城を見て呆然。
・指揮官が名高いカク昭と知って慌てて篭絡を謀るが、あっさり失敗する。
・守備兵の数十倍という圧倒的多数の利をもって強襲するが、あっさり撃退される。
・兵糧も乏しくなったので撤退。

727 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:55:11
陳倉に孔明は二度と手を出さなくなったから、よっぽど懲りたんだろうな。
演義だと次の北伐でカク昭病死につけこんで速攻で奪ったことになっているけど。

728 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:55:11
陳倉はあれだけど、それ以外は別に普通なんじゃね
元より秦嶺山脈を超える兵站線を抱えて、2年も3年も対陣するって無理臭いし、
1年で長安なり隴西できんとなー

729 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 16:56:24
魏延なんかは奇襲策で現状を打破したがってて、出て行くたびに献策してたらしいけどね。
孔明はなぜかすべてを退けた。

730 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 17:02:21
食糧が足りないのなら、食う兵士を減らして少数精鋭で出張るとかしかないが。
そういう工夫はなかったな。
一応、注釈では魏より投入兵が多かったのに勝てなかった第一次を反省して軍をコンパクトにした、というようなのがあるが。
それでやった第二次はもっと少数の陳倉の魏兵に勝てなかったでござる。

731 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 17:05:21
敵の攻勢限界を討つバックハンドブロー
でも魏は退却眺めてるだけだよね

732 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 17:06:44
>>731
いや、魏は追撃しているだろう。第三次と第五次以外は。
無名の王双はともかく、張コウのような大物まで追撃したところをやられているし。

733 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 17:15:27
>>729
なぜかってあんた孔明は意味不明の行動する人みたいに
理由を知りたければ分析考察してるブログがあるから参考にしてみれば?

ttp://blogs.yahoo.co.jp/antoine_henri_jomini/35318621.html

734 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 19:41:32
>>726
もともと20日余りの兵糧しか持ってなかったこと、
さらには引き上げる時に追撃に来た王双を返り討ちにしてることも書いとけば
てか名高いカクショウって、そんなに名高くなかったろ

もともと第一次北伐の後で戦力の再養成を図る前に出た戦いだから
兵糧も第一次の余り物くらいのを使っており
敵である張コウにも兵糧の少なさから早期の撤退を予想されてる
短期で引き上げたのも自然で、単にとれたらいいな、的な戦いに見えるけど

735 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 19:51:37
>>709
奇襲てか、敵である張コウにすら兵糧による早期撤退を読まれてるくらいだから
第一次の後でそれほど期間もおいてないので、準備もそれほど整っておらず
呉の石亭の勝利に乗じて取れたらいいな、的な侵攻だったように思える

どっちにしろ、なぜ直接対決で負け、その後も追撃戦でも負け、寡兵の孔明を
野戦で撃破できなかった仲達が戦術で上になるかがわからない
仲達は遼東や呉との戦い、孟達戦を見ても、本来は積極的な機動戦を好む武将
それが第4次の祁山会戦では、お得意の機動戦術を駆使して挑んだにもかかわらず
孔明に撃破され、その後はひたすら持久戦に持ち込み、追撃しても負けてるところからして
孔明の戦術能力に勝ってるとは思えないのだけど
張コウの戦死は、張コウは追撃すべきでない、といったのに、仲達が無理に追撃を命じた結果とされてるし
実際に蜀軍が追撃を跳ね返して勝利を得てるところからも
孔明の力が伺えるよ

736 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 20:28:42
>>730
しかし魏は第三次は2郡とられたでござる
第4次は野戦でも追撃戦でも完敗したでござる

737 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 22:11:51
お前らのどこが冷静なんだよ?
「冷静に評価する」の定義から必要なようだ

738 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 22:14:28
>>564

739 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 22:58:48
どっちか一方の視点にしがみついてるようなんばっかだ

740 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 23:05:25
じゃあどっちにもしがみつかない評価おねがいします

741 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 23:42:08
煽ってないなら、十分、冷静だろ
意見の対立はあるが、中傷だの陰謀論だのでていない以上、許容範囲だ

742 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 23:46:52
それは「冷静に議論する」だろ
「冷静に評価する」の定義は何だと言っている

743 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 00:14:31
>>732
退却時に伏兵を置いて、敵の追撃に打撃を与える・・・だけでも
マシだと思う。
>>735にあるように敗走とは訳が違うし><

毎回食べ物無くて撤退はどうかと思う。第3次北伐辺りから対策しても良さそうなのにね。
@魏延の涼州遠征って、第3次北伐に含むんだっけ?

744 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 00:40:07
第三次は食糧がなくて撤退したんじゃない作戦成功だよ
第四次は長雨で補給に失敗
第五次は病死
第一次は作戦失敗で撤退

シンレイ山脈があるから補給に苦労はしていたみたいだね

745 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 01:29:19
諸葛亮としては二次は計算狂ったんだろうね
郝昭の降伏もしくは簡単に陳倉が落ちると思ってたんだろう
兵器も大量に持ち込んでるし速攻で落としてしまいたかったんだろうけど
郝昭が以外に粘る、そうこうしているうちに魏の援軍も来る
長期戦なんて想定していなかったので退却みたいな

746 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 08:18:32
第3次のための魏に視線をそらすための陽動という説もあるような

第3次が成功しているので、その可能性は否定できない

747 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 08:35:37
二次で完全に計算が狂ったのだとしたら
それにしては間髪入れず三次をはじめて
しかも連携が見事すぎる
応変の才ありまくりだ

二次で陳倉を攻め落とすつもりだったけど
念のため武都陰平にも兵を出し保険をかけていた説が
一番ありえるように思えるなあ

748 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 08:55:38
陽動にしては本格的過ぎるだろう。
単に別働隊として派遣した軍勢が成果を挙げただけじゃないかな。

749 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 10:13:38
諸葛亮軍も赴いて郭淮を撤退させてるんだよ

750 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 12:54:04
戦術的勝利を拾っても、戦略的勝利につながらない。
むしろ自国を疲弊させただけ。
戦争ってのは殺し合い自体が目的じゃありませんぜ。
道義的なものや小説上の評価はともかく、軍人として司馬イに負けるとなっているんじゃないかね。

751 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 12:56:55
>>748
だろうね。むしろ武・陰へ兵を分けたほうが陽動だろう。郭ワイを引っ張り出すための。
ところが本隊が大敗し、そっちがうまく言ったから後詰をまわした。
魏からすれば僻地でも、負け続けの蜀からすれば政治的宣伝の意味もあって取ったのは朝廷でも評価されたけど。

752 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 13:05:37
>>733
アクセス数稼ぎ乙です。
魏延は後世の妄想化じゃなくて、実際にそこらに長く駐留していた軍人だぞ。
なんで魏略の非現実的な記述が理由になるんだよw

753 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 13:16:40
だから自分が不得手な方面の才能の優れた関羽をおだてたり、
私刑やりまくった法正の残忍に目をつぶったりしたんだろ。
北伐は劉備末期の連続失点の挽回行為で、考えていた天下三分の計の大前提はあっさり崩れた後。
勝ち目ない、ジリ貧だとわかってて意地になってた可能性は否定できんけどね。

754 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 17:44:37
>>750
国力を疲弊させていたという証拠はない
攻め込んで、無事退却しているのだから、戦果はあったし、
魏が攻めるための拠点を破壊していたと考えれば、評価されても門題はない

また、攻め込まれまくって、何度も敗北し、消極的な策により、魏の士気を落とし。
国を荒らされた司馬懿を責める論調があったもかまわない

諸葛亮が当代に隔絶した名将でないとすれば、なおさら

>>751
退却はしても、大敗はしてないだろw

755 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 17:51:42
曹真にも勝てなかったしな。
たまに勝っても魏軍の枢要を揺るがせることはできなかった。
ま、元々国力富力に圧倒的な差があったわけだけども。
そういう状況を把握できなかった、あるいはできたけど強引にいったのなら三軍の将帥としては微妙だろうな。

756 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:00:13
>>752
漢中防衛線は劉備が構築し孔明が手を加えたという記述はあるが、魏延が何かしたという話はない
長く駐留してたと言っても本当に長くいたってだけなら戦略眼がないってのは両立する

757 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:06:00
つうか魏略を信じるのなら、魏延は孔明に後事を本当に託された人物ってことになるわけだがw

758 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:09:36
民からの恨みを忘れさせる手法は一流だよ。
大兵大役で民衆が疲弊し怨嗟を起こさなかったことはない、とか清の趙翼はいってるけど。
少なくとも怨恨を防ぐのには成功しているからな。

759 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:14:37
文末にwをつける奴は確実に冷静じゃない

760 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:16:25
ああ、魏略を信じて魏延を貶めるのなら、当然魏略を信じてその魏延に後事を託してあんな結果になった孔明の失敗も認めないとな。

761 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:21:50
よく聞く「北伐で魏を倒せないのはわかっていたが、積極防御のためにやった」という意見って史書に信頼できる記録あるの?

762 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:26:21
政治家としてはともかく、軍人としては魏延が後釜でもおかしくはなかったけどな。
諸葛亮が全軍を握ってからは、独立した作戦行動をとりかつ野戦勝利の功績があるのは魏延だけ。
官位も前線指揮官中最高位だし、姜維はまだ中堅どころ。
でも性格がアレだったからねぇ。

763 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:27:19

北伐は「司馬イ〜?スレ」でやってる
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240293621/33-


魏延の奇襲案は前スレにある
http://mimizun.com/log/2ch/warhis/yutori7.2ch.net/warhis/kako/1265/12657/1265717411.html
ここの102から

結論すれば魏延の作戦は上手く行った可能性は結構ある
魏略は劉備・劉禅・諸葛亮といった主要人物を貶めるのが好きだから、
魏延の案は魏延に不利なようには書かれてない
本当の話か、出来すぎな話かのどちらか


764 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:30:24
奇襲策は別に長安を占領できなくても、敵の物資集積所を破壊したり補給線を切断すれば効果あるからな。
曹操の官渡戦のように。
でも司馬イいわく、孔明は正攻法しかとれない男、だそうだしね。
自ら奇襲を指揮した曹操の果断には及ばない。

765 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:34:55
>>763
リンク先見てみたら
前スレからすでに煽りばかりの酷いスレだったんだなここw

766 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 18:36:38
士大夫の孔明が兵隊あがりの魏延を信頼するか?
張飛クラスでさえ劉巴にあんな扱いだったのに。

767 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:04:55
>>764
許攸が舞い込んできたのが大きい
しかもそれやらなきゃ負けるというラインまで追い込まれていた

768 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:09:08
>>763
まあ正史よりは魏略の案の方がまだマシと言われてる魏延案だけど

769 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:11:24
正史の伝でそんな具体的な献策って記録されてたか?
まぁ毎度食い物が続かない、という同じミスを繰り返していれば魏延も毎度別の方法考えろよ、というのは自然だが。

770 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:13:21
「毎度食い物が続かない」という事実が存在しないんだけどね

771 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:14:46
>>770
正史も読んでないのに何がしたいんだw

772 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:16:20
>>770
正史を読んでいれば770が真実であると分かる

773 :772:2010/07/18(日) 19:17:15
レス番間違った
>>771

774 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:31:52
正史はもとより、演義のほうでさえ孔明は食糧調達に四苦八苦してるのになんだろ、と思ったけど。
別スレで妄想だけで暴れているやつだったのか。

775 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:39:44
無知なくせに自信過剰な奴がそう言うんだよな

776 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:43:29
>>770 >>774

「毎度食糧調達に四苦八苦している」なら史実
「毎度食い物が続かないで撤退している」なら違う

777 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:44:54
妄想だとか無知だとか
相変わらず全然冷静じゃないスレだな

778 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:46:05


779 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:52:53
>>776
まてよ? 「毎度食糧調達に四苦八苦している」のが史実だなんてどうして言える?

780 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 19:59:57
しんれいさんみゃく

781 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:02:15
正史・諸葛亮伝ぐらい読んでると思ったがそうじゃないらしいな。
糧が尽き、とか糧続かず、とかあるのに。書き下し文さえきっついのかな?

782 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:05:21
>>781
張郃伝と李厳伝も読まないとね

783 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:07:27
よーわからんが、某スレで連日妄想振りまいている奴じゃないと仮定してレスしとくと。
史書には原因はともあれ食糧が尽きたり運輸に難儀したりしているのが明記されているだろ。
なんでそんな当然の話につっかかるのかさっぱりわかんね。

784 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:14:32
>>755
曹真も孔明には勝てなかったよな

785 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:18:51
>>784
攻め込んできた孔明軍を撃退しているじゃないか。
そういう手柄は全部演義じゃ司馬イに取られているけど。
曹真がいなければまた歴史が変わったかもね。

786 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:25:45
曹真はリアル虎殺しだし。

787 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:29:39
>>783
分からんだろうな君には  表面しか読めないからな

二次は元から補給をしない懸軍だった
四次だけだよ 補給が途絶えたと言えるのは

魏ではやられた三次は存在しない事になっているのだろう
一次・二次・四次の3回のうち2回も兵糧切れで撤退している
これならまあ「毎」と言えなくもない
しかし蜀にとっての事実は、4回中最後の1回、第四次のみだ
その上、屯田し得るような長期戦も第四次の1回のみだ
これでどうして諸葛亮が"毎度兵糧が続かない事を悩んで"向こうで屯田しようと考えるんだ?
そんなわけないだろう
それを「当然な話」と感じる君は知識や思考力といった力が足りない

三国志には事実の部分と陳寿の憶測の部分がある
"毎度兵糧が続かない事を悩んで"というのは事実ではなく陳寿の的外れな憶測だよ

788 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:35:07
>>787
何を言ってるのかわからん。
原因はともかく食い物に困って退いたのは二次でも同じことじゃん。
そこは論点じゃないのに、なぜ自分の中で勝手にこれは陳寿の〜とか決め付けて断言してるんだ?

789 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:38:59
>>785
それで、勝敗を決めるなら、曹操も陶謙に二度も負けたことになる

790 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:40:43
>>785
てかそういう理屈なら曹真も蜀に攻め込んで孔明に撃退されとる

791 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:42:31
>>785
曹真オトリにいいように誘導されてただけじゃん
でも二次の情報戦という意味では功績をあげたと思う

曹真も蜀に攻め込もうとして孔明と同じく敗退してますな

792 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:43:39
かぶったーなう

793 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:46:16
>>788
君に言葉を贈ろう
『読書百編、義自ずから通ず』

794 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 20:55:40
>>791
二次の情報戦?
そんな大したもんじゃないよ
ここで考察やってるから読んどいで
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1240293621/33-


795 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/18(日) 22:57:36
>>762
諸葛亮が全軍を握ってからは、独立した作戦行動をとりかつ野戦勝利の功績があるのは魏延だけ
呉壱もじゃない?

796 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 05:58:10
陳式も

797 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 12:39:54
第二次の時、孔明は陳倉付近の情報をまったく把握してなかったようだからな。
陳倉の防備が強化されたことに驚き、守将が西方の反乱鎮圧で名を知られたカク昭で二度びっくり。
相手をなめてたのか、兵糧をほとんど携帯しておらず兵器いろいろ使って攻めても通じずあっさり敗北。
結果的に見れば軍人としては曹真は孔明より上だが、むしろ孔明の自爆っぽい。

798 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 12:41:58
>>787
うん、都合悪い論点から話逸らししようとして失敗しているのはよくわかったw
つまり陳寿は史実を記録したがお前が認めたくないだけなんだな。

799 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 12:59:04
自爆というか孔明の迂闊さが原因での敗北なら第一次が一番痛いだろ。魏延・呉壱といった熟練武将をみなが推薦したのに蹴って馬ショクに要地任せて敗北。
自分の派閥を強化したかったんだろうが。
もっとも魏延らなら勝てたか、というと疑問だけどね。

800 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 16:57:50
二次は三次とあわせて、陳倉は奪えなかったことは事実としても
二郡を奪ったことを考えるべきでは

魏から国土を奪い、奪還されなかった
少なくとも「寸土」もとっていないことにはならない

国力差にもかかわらず、攻勢をかけ、良将とはいえる曹真相手にそこまでやったら、
十分「名将」の部類だろう

801 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 17:51:56
呉壱は魏延に従って撃破したんじゃなかったか。
あと陳式は野戦してないし。つか、武都って漢中落ちたら側背が遮断されるから、すでに蜀のもの同然だったんじゃないの。
現地に守備があった記述はない。
むしろ陳倉敗戦の隙に郭淮が奪還しようとして、陳式や孔明は防ぐために北上した可能性もあるな。

802 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 17:55:32
同じミスを繰り返す時点で凡将。
伝を見るに、何でも自分で管理しないとすまない性格だったようだね。
劉備存命中はそうでもなかったのに、後事託されてプレッシャーだったのかな。

803 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 17:58:23
名将ですか。ふむ。

凡将ですか。ふむ。

良将とは思うけど。

楽毅を名将とすると楽毅と比肩しているのだろうか?

804 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:01:03
主攻に秦嶺山脈越えルート以外の攻撃を選ばなかったのはなんでだろうね。
司馬イに正攻法しかできない、と評される理由だろうが。

805 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 18:02:15
>>804

乾坤一擲でうまく逝けばいいが、失敗したときがねぇ。

後事託されてるんだしさ。



806 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:05:15
他だと、
漢水ルート(蒋エンがやろうとした水路利用。退却できん、と反対されて未発)
西方迂回ルート(姜維がやったもの。やっぱり補給に苦しんでるから苦労は同じか?)
ケイ州直撃ルート(呉との軋轢を嫌ったか、防備が固くて最初から対象外? 孟達の返り忠失敗以来無関心っぽい)

807 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:09:32
袁子はむしろ孔明が変に応じるのは苦手だけど、それを自覚して冒険しなかったのはえらい、としているからな。
ま、褒めよう批判しようはいくらでもあるw

808 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 18:14:36
>>710
孔明の軍事行動で二郡奪取したことや魏軍フルボッコにしたことは評価している。
だけど、チュウタツと孔明と比較したら、チュウタツのほうが少しだけ上なんじゃないかと。
孔明の軍事行動の中でどうしても陳倉が漏れの中でマイナス査定大になってしまっている。
それにフルボッコした後に是が非でも撤退しないという気概がほしかったなぁ。
アッサリ撤退したのが孔明らしいといえばらしいけど。
では、チュウタツはというと第四次に孔明とヤってフルボッコにされたのは
そんなにマイナス査定していない。それは曹真と交代して間もないから。
これは漏れの個人的な考えで、この糞コテバカじゃねーの( ´,_ゝ`)プッ
と思うのは喪前らの自由。

だからといって孔明に軍才がないとは言わん。
そもそもチュウタツと比較しなければ、簡単な話だろうな。

809 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:21:42
曹真や郭淮に作戦見破られたりしているし、攻撃目標の情報さえ集められなかったり人事ミスしたり、毎度兵站に失敗したりとか失点が……。

810 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:25:51
何度も大軍を動かしながら長安もとれなかった。
勝ち目の無い戦いを繰り返し、国を疲弊させただけという冷徹な見方もできるな。
ツケを押し付けられた後進が割りを食うあたり、日本史上の過大評価武将と共通する。

811 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:42:10
>>801
呉壱の手柄を全部魏延のものにしようとは、さすが魏延信者は素晴らしい

812 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 18:56:06
孫権に魏延や楊儀みたいな小物使ってると、多少は役に立つだろうが後で災いになるぞ、何考えて人使ってるんだっていわれるレベルの人材しか孔明のもとにはいない。

813 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 19:12:17
昔の偉人が自分の苦手な分野を補う別の才能を推挙した例を引いて、孔明一人で抱え込むの無理ジャン、と同情的に評価されたりしているしな。

814 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 19:14:49
>何度も大軍を動かしながら長安もとれなかった。
>勝ち目の無い戦いを繰り返し、国を疲弊させただけという冷徹な見方もできるな。

よく言われる見方で、「戦下手」と違い、正しい可能性も捨てきれない論ではあるのだが、
他はともかく、『国を疲弊させただけ』とは言い切れないんだよな

815 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 19:18:56
魏延は有能だが性格がアレで兵隊上がり。周りの受けを考えても信任は無理。
他はろくな人材がいないから仕方ない。
姜維は孔明時代は寝返ったばかりで、性格も私怨で楊戯を陥れたりするようなのだし。
呉壱は外戚だからそもそも難しい立場。
人材いねーじゃん、実際。

816 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 19:36:10
孔明が全部やるんだから代わりの人材が育たないだろ。劉備末期の敗戦続きで将軍はとくに死去や寝返りが多いし。

817 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 19:57:46
>>810
尾張の武将のことですね、わかります
てか孔明は勝って2郡取ってるし、戦果もあげてるじゃん

818 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:02:06
>>809
曹真は第一次で孔明の陽動作戦にあっさり引っかかって
三郡とられてるわ、蜀に攻め込もうとして撃退されてるわ、散々ですね
その後の司馬イも孔明には直接対決ではついに勝てなかったわけだしね

819 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:03:25
僻地を掠め取って、贔屓ゆえの大敗の償いに代える。王双なる武将ひとりで、情報収集に失敗し大軍を持ちながら一千程度しか篭ってない城一つに撃退された話に代える。
孔明が自分でこの詔勅を出させたのなら、まさに寝業師だな。

820 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 20:04:43
>王双なる武将ひとりで、情報収集に失敗し大軍を持ちながら一千程度しか篭ってない城一つに撃退された話に代える。

なんだ、この文章の意味?

821 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:06:05
>>797
だからカク昭なんてそんなに有名じゃなかったろ
曹真は蜀に攻め込んで負けて帰っているからこの時点でドロー
その上、孔明が2郡取ってるから孔明優勢になっちゃうな

822 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:06:13
曹真がいなくなっても司馬イがいる。司馬イが引き上げても郭ワイが出てくる。
その後もトウガイとかが出てくるし。
孔明と、せいぜい姜維ぐらいしかいなかった蜀に対して魏の人材層が圧倒的だからなー。
指揮官として孔明と互角かそれ以上のやつらが複数いるんだ。どうしようもない。

823 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:07:32
>>821
正史に書いてあるぞ。
陳倉にまったく疎かった孔明もカク昭が西方で名をはせた将軍であること自体は知っていたぐらい。

824 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:07:43
少なくとも正面決戦なら孔明に勝てる奴はその中にいないね

825 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:08:24
>>823
何伝?
確認してみたい

826 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:09:23
素人は戦術を語り、
玄人は戦略を語り、
プロは兵站を語る。

兵站戦で負けている以上、またそれを打破できなかった以上はどうにもならん。
それが現実。

827 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:12:20
>>825
明帝紀。
それまでに何度か反乱を鎮圧している功績が聞こえていたんだろう。

828 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:13:24
>>808
いや、だからさ
なんで仲達本人が直接対決で負けて
追撃でも張コウを失って惨敗してるのに仲達が上になるのかイマイチ理由がわからない
陳倉なんて20日程度なのにそこまでいうもんかな
寡兵でも堅城ならもっと期間かけても落とせない事例はいくらでもあろう
それに野戦と城攻めの才では求められるものが違うこともいわれてる
日本史でいうなら家康は野戦が得意で城攻めが下手で
秀吉は野戦で家康にしてやられてるが城攻めでは巧者とされてる
孔明の野戦の戦歴を見ればどう見ても野戦の名将だろう

829 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:16:32
○将とかの主観的な定義はそれぞれ勝手にそればいいじゃん。
史実として孔明はかかげた魏打倒を果たせず敗れた。その結果があるのみ。

830 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:16:35
>>826
2郡とって野戦で勝利して戦果あげてるんだから十分ジャン
てか、その理屈だと曹真も司馬イも蜀に攻め込んで負けてるからぼろぼろだね

831 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 20:18:17
>>828
いや、喪前さんがそう思うならそれで伊尹ジャマイカ?

漏れはそう思わないだけだ。

単純に陳倉が落とせなかったというより、わざわざ陳倉を落とせない状況を作り出した
という認識だからな。

これ以上の認識の違いを埋めなくてもいいと思うぞ。

両者とも孔明が軍事の才が無いとは思っていないようだしな。

832 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:18:19
>>827
諸葛亮伝にはまったくそんなこと書いてないというか
カク昭の名前さえ出てこない
もともと陳倉戦自体がすごく簡潔な記述

833 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 20:19:45
>>828

あとさ、追加で申し訳ないけど、読点頼むわ。

なんだか、読みにくくてねぇ

834 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:20:59
自軍自国の限界をわきまえず兵を悪戯に動かしてほとんど成果も無かった時点でねぇ。
同じ失敗の繰り返しするあたり、変に応じるのが下手、という複数の注者の評価も当然かな。

835 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:22:10
2郡取ったり戦果得てるのになぜか成果なしになるアンチの謎論理

836 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:26:36
>>834
複数の注者って陳寿とあと誰?
袁子なら(応変に不得意であることをふまえながらも)諸葛亮を名将だと評価してるぞ

837 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:26:38
劉備や法正らが生きていたら、得意分野に専念していられたのにね。
後事を託されたほかの李厳とかが性格アレだったし……。

838 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:26:55
>>834
孔明:2郡とって野戦で勝って魏将を何人も討ち取り
人口や物資移住させたり、戦果得たりして、追撃も返り討ちにして帰国
曹真・司馬イ:大軍で蜀に攻め込むが、迎撃され文字通り何の戦果もなく退却
曹爽:大軍で蜀に攻め込むが、孔明死んだ後にもかかわらず大敗

魏将ひどすぎだな

839 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:30:26
勝てるはずの戦を人事ミスや情報不足で落としたのは痛いな。
むしろ正攻法が下手だったんじゃないかと。

840 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:33:00
>>839
そうだよな
魏とか大軍を用意して、人事も悪くないはずのものを投入したのに
野戦で負けまくって、優秀なはずの魏将を何人も殺されてるとか痛すぎだよな
魏将って戦が下手だったんだと思うぞ

841 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:34:23
蒋エンやショウ周が姜維らをいさめた発言や著述のような保守作戦こそ孔明に誰か直言すべきだったんだろうけど。いっても通じないかな。

842 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:35:45
この時代でも国力の差は絶対。
戦おうとした時点で無謀だけど、それいっちゃうと蜀の存在意義自体がなくなるからなw

843 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:37:37
ヒイだろ?
どっちにしろ、「お前は諸葛亮様と比べて才能ないんだから無理するな」だしなあ
実際に姜維は段谷で大敗して、漢中の防衛構想まで破綻させてるんだからむべなるかな
蜀臣からみても孔明の戦歴はすばらしいと思ってたんだろう

844 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:39:36
>>842
絶対であるはずの国力を持ちながら何度も蜀に攻め込んで失敗し
蜀から攻められたら武将を大量に殺されてるとか
魏将しょっぱすぎっすね
ぶっちゃけ姜維の無謀がなければもっと時間かかって
その間に魏が終了してた気がする

845 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 20:43:40
つーかよ、蜀って攻めにくくて、守りやすいんだよ。うん。

846 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:45:54
>>845
つーかよ、それを逆にすると
蜀って外に出て行きにくい、って事になるんだよ
魏をその条件でチャラにするなら
蜀もその条件でチャラにしてもらわんとね

847 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 20:48:14
>>846
おっしゃるとおりで

848 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 20:54:04
魏:絶対的(笑)なはずの圧倒的な国力を有する
兵力で多数を取れる、人材も優位らしい
蜀:国力で魏に圧倒的に劣る、人材も劣っているらしい

共通条件:巨大な山脈を間に挟み、どちらも敵地に攻め込みにくい

双方が攻め込んでみた結果
魏:文字通りなんの成果もないばかりか、大敗までしてる
蜀:野戦で勝ちまくり、2郡奪取、人口や物資接収、戦果獲得、魏将を何人も討ち取り

あ、あれ!?こ、これは一体どういう事なの!

849 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 20:59:08
>>848
蜀が善戦してるってことだろうな。

魏は負けてもケロっとしているってことだな。

850 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:00:36
>>849
その善戦を指導したのが諸葛亮孔明である以上
その将才は誰もが認めるところなわけだね

851 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 21:03:43
>>850
漏れは認めるけど、孔明が憎たらしい香具師は違うんジャマイカ?

誰もが、とはならないと思われ。

852 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:06:28
これだけの実績があるのに認められない、アンチとは不憫なものよ

853 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/19(月) 21:13:22
だがよ、冷静に考えてみろ。

どんなものにもごく少数ながらアンチというものは存在する。

854 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:19:37
負けてるのにジューコフより高評価なマンシュタインみたいな

855 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:31:12
負けたけど、ハンニバルは小スキピオやローマの名将たちより評価は上

856 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:39:45
孔明はハンニバルやマンシュタインみたいに、そもそも負けてないしね

857 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/19(月) 21:49:54
司馬懿信者のいう燕討伐、孟達討伐の実績にしても、
南蛮討伐、蜀獲得戦における孔明の実績より大きいなんて保証はないしな
なぜ、アンチ孔明の自称歴史通(笑)が南蛮討伐を軽く考えるか、分からない
戦後処理においても、虐殺で燕の国力を失わせたよりも、南蛮の力を利用できるような孔明が評価は上に来るべき

南蛮なんて、遼東よりはるかに当時は未開地でありながら、人口と面積は、かなり大きいぞ

858 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 12:25:02
亮屯鹵城、據南北二山、斷水爲重圍。帝攻拔其圍、亮宵遁、追撃破之、俘斬萬計。天子使使者勞軍、増封邑

臨原而戰、亮不得進、還於五丈原。會有長星墜亮之壘、帝知其必敗、遣奇兵掎亮之後、斬五百餘級、獲生口千餘、降者六百餘人

(晋書 宣帝紀)

859 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 16:34:44
勝ち目が無いときにはあえて雌伏するのも選択肢だけど。そういうのができなかったんだろうな。
無謀な北伐を続けて国を疲弊させただけで終わってしまった。
国力差からいって、誰がやろうとまず魏には蜀の乏しい人口国力じゃ無理だった戦い。
それこそ魏帝が何かの間違いで前線に出てきてそれを討ち取る、とかの奇跡でもないと。
戦い続けた孔明本人は満足だったんだろうが。

860 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 20:03:47
オナニー乙

861 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 20:05:42
冷静に評価するつもりがあるなら
史料から冷静に批判しなければならないだろうな

二次の記述をしきりに言ってる奴がいるが魏略だぞ?
魏略に則っている時点で冷静じゃないな
宣帝紀に拠っている奴もね

魏略のみならず晋書、三国志、漢晋春秋、蜀記など
全ての史料を冷静に読み解かねば諸葛亮を冷静に評価するなんて出来ないよな

862 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/20(火) 20:17:14
漏れは孔明が蜀の存在を賭けて北伐しているところがエエとこだと思う。

これが孔明たらしめている最も大きなところと思う。

だから?と言われても困るが。



863 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 20:35:34
>>858-859
確かに、小銀玉たちの言うとおり、ありえない時間帯(笑)に往生際の悪いアンチが出現したな
昼休みに正史のコピペ? ありえねえ
同じことの繰り返しだし
だから、国を疲弊させただけじゃねえって。魏の侵攻を防いで、追撃出来ないぐらいに追い込んでいるだろうが

864 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/20(火) 20:38:58
>>863
漏れ、ありえない時間帯について何もいっとらんが?

逝ってもいないことをさもいったかのように装うのは止めろ。

もっとも、漏れが忘れているだけの可能性は否定しない。

865 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 20:50:09
『小銀玉たちの言うとおり』は、
(ありえない時間帯(笑)に往生際の悪い)『アンチが出現したな』

の『』のみにかかる。()は付け加えた俺の意見

別にあんたにかぶせているのではなく、すぐ上のレスを見れば分かる。
日本語としておかしくないと思うが?
誤解を与える表現自体がいけないというのなら、以後、気をつけるが

866 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 20:52:03
晋書だからって頭ごなしに否定する気はないが、
本当に1万の被害を出してたらこの時点で蜀滅亡のカウントダウン開始だからないな

867 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 20:54:22
>>859
普通に勝って2郡とって、人口や物資も得て、魏の将軍を何人も殺して
部隊もいくつも壊滅させて、立派に魏の力をそいでるじゃん
国力乏しい蜀にこれだけ戦果あげられてる魏が悲しすぎw

868 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 21:47:11
つまるところ、ケ艾スゲー\(^o^)/
鐘会もちょっとスゲー
孔明?司馬懿?プッ

869 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 21:57:37
ケ艾のときは姜維の自爆で漢中の防衛構想が破綻した後だからなあ

870 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 21:57:38
>>868
司馬懿と共倒れを狙ってきたか
確かに、その結果論の成果から判断した「軍事能力」に限れば、そうだろうな

しかし、孔明には、他に様々な実績や成果があるし、
司馬懿にしても、政争能力は、その二人をはるかに上回るだろうな

871 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 21:59:42
結果論といっても、衰退しきった蜀を相手にしたケ艾を孔明より上といわれてもな

872 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:03:46
司馬イも孟達戦、遼東戦、対呉戦、などの実績を見れば
明らかに水準以上の実力を持つ指揮官
相手が孔明ほどの名将でなければ、蜀軍を破りまくり、
蜀に攻め込んで滅亡させることもできたかもしれない
司馬イにとっては悲しいことに、相手が悪かったな

873 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:05:00
乱世中期の将軍>乱世後期の将軍
三国志に限らず、どこでもこればっかwww

874 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:11:40
ケ艾は軍略や内政も抜群だし実績や成果は本当に凄いと思う。
ただ人の上に立つタイプじゃないから孔明や司馬懿、鐘会あたりとは比較しづらいね。

875 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/20(火) 22:13:22
喪前ら、孔明を冷静に評価できたかなー?

876 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:15:26
>>872
蜀の強兵大軍相手に後手を踏みながら司馬懿はよくやったよ。
最も高い視点からの統率力では、諸葛亮はこの時代最高級の人間。
だが司馬懿には不利を補う智力があった。
悲しいってほどじゃない。

877 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:27:23
>>876
悲しいんじゃないか
本来なら積極的な機動強襲を得意とする司馬イが
自身が野戦では及ばない孔明を相手にしたが為に
本来自分が好まない消極的な防衛策に終始せざるを得なくなり
結果、鈍重で防衛主義的なイメージで後世に語られる事になったんだから
司馬イにすれば不本意極まりなかったろう

878 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:38:50
>>875
偏った一面性だけで司馬イも孔明もあれこれと簡単に決めつけられません
と言う事がわかりました

879 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:42:03
司馬懿の場合、四次でも五次でも強襲策を取っている。
四次では、蜀の侵攻を最も警戒すべき隴東の防備増強を捨てて諸葛亮の本隊正面へ戦力集中。
五次では、渭水を渡らずに駐屯してしまった諸葛亮に対し、
後から到着して渭水を渡り、背水の陣を敷くという荒技。
これにより、諸葛亮は北と東へ出るのが困難になった。

司馬懿は元々指揮官出身ではなく、戦場での判断力では失敗もあり現場の武将頼りだったのだろうが、
基本的に魏軍が「防衛策に終始するだけ」で蜀の撤退を待つことが出来たのは、
後着ながら布陣で優位を占め、諸葛亮が戦域に広く展開して行動の自由を得るのを奪ったから。

これはかなりすごいことなんだよ。戦場予定地へ迅速に到着して攻防の要所を占めるべし、
というのが孫武からの鉄則だが、それを覆しているわけだから。
これが、対孟達、対呉、遼東戦、いずれにも共通する司馬懿の得意技。

880 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 22:52:54
>>879
4次では強襲で決戦に出て完敗してるけどね
5次では4次で痛い目にあった経験から、ろくに決戦に出なかった

対孟達、対呉、遼東戦に共通する司馬イの得意技は機動して戦略的な主導権をとり
すぐさま強襲をしかけ、乱戦に持ち込み、苛烈な攻撃を仕掛けることで短期に勝利を得る事
第4次での司馬イの行動はこのパターンを見事になぞっている
しかし最後の強襲からの苛烈な攻撃を、統率力と野戦指揮に長けた孔明に見事に跳ね返され
大敗してる
自分の得意パターンが通じない相手がいる事は、司馬イにとって衝撃だったようで
これ以後、司馬イはその生涯における戦歴の中でも非常に珍しい消極策をとるようになり
それが後世に司馬イの持ち味として伝えられる皮肉な結果を生んだ

881 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:05:20
漢晋春秋も晋書と同じくらい信用ならんと思うが…

882 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:08:20
>4次では強襲で決戦に出て完敗してるけどね
>5次では4次で痛い目にあった経験から、ろくに決戦に出なかった
だから司馬懿は元々将帥出身じゃないと言ったじゃない。
そこが司馬懿の欠点。
敵を目前にしてのどつきあいの段階の判断力は張コウらの方が優れていただろう。
練度・兵数ともに戦跡上最高級の敵が相手にすれば、失敗しても不思議じゃない。

>自分の得意パターンが通じない相手がいる事は、司馬イにとって衝撃だったようで
想像にすぎないし
>これ以後、司馬イはその生涯における戦歴の中でも非常に珍しい消極策をとるようになり
五次では鬼のような積極策を取ってるけど
>それが後世に司馬イの持ち味として伝えられる皮肉な結果を生んだ
これはまあしゃあないね。無双とかだっけ?

883 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:09:36
逆に張コウを長躯漢中に分派するような機動戦は考えなかったのか
中央が反対するか
まぁ、羊コの様な状況でも中央は反対するもんだが、明帝ならば

884 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:14:13
>>882
張コウとかが配下にいなかったころも、積極的で苛烈な攻撃に出て戦果を出してる

実際に第4次では最初に積極的な機動で、蜀軍主力に攻撃をしかけた司馬イが
以後は閉じこもったままになった、明らかな事実
追撃はしたけどまた負けた

第4次みたいな積極的な主力決戦はぜんぜん挑もうともしなくなってる

残念ながら、後世でも司馬イが有名な一番の理由は孔明の敵手という事であり
司馬イは防衛主義的なタイプとして語られている

それから、無双では司馬イはむしろ孔明以上に濃いキャラしてるから
無双の司馬イを見て防衛主義とか消極的とか思う奴はまずいなかろ

885 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:25:00
>張コウとかが配下にいなかったころも、積極的で苛烈な攻撃に出て戦果を出してる
魏将は張コウだけじゃないよ…。
司馬懿は諸将・諸軍を監督する都督であって、自分で一隊を率いて敵を撃破するのが仕事ではないってこと

>以後は閉じこもったままになった、明らかな事実
戦術的に負けて

>残念ながら、後世でも司馬イが有名な一番の理由は孔明の敵手という事であり
>司馬イは防衛主義的なタイプとして語られている
それは諸葛亮の名相忠臣として、伊尹・霍光に並ぶ宰相の理想像となり、繰り返し故事として語られたから。
晋宣皇帝司馬懿よりも、歴史的にはるかに「喩えのしがいのある」人間というのが諸葛亮、
なにせ司馬懿の方は魏を滅ぼして司馬晋を立てるきっかけを作った人間だから。
この点でも、好対照の二人ではある。
このことから、蜀漢や諸葛亮の講談が隆盛し、演義として集大成され、「イメージ」が作られた。
こういう歴史の流れは本人達の直接の責任ではない。

>それから、無双では司馬イはむしろ孔明以上に濃いキャラしてるから
ふーん。

886 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:29:33
>>885
だから張コウがいようといまいと、司馬イの作戦指揮の素質に関係する話でもなかろ

そう、司馬イは孔明にそれまでの勝利パターンを、見事に最後の戦術的勝利の段階でひっくり返されて負けた

本人達の直接の責任じゃない、というか後世のイメージまで
本人達が関与できないからこそ、司馬イがその戦歴の中で
諸葛亮相手にしかとらなかった消極策が
司馬イの持ち味として語られる事になったのは皮肉な結果であり、
司馬イにしてみれば悲しかったろうといってる

887 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:33:02
>以後は閉じこもったままになった、明らかな事実
戦術的に負けて兵力が足りなくなれば他に手が無い。
人間は漫画みたいな天才戦術家とかじゃねーぞ。
陽動・強襲・迂回、なにをするにしても、兵力と自由に機動する支配域がいる。
諸葛亮と蜀軍になら適当なペテンでも通用したからやるべきだった、というなら別だけど。

888 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:33:57
司馬懿の消極性というのは、どちらかというとその後の曹爽との政争のイメージなんじゃね?
無理せずに鳴くまで待とうみたいな
家康も若いときの糞漏らしより、タヌキ爺のイメージが世間では強いし

889 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:35:19
>>886
「不本意なイメージで後の世に語られてしまったのは不本意で可愛そう」ってことね。
それはしゃあないが、了解した。
なんか諸葛亮や司馬懿の能力や特性の話から懸け離れてしまったけど。

890 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:39:23
>>887
第4次で負けた後はそうなり
第5次でも主力決戦は挑まなくなってる

そう、諸葛亮と蜀軍相手にそんな小細工は通じるわけがなく
司馬イにそれしかできなくさせたほどに
諸葛亮は優秀だったわけだ

891 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:43:33
せっかく人物像の比較や性質の違いで検討する方向へ誘導してきたのに、
何レス重ねても流れ全部無視して同じ「●●がすごかった」しか言えない人間が混ざると台無しだな
時間の無駄だったわ

892 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:45:29
諸葛亮が優秀だった、この端的な事実があるだけだろうに
性質の違いってーか誘導も別にできてないじゃん

893 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:51:46
>>879
>五次では、渭水を渡らずに駐屯してしまった諸葛亮に対し、
>後から到着して渭水を渡り、背水の陣を敷くという荒技。
>これにより、諸葛亮は北と東へ出るのが困難になった。
演義ってそうだっけ?
史実としては正しくない

894 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:52:42
>>881
漢晋春秋は信用できる

895 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:53:02
5次はニセクロのが一番面白いなー

896 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 23:54:44
残念ながらニセクロのは間違ってる

897 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 00:00:30
>>893
郭淮伝に書いてある

898 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 00:14:08
>>897
いや、書かれてない

899 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 00:23:19
>>898
基本情報を知りたいならそれこそニセクロ氏のところ参照すればいいよ。

百姓集積の意味とか、洛陽から援軍が来る意味とかの解釈では大いに異論があるが、
各種史料から基本情報は揃えていたはず。

900 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 00:35:02
>>899
肝心な地理情報が彼の頭には入ってなさげだから晋書を考察に採用してしまっている
>>163の方がよく分かる

901 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 00:38:19
今酷い自演を見たwwww
自分の願望垂れ流しの考察とやらを推奨wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

902 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 00:39:45
べつに?

903 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 01:03:01
>現代地図(google maps)を見ると分かるが、守るべき長安は渭水南岸にあり、
>五丈原から真っ直ぐ東に120キロ行った地点にある。
>北岸に大軍を置いてどうする?というような位置関係にあるのだ。
>「北岸で待ち受けるべきだ」という将がいるとは到底思えない。

これのことかい? あいにく、これは無理。
右扶風の主な防備のある県城は渭北に連なっているんだよ。つまり街道は北にあった。
渭水は蜀から関中を防備する城壁だから当たり前だけど。城砦・街道・物資のような重要施設を南に置く訳が無い。
司馬懿は渭北の街道を通って救援に来て、どこかで河を渡って渭南に陣取った。
諸葛亮もまた、長安を目指すとしても渭南を東へ進軍し続けることは無理。
道が悪いし、北を制圧しないということは、東進した諸葛亮本隊の背後を渭北の小部隊に簡単に遮断されることになる。
また、司馬懿が交戦して劣勢に陥った場合、味方との連絡を回復するには渭北に逃れるしかない。だから背水の陣となる。
魏にとっては、南にはまともが城砦が無いから、東へ逃げるのは延々敗走を続けることになる悪手。
蜀にとっては、北への進出・南北岸同時侵攻が必須だったが、郭淮に潰されたというのが郭淮伝の記述。

渭水の北で防御するのが消極的ながら安全策。
これに加えて東への出口を主力で潰したのが司馬懿の積極的な防衛策。

904 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 13:18:04
法正のリンチ容認とか、本来なら軍権剥奪されてもしょうがない大敗を降格だけでごまかすとか。
内政や人事じゃ融通きかせているのに北伐だとがちがちの戦争至上主義だからなぁ。

905 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 13:19:53
>>863
反論不能かつ都合悪い史料出されたからって、無駄な逃げを打たなくてもw

906 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 14:03:19
もう戦術だけしか孔明のアドバンテージがないから、それに都合悪史料を頭から否定したい気持ちはわからないでもないが。
否定する理由がないからねぇ。
陳倉道を打通できれば兵站もとおりやすくなり、その後の歴史も変動したかもしれないけど(それでも国力の差からいえば最終的な蜀の負けは動きようもないが)。
曹真の読みとカク昭の統率力を普通にほめるべきだろうな。


907 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 19:27:49
ところで武都、陰平は魏はどれぐらい兵を置いてたの?
辺境だし兵糧等の輸送考えてもあまり兵を置けないよね?

908 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/21(水) 19:57:36
>>865
いや、とりあえず漏れの名前を出さなければいいよ

909 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 20:48:27
>>905
お得意の具体的な反論なしの後から勝利宣言か?
相変わらず、ワンパターンだな
>>866>>867に反論したら?
できねーだろうけど

910 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 22:21:49
>>903
郿は南岸
董卓が築いた城は北岸だけれど、あれは城ではなく砦
郿の所で渭水と北岸の台地の距離は狭まり殆ど土地がない
郿が南岸だったからこそ、諸侯を畏れた董卓は北岸に堅固な砦を築く必要があった

渭水の南は
(五丈原)−(郿)・豊京 − 盩厔・鎬京 − 阿房宮 −(長安)と西から東へ連なって
古くは栄えた場所であり、道路などは当然あったと考えられる
仮にちゃんとした道がなかったとしても問題にならない 
軍隊は平気で進む


長安までの距離は約120km
距離的には一気に進撃することが可能
魏軍は長安への蜀軍の進攻を塞ぐ事を第一に考えなければならない
北岸に陣取って蜀軍が東へ進んだ場合に後方を攪乱するというような
チマチマした事をする余裕はない
蜀軍は東へ進み、補給路を駱穀道、子午道と移していけばいい
出口を押さえているのだから問題ない
逆に、北岸に揚がっている魏軍はそのうち南岸を押さえた蜀軍に補給路を断たれる
魏軍は南岸を押さえずして北岸へ渡れば、詰まれる


従って、魏将が北岸へ陣取るべきだと言ったとは到底思えない
であるので、司馬懿が「百姓の集積したものが南岸にある」と言ったというのも、
当然作り話ということになる
大体、曹叡が蜀征を何度も却下しているのに攻撃の準備をしているというのもおかしな話
これが本当なら司馬懿は部下として可愛い気がなさ過ぎる
不興を買うのは間違いない


>また、司馬懿が交戦して劣勢に陥った場合、味方との連絡を回復するには渭北に逃れるしかない。
>だから背水の陣となる。
次の戦場は長安
いよいよ敵が長安へ来るというのに渭北へ逃ている余裕なんてないよ

911 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 22:40:33
まあ長安にまでたどり着くことはなかったわけだが

912 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 22:54:47
120キロって一日20キロでも6日かかる距離なんだが。
敵地を進軍する以上毎日厳重な設営が必要で、補給線は伸びる。
しかし南岸の南北幅は数キロしかない。二時間で輜重隊に奇襲を掛けて北へ帰れる。
数十キロ先にいる本隊はこれを救援できないから、数キロ置きに十分な兵力を置かなければならない。
司馬懿の数万の大軍が渭水に沿って展開していたら、その強襲を防ぐ兵力も同等必要になる。
長安を攻略するには魏の何倍の兵力がいる?
魏軍が京兆尹内で張り巡らされている渭水支流のどこかで何日か防御する間に、
諸葛亮の後方はズタボロになる。子午谷と連結するには長安包囲くらいまでいかないと駄目。そこまで進めない。
敵の銃砲の射程内をのんびり横切って見せるようなもんだ。
河を盾に防御するってそういうこと。諸葛亮が北岸を占拠せずに本隊を東進させることは不可能。

913 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:02:39
だから晋書が乗せている通り、諸葛亮は東進するのならば、司馬懿の本隊が到着する前にやるべきだった。
東は無論、北に大軍が到着してしまったら、東へ進むのは敵の大軍に側背を見せることになるので、
敵の主力を叩いたあとでなければ諸葛亮の本隊は身動きが取れない。
司馬懿は

しかし、諸葛亮が先んじて渭水を渡り武功を抑えておけば、それだけで司馬懿軍と右扶風・隴東を切断したことになった。
補給線もまだ短く守りやすい。
諸葛亮の本隊が司馬懿を抑えれば、支隊を渭北各地へ派遣して切り崩す自由を得る。
もちろん、渭水を渡るというリスクがある作戦であり、そのリスクを諸葛亮が嫌ったと言うことだろう。

914 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:12:36
>>912
渭水南岸の幅は20kmある が、渭水沿いを行くだろうけどね
本隊と輜重隊が数十q離れるという考えが間違っている
よって以降の通りになる事はない

915 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:22:28
両者の兵力が同じだったら、
最高の快進撃をしても長安に到着した時点で諸葛亮の詰み。
司馬懿は長安を守るに十分な兵力を派遣しながら
後方連絡を遮断して、谷の入口や策源地の五丈原を包囲。
陣を固めて蜀軍が枯れるのを待つ。
あとは史実の五次北伐と同じ推移だが、大きな違いは諸葛亮には逃げ場がないってこと。
いや、子午谷があるか。渭水沿いに展開した後方部隊を全部見捨ててね。

916 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:32:52
>>915
五丈原が策源なわけないじゃん
魏軍が北岸に渡るというあり得ない大ポカをやったのに放っておくわけがない
輜重引き連れて一挙に東へ軍を進め長安攻囲と北岸の兵站路を断ちに掛かる
漢中に命じて補給線を駱穀ついで子午へと変える
渭水沿い(以西)に展開したりなどしない

917 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:37:06
>本隊と輜重隊が数十q離れるという考えが間違っている
輜重は策源地と本隊の間を往復しなけりゃいけないんだが。その距離120キロ。
本隊付の輜重だけで勝負を決めるために、六日で120キロを掛けて数日で長安を落とす、
という計画を諸葛亮が実行するの? その後の本国との連絡線は?
その間司馬懿は何をしてればいい? 昼寝?

洛陽から本隊が来る前に勝負を決めようとした魏延策を越える大博打、というか愚挙。

918 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:38:34
>>917
916読まずに書いたのかな?

919 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:42:39
>>916
関中内に穀物を貯めておかなければ蜀軍には十分な補給能力が無い。その場所が五丈原。
司馬懿は隴東隴西から穀物を集めることができる。なんの妨害も無しに。
後方線を互いに分断しあう状況になった場合、
先に枯れるのは秦嶺越えに全兵站負荷を掛けた蜀。

920 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:48:38
>>919
諸葛亮は五丈原に兵糧を貯め込んだのではない
持ってきたんだ

921 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 23:52:33
その「持ってきた」動員力を長期間継続する力がないから、屯田や敵地の麦狩りがあるわけ。
で、その兵糧をまた漢中へ戻して子午輸送へ切り替えるわけ?
無理だから。

922 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/22(木) 00:13:34
諸葛亮は輸送の困難を克服する為、予め斜谷口に物資を集積しているのだが、
その事は両者認識済みなのだろうか?

923 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 01:12:39
秦嶺山脈を超えることに変わりはないわな
益州内の物資を集めるのもすげー大変だから、その苦労が軽減できるだけでも随分違うのだろうけどねー

924 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 12:39:14
戦争を動かすのは今も昔も「冷たい」国力の理論。
個人の能力は所詮、その範囲内でどう結果を変動させるかにすぎないからね。
たまーにそういった基礎条件ぶっとばす名将とかいう類の超人は出てくることはあるけど、一時代に一人いればいいほうだし。
三国時代なら曹操とか。その曹操でさえ、常勝だの不敗はありえなかった。
孔明は所詮、地方で皇帝を僭称した政権のボスの器でしかなかった。勝ち目が無いことを積極的に認めて後の道を探す決断もつかなかった。

925 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 12:54:30
>>924の最後、
その愚かさが孔明の人気の所以なのかもしれんね

926 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 13:27:29
結局、輸送だと数年かけて備蓄→木牛流馬とか使っても難儀だからな。
蜀の守りである天嶮は攻めるには足かせ。
最後に出した結論は、曹操らの後追いっぽいけど屯田。いわば現地生産。
これを比較的早い時期に試してたら面白いことになったかもしれんけどね。
国力で圧倒する魏でさえ、蜀軍が出てくるたびにいちいち中央から兵を派遣する負担に耐えかねて屯田兵を長安周辺に二万ほど配置するようになるし。

927 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 14:53:01
蜀の人口って劉備即位時で90万人しかいないだろ。
運輸も結局人力頼みである以上、必要数動員すれば生産に従事する人口が激減して国家経済が破綻しかねん。
かといって魏と戦うのが目的である以上は、兵士を減らすわけにもいかず。
どう見ても袋小路だからな。戦略眼があるのなら無謀な北伐は避けたはず。

928 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 19:25:01
うわー、イタイ魏ヲタだなー

929 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 21:14:25
この痛い魏オタは
平日日中から必死に釣り針たらしてるところから見て
よっぽど相手してくれる人がいないんだろう

930 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 21:17:54
>>927
90万人は疲弊しきった蜀滅亡時の人口だろ
劉備時代はそうだった資料特になし
国家経済も孔明時代は普通に運営されてたばかりか
民草は孔明を崇拝してた
なんかこう、お前さんは自分の好きな勢力の敵側を
袋小路だの詰みだのいって無理やり宣言するのが好きみたいだが
そうしないとなんか不安にでもなるのか?
リアルのお前さんに何か関係するわけでもなかろうに

931 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 21:22:15
>>924 >>925
地方で皇帝僭称とか…
普通に蜀は漢王室の正統を名乗り
後世の史家にも蜀漢正統論として認められてるよ
魏なんて明帝が後年に宮殿造営とかしまくって国民に怨嗟の声を買ったり
司馬一族にのっとられて無力化したのは
蜀滅亡よりずっと早い
三国で一番最初に国としての実態がなくなったのが魏だよ

932 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 21:29:33
>>930
劉備即位時は20万戸90万人。
そこから戸籍増加が努力されたのだろうけど、
最盛期でも100万はそうは越えないだろうね。

933 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 21:35:27
>>932
何の資料?
蜀の人口を100数十万としてる書籍はよく見るが

934 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 21:47:42
>>933
932じゃないけど、通典と晋書地理志に載ってる。

935 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:00:02
>>934
晋書って数百年後に成立じゃ
通典の正式名は?

936 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:01:38
>蜀漢正統論
中国で正統認められてるのは統一国家だけ
蜀漢正統論は1説に過ぎないよ
だいたい蜀漢という名前は蔑称なのにそれが通り名になってる所に悲哀を感じる

937 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:07:54
なら魏は統一国家じゃないし
正統とも後世に認められてないから
それこそ蜀を僭称とよぶ筋合いはないね

938 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:12:31
>>936
後漢も通り名だろう

939 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:14:21
>>921-923
敵地の麦を刈るなんてのは常識中の常識
「持久する力がないから」なんてものではない
五次の屯田もそうだ
>>787と絡むが、敵地での屯田は第四次の失敗を繰り返さない為に考えられた
補給が不慮の事で途絶えても、復旧するまでの間食いつないでいけるようにした

第二次で諸葛亮軍は約2〜3ヵ月分の食糧をもって漢中を出ている
軍隊にはこれだけの運搬力がある

関中では諸葛亮より司馬懿が先に布陣している
これが北岸であったのであれば、諸葛亮は五丈原に拠らずそのまま東進しただろう

集積地の斜谷口は秦嶺の上り坂を越えた山中にある
要するに下り口 運搬が楽になっただろうね
この地点から2〜3ヵ月分位の物資を持って発て、関中に入りそのまま東進
兵糧は漢中からの補給が駱穀・子午経由で届くまで余裕でもつだろう



>>919
その前に長安落ちる

940 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/22(木) 22:16:03
>>923
「斜谷口」だから、褒斜道の北側の出口だよ。
秦嶺山脈を越える輸送を極力なくすために、そこの邸閣に食料を集積してる。

それでも流馬を用いた補給を行っているから、集積した物資だけじゃ足りなかったのだろうけど。

半年間の作戦だったので、輸送の困難を考えると補給は精々2回程度だったろうね。

941 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:17:40
>>935
通典は通典。
范曄後漢書が数百年後に成立したからといって、それを理由に信憑性が低いなんて聞いたことがないよ

942 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:18:13
三国ともどこも正統じゃないでFA
まあ勝手に名乗ったのだから僭称だろう
魏は禅譲という名前の簒奪
呉は蜀が名乗ったんだから俺がなのってもいいよねと後追い僭称w
僭称でも簒奪でも統一しちゃえばなんも問題ないんだけどね

943 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:24:55
>>938
前漢、後漢の通り名は区別するためだろ
蜀漢の通り名は魏や呉での蔑称からきてるんだし

944 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:29:18
>>940
いや、斜谷口は南北二つある 北は関中、南は秦嶺山中

褒谷と斜谷、連続したふたつの谷道を合わせて褒斜道と言う
邸閣は中間にあると思われる

945 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 22:38:44
>>939
そういや、秦嶺山脈を越えるのに歩兵でも2ヶ月かかるんだっけ?
牛車を使えない箇所もあるだろう道を輜重が行くのはさらに倍かな。
兵站線の切替してる時間なんてないね。
となると問題は一つだけだ。

>その前に長安落ちる
うん、魏延もそう言ったんだろうけどね。
まあ、魏延も開いた口が塞がらないような大愚策だけど。

川向こうの目と鼻の先に敵軍主力がいる状況で、
味方の本隊に当座の輜重と攻城準備を持たせ、120キロを駆け抜ける。
敵の主力は当然押っ取り刀で追撃してくるので、騎兵にも追いつかれない速度で。
目標に到着したらさっそく攻撃。
後ろから大軍が迫ってくるので、それに挟撃される前に城を落とす。
24時間も猶予があればいいね?

946 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/22(木) 22:42:12
>>944
褒谷と斜谷の中間を斜谷口などと呼ぶのか?
何にそんな記載があるのか教えてくれればありがたい。

しかしながら、褒谷から斜谷に入る場所と言うと、当然ながら斜水の上流から中流だろう。
そういった場所を「谷口」などと呼ぶのかというと大いに疑問だが。

947 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 23:10:09
>>945
>そういや、秦嶺山脈を越えるのに歩兵でも2ヶ月かかるんだっけ?
>牛車を使えない箇所もあるだろう道を輜重が行くのはさらに倍かな。
へぇ〜、4ヵ月も掛かるのか 往復8ヵ月だな




>>946
                褒斜道  
      褒谷道                 斜谷道
褒谷口=====褒谷口 ・・・・・ 斜谷口=====斜谷口   

こうだろう

「谷口」は一般的に谷から平野に出る場所の事だが
それは谷を狩猟や山菜採りなどに利用する平野で暮らす人間の視点だからだよ
入って同じ所から出てくるから「口」はひとつだ

通り道として谷を利用する人間にとっては谷は道だ
道の口は2つある

948 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 23:17:47
敵地の関中に数ヶ月も兵糧を貯め込む という事の方が大いに疑問ではないか

949 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/22(木) 23:32:52
>>947
どっちにしても、それだと秦嶺山脈の北側、ほとんど山の終わり掛けの部分に兵糧を蓄積したことので正しいことになるよ。

十一年冬,亮使諸軍運米,集於斜谷口,治斜谷邸閣。
十二年春二月,亮由斜谷出,始以流馬運。
秋八月,亮卒于渭濱。

もうちょっと単純に考えよう。
第五次北伐の軍事行動は、233年の冬に既に始まっていた。
諸葛亮はまず、11月に諸軍を派遣して魏からの防御が利く斜谷内に一定の兵糧を貯蔵し、
それが溜まったのを見て翌年二月、本軍を動かし、斜谷を出た。同時に流馬の使用を始めた(このタイミングがよく判らないが)

秦嶺山脈の向こうへ大軍を展開させるには、それだけ大掛かりな兵糧の輸送が必要だったということだろう。
戦闘部隊に逐一追従させるには不可能な量なので、戦役中何度も後方から輸送されるわけだ。
この負荷を抑えるために、「智将は努めて敵に食む」。

950 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/22(木) 23:45:00
>>947
現在の褒斜道も、当然ながら当時の褒斜道も見た事は無いんだが、
谷を通ったら谷のまま平地に出て、また谷が出現して更に谷間を平地に抜けるのか?

水経注やら資治通鑑やらを読むと、褒水も斜水も同じ衙嶺山を源流として、
一方は北に出て渭水に注ぎ、一方は南に出て沔水に注いでいる事がわかる。
という事は、褒斜道は途中でこの衙嶺山の山中を通って斜水、或いは褒水に出るのだろう。
その地を谷口と呼んでいいのだろうか?

まぁ、そんな事より、この衙嶺山の辺りを斜谷口と呼んでいる例が知りたいのよ。
「谷口」についての認識をぶつけ合ったってお互い譲りっこないのだから無駄だろうし。

951 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 00:11:49
>>949
>どっちにしても、それだと秦嶺山脈の北側、ほとんど山の終わり掛けの部分に
>兵糧を蓄積したことので正しいことになるよ。
どうしてだい? 斜谷道口の一方は江口鎮だよ


>秦嶺山脈の向こうへ大軍を展開させるには、それだけ大掛かりな兵糧の輸送が必要だったということだろう。
>戦闘部隊に逐一追従させるには不可能な量なので、戦役中何度も後方から輸送されるわけだ。
いや、大軍を展開させるには、大軍を展開させるのに必要なだけでいい
つまり漢中から持って出ても別にいい
策源が近いというメリットがあるだけ(そのメリットは大きいんだろうが)
斜谷にどれだけ蓄えられたか知らないが、大軍が2〜3ヵ月分の物資を持って移動できることに変わりはない
斜谷の備蓄をすべて持っていく必要はない 2〜3ヵ月分で充分



>>950
>谷を通ったら谷のまま平地に出て、また谷が出現して更に谷間を平地に抜けるのか?
さぁね 尾根じゃないの?

952 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/23(金) 00:19:06
>>951
その言葉振りからすると、俺の求めている答えはないわけね。

953 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 01:12:47
>斜谷の備蓄をすべて持っていく必要はない 2〜3ヵ月分で充分
それができないから、古来兵站というのが最も重要視されるのだが。

食い扶持は一人一月1.5石という。
平地では牛車に100石載せたというから、数万*数ヶ月で約1000台という規模となる。
加えて敵地では陣営を作る杭や攻城用の材木もを運ばねばならない。伐採してる暇でもなければ。
兵士は敵地を敵城攻略へ向けて急進しているのだから、余計な荷物は持てない。
これを全て車で運ぶなら数千台になるだろう。一直線でならべると、10キロメートルくらい?
道を何本使えるかわからないが。
しかも牛車の移動速度は良い道路でも2、3キロ。本隊がこれから離れるのは論外だから、
細長い輜重隊の前後左右を守りながら120キロの道のりをのたのたと進むことになる。
毎日の防御設営は欠かさずに。
自軍と同規模に近い敵主力が後と真横からいつでも攻撃できる状況で、
これだけの規模の輜重隊を守りながら攻城用の兵力を確保するには敵の数倍の兵力がいるだろう。
陣営を強化するまともな時間もない状況で、敵の嫌がらせ攻撃でも受けたら、前進も次の設営も不可能。
永遠に長安にたどり着けない。やってるうちに洛陽からの援軍二万が到着する。

954 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 12:59:42
漢中奪取して天下三分の計が一応一区切りついたんだけど、
荊州失ったりで一気に崩れた。
この時期には何をしてたんだろう?
呉との同盟が劉備政権の数すくない強みである以上、劉備がとったような呉を馬鹿にした態度とか、
関羽が呉の食糧を強奪したとかのやり方は掣肘しないといけなかったのに。
荊州を持っていれば魏の中枢を益州から北上するより簡単につけるし、生産力の意味でも喪失が痛いことは明白なのに。
この時期、まったく外交にはタッチしてなかったんだろうか。

955 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 13:03:30
>>933
蜀の人口が百数十万、なんていってる書籍なんてまったく見たことがないぞ。
具体的に何よ?
蜀漢の人口が90万というのは晋書に、滅亡時でも94万は三国志にもろ載ってるけど。
登録人口外を適当に推計して加えたもの? だったらそれこそあてにならないじゃん。

956 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 16:48:46
輜重の守りだが、官渡での劉備の襲撃に備えて任峻が10x100の1000乗を1単位で厳重警戒で輸送したというのがあるね
兵力的には、官渡の曹操軍と孔明の北伐軍も似たようなものと思うので、1000乗を運営というのは桟道考えると大変だな


957 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 22:05:30
>>955
>登録人口外を適当に推計して加えたもの? だったらそれこそあてにならないじゃん。
人口90万・94万というのは確実に大間違いなんだからそれよかましだよw

958 :951:2010/07/23(金) 22:42:01
江口鎮じゃなく太白県だった
google mapで確認よろ http://maps.google.co.jp/
拡大して地形図(左「その他」内)にすると
盆地があり、その東部に五里坡なる場所がある 
(3D画像 http://www.57398.com/upfiles/200910/20091026175730585.jpg)

見ての通り、北の谷(斜谷)と南の谷(褒谷)は明らかに分かれている
(拡大平面地形図の方が分かり易い)


褒谷は盆地の入り口で終わり、その地点を褒谷口
五里坡を抜けて斜谷に出る地点を斜谷口というのだろう
(五里坡あたりをそのまま斜谷口と言ってもいいのかもしれない)
と考える

959 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 22:43:13
>>950
>その地を谷口と呼んでいいのだろうか?
いいだろう 盆地視点でそこを谷の口と呼ばずに何と呼ぶ?


>まぁ、そんな事より、この衙嶺山の辺りを斜谷口と呼んでいる例が知りたいのよ。
斜谷口なんて二十五志中に2回しか出てこない
三国志の趙儼伝と後主伝だけ
「例が知りたい」って、史料的に斜谷口が関中を刺している可能性が高いものもひとつしかない
それも起点が扶風だからそう思うのであって特定する理由は他に無い
「斜谷口とは関中にある北口のこと」という限定的な見方の根拠こそ
無いと言えるんじゃないだろうか?

960 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 22:44:17
>>953
>それができないから、古来兵站というのが最も重要視されるのだが。
それが出来ないって、第2次でやっているんだけど?

>攻城用の材木もを運ばねばならない
攻城兵器は現地で造るよ

>兵士は敵地を敵城攻略へ向けて急進しているのだから、余計な荷物は持てない。
先駆けの部隊は、ね

>毎日の防御設営は欠かさずに。
そんな事はしないよ

>自軍と同規模に近い敵主力が後と真横からいつでも攻撃できる状況で、
簡単に渡れないから「背水の陣」と言い得る 川は簡単には渡れない
なので少なくとも横からの攻撃は問題ない
残る後方は普通に撤退戦と同じ
しかも魏軍のすべてが南岸に渡るならばまだよいが、南岸と北岸で軍を分ければ
蜀軍が踵を返して南岸軍を撃破する可能性がある
蜀はそれも狙える

961 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:08:39
>>957
史料よりたんなる推計がマシ?
それだけはないわ。
確実に大間違いもなにも、はっきりわかっている史実。
で、その書籍ってなんなんだ?

962 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:10:37
兵站が許容できない作戦を連発した時点で凡将だが。
兵の限界が来る前に負けや兵站失敗を素直に認めて退却しているから愚将ではないな。

963 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:13:06
男女口というのがはっきりと分かっている

964 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:27:17
兵站が許容できないってどういう意味?

965 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:37:48
人口90万程度で兵が10万以上。維持するだけで普通にえらいことだ罠。
戸籍外の異民族から物資を徴発していたが、それを加味しても多すぎだろう。

966 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/23(金) 23:41:57
>>958-959
その辺の地形は俺だって見てるので、今更そんな事説明されても、「ああそう」としか言えんね。

河川の源流から一旦小規模な扇状地を形成した後、
そこから比較的広い谷底平野を持つ渓谷が続いているようにしか見えない。
その扇状地の要の部分は辛うじて斜谷口と呼べるかもしれんが、
それ以外は一般的な谷口の概念とは外れているように思えるね。

まぁ、これ以上無益な谷口論争などするつもりもないのでこの辺で話は終わらせるよ。
あなたはあなたの思う斜谷口をもとに考えれば良い。


ただ一つ老婆心から言わせて貰えば、他者を一方的に間違っていると決め付けたり、
攻撃的な態度で話すのは良くないな。

軍事板に出張してた人もそう。
彼などは、ニセクロさんや俺の考察を下地にしていたのは内容を見れば明らかなのに、
そういう事を一切述べずに話を進めていた。もちろん証拠は無いが…

そういった態度は真摯に学問に取り組んでいる態度とは言えない。
他者に対する尊重の念は持つべきだね。
まぁ、人のブログの内容を丸々パクったものを論文として投稿する人もいれば、
それを機関誌に載せてしまう学会もあるのが三国志だから仕方ないかもしれないが。

967 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:42:49
まぁ趣味板だからね。いろいろ妄想するのも華っちゃ華w

968 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 23:52:26
攻撃的な態度で話すべきでないのは同意。
でも軍事板に出張していた人を擁護する気がないけど
2chで書き込みするのにいちいち影響を受けた人や参考にした人の名前出さないといけないの?
きりがない気もするんだけど

969 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/23(金) 23:57:19
>>968
老婆心から忠告しているだけで、いけないとは言ってないさ。

俺がそういう態度は良くないと思っているだけ。
余計な敵を作るしね。

気にしない人は今までどおり気にしないで良いと思うよ。

970 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 01:04:05
>>966
>河川の源流から一旦小規模な扇状地を形成した後、
>そこから比較的広い谷底平野を持つ渓谷が続いているようにしか見えない。
>その扇状地の要の部分は辛うじて斜谷口と呼べるかもしれんが、
侵食盆地に土砂が堆積して扇状地を為しているように見える
そしてそれは遙か昔の事で三国時代には現代と近い地形をしていただろう
盆地と呼ばれるものには大抵川が流れている
川があるから谷だ とは言えないだろう

まぁ、これ以上無益な谷口論争などしても仕方ないのでこの辺で話を終わらせても構わない
あなたはあなたの思う斜谷口をもとに考えれば良い


>間違っている
>>896かな? 彼来てるからね 

971 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/24(土) 01:09:58
>>970

>まぁ、これ以上無益な谷口論争などしても仕方ないのでこの辺で話を終わらせても構わない
>あなたはあなたの思う斜谷口をもとに考えれば良い

こういう挑発的なレスの仕方を嗜めたつもりなんだが、分かってもらえないようだね。
分からないなら良いさ、好きにしてくれ。

972 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 01:15:19
>>971は自分が見えてないんじゃないか?
一方的に言い切って「まぁ君は君で好きに考えればいいさ」なんて締めるのは失礼というものだと思うよ

973 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 01:39:37
相手を論破しなきゃ気がすまない方がよっぽど問題だと思うけどな
そういう人多いけど

974 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 02:01:16
>>966なんて1行目から失礼だろう
で、その後本人は論破した感じで捌き
>まぁ、これ以上無益な谷口論争などするつもりもないのでこの辺で話は終わらせるよ。
「まぁ、」「無益」「など」「するつもりもない」「終わらせるよ」だぜ?w
こういう言葉遣いは失礼すぎて社会で通用しないよ
で、
>あなたはあなたの思う斜谷口をもとに考えれば良い。
で締めくくる、と

それで本人は君子のつもりで
>こういう挑発的なレスの仕方を嗜めたつもりなんだが、分かってもらえないようだね。
だぞ あり得んw

975 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 03:14:53
単純な疑問として、扇状地って2000年かそこらで出来るもんなんだろうか
大方は1万年以上前からあるはずだが

976 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 09:28:20
>>975
少し地形学をかじったものの意見としては
規模にもよるが2000年くらいでできうる可能性がある。

977 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 09:36:56
jemini庵もあれだな。

頭でっかちだな。

冷静になれよ。

978 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 20:19:30
>>941
晋書の信用性の低さは数百年たって資料も散逸しまくり
小説とか適当な情報源から収集されてて
あてにならないところが多いからだろ
正史三国志に劉備の即位時に90万なんてないぞ
蜀末期に蜀が姜維の失敗をはじめとする三十年近い戦役などで
国力疲弊してたのは記述があるが
それでも94万の人口を維持してる
疲弊して人口が増えたのか?ありえんだろ
もともと100万以上いて、疲弊しきった後の滅亡時に94万だったって話のほうが
しっくりくるだろ

979 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 20:25:21
>>961
横から悪いが、劉備が即位して上り坂の蜀が90万で
滅亡時の疲弊しきった蜀が94万ってところに違和感を感じんのか
やたらと90万を連呼してるところからして、それが蜀のピークみたいに思ってるようだが
劉備即位時の90万をピークとして、劉備の呉遠征の大敗や姜維の大敗や敗戦、
そういったもろもろの損害はどうなったんだ?蜀滅亡時の国力疲弊は?
単純な足し算引き算ですでに矛盾してるだろうが
100万以上いて、疲弊によって減少し、滅亡時に94万になってたという以外に
どうやって説明をつけるつもりなんだ?

980 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 20:29:26
>>962
第三次とか普通に2郡とってるぞ
第5次も孔明死ぬまで普通に兵站が持ってたな

981 :軍事板に出張してた人 ◆BO6way2NcQ :2010/07/24(土) 20:33:07
>>966
以前読ませて頂いたが、俺のを読んだら分かると思うけど、あれは殆ど独自の思考
下地にしているというより、むしろあなた方の考察を否定していることになっていないかな?
勿論、結果的にだけど

そういえばクラウゼヴィッツが引用元かなんてあっちで言われたな
流石に軍板って感じなんだろうけど、俺は読んでなかったりして

心外なんだよね、そういう事言われるの
他者の意見なんて危なくて使えないよ 
間違えたくないからね 確かなものを元に自分で考えてる

がしかし、考察という謂わば作品の下地にはなっていなくても
読んだのだから下地になっているはずだと言われてしまえば微妙なところで否定できないな
そこまで否定する気もないし 
知識=人の下地だからね 
そのうち忘れるが誰かがこんな事を言っていたというのは知識として記憶の片隅に残る
それを影響と言えるかは別だが

そして、それをどう扱うか
読んだ事のあるブログ主の名前をわざわざ出す必要性を全く感じないんだけどな
しかも『○○という人はこう言っているが、こうだ。』みたいな嫌味な事をやる必要がどこにあるの?

982 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 21:53:42
>>978>>979
横から、とか自演擁護してないで素直にその書籍とやらを示せよ。
僕の妄想<史料の明記、といいたいだけなら以後レスしなくていいから。

983 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 21:54:27
逆だったな。

僕の妄想>史料の明記

なやつはさすがに相手にできんから。


984 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/07/24(土) 21:55:40
トリップが付いている人が来たという事は、俺が話していたのは本人ではなかったのか。
レスの内容や流れから、てっきり本人だと思って感情的に話してしまっていた。
>>974
申し訳ない


>>981
考察の内容に独自の要素をかなり取り込んでいるのは分かる。
だが少なくとも俺が読んだ限りでは、同調する形であれ反駁する形であれ、
俺やニセクロさんの意見を読んだ上での考察が結構あったように思えた。

「影響を受けたというほどの事ではない」と言われればそれまでだし、何も言う事は無いけど、
そうでないのであれば名前等を挙げるべきだと俺は思っている。
例えそれが反駁や批判であっても、自分の与り知らないところで、
それも名前すら出てこない状態でされるのは不愉快に感じるから。

これは俺の意見に過ぎないし、そう感じない人も多いかもしれない。
だけど論文を書く際には、その論文を書く上で参考にした文献類は当然挙げるものだし、
それが誰のどういった意見か周知ならともかく、そうでないなら、どういう場でも挙げた方が誠実だと俺は思っている。

まぁ、こういう事に関しては、以前ブログの内容そのままの物を勝手に論文として投稿されたってのがあるから、
俺も少々感情的になっている点は否めないけどね。
一つの意見として思ってくれればそれで良いよ。



スレ汚しすまなかったね。
スレ住人は俺の事は気にせず話を続けてくれ。

985 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 22:33:51
当たり前だのクラッカー

986 :軍事板に出張してた人 ◆BO6way2NcQ :2010/07/24(土) 23:35:16
>>984
「考察の内容に独自の要素をかなり取り込んでいる」って、、分かってないな…
取り込んでいるんじゃなく、種の史料を思考で紡いでいくと出来てくるものなんだよね
何処どこは独特で、何処どこはありふれている とか、本人にはそういうものではないよ
ましてや「取り込む」など、ありえない
そういう思考方式って理解できないな  
どうやって取り込むの?

>俺やニセクロさんの意見を読んだ上での考察が結構あったように思えた。
読ませてもらったから当然知っているよ

>同調する形であれ反駁する形であれ
それは意識過剰というもの
まあ反論者の意見がどう見てもどこかの受け売りだったのは俺も感じたけどね



関係ないけど

>だけど論文を書く際には、その論文を書く上で参考にした文献類は当然挙げるものだし、
文献を挙げるのは情報の証拠や深く理解させる為の誘導や説得力補強の為じゃないの?

>それが誰のどういった意見か周知ならともかく、そうでないなら、どういう場でも挙げた方が誠実だと俺は思っている。
これ、ただの友達の意見だったら、どうしてる?
「〜と私の友人の○○君が言っています。」?

987 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 23:37:04
>>986
もそっと大人になっとけよ

988 :軍事板に出張してた人 ◆BO6way2NcQ :2010/07/24(土) 23:39:23
いやまぁいいけど

989 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 03:52:02
>>982 >>983
勝手に自演認定してんなよ
実際に違うんだから仕方ないだろ
てか、単純に晋書の信憑性が低いとされてる事、
蜀滅亡時は国家が疲弊してたとされる事、
劉備即位時90万だったなら滅亡時94万で
逆に人口が増えてる事になる、ってのは
単なる事実だぞ
そっちこそ、これらの事実を無視して自分の妄想に逃げ込むなよ
お前は小説とかまでソースにして、あてにならない、といわれる晋書をもとに
劉備が即位してのぼり調子だった蜀より、数十年の間に何度もの敗戦や消耗を経験して
疲弊していたとされる滅亡時の蜀の方が人口上だったといいたいわけか?
この矛盾を説明してみろよ

990 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 05:56:01
>>1
そのなかじゃ姜維が一番何もしてないだろ。

>>9
ぶっちゃけ司馬懿の知力98前後はやりすぎだな。
子孫が天下取ったから持ち上げられてるけど、諸葛亮より上にする理由はないと思う。

諸葛亮93前後、司馬懿91前後ぐらいが妥当だと思う。


991 :小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/25(日) 06:49:07
超ロングパスだな

992 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 10:25:15
レーティング馬鹿と人口馬鹿が来るとそのスレは滅亡する

993 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:17:30
>>899
横レス
>この矛盾を説明してみろよ
簡単だろ 疲弊してなかったんだよ

994 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:37:12
>>993
それこそ資料を無視してんじゃないのか
劉備の呉遠征大敗や、姜維の段谷大敗をはじめとする北伐失敗の被害を計上するだけでも
90万から差し引けば80万台に行ってしまう
こういった被害を計上して、国力が疲弊にいたってなお、94万の人口が残っているには
少なくとも100万以上の人口が必要だろう

995 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:46:37
結局、孔明は無能には程遠い、偉大な宰相にして名将であった、という事で結論ですね

996 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:48:03
異議なし

997 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:50:32
当然の帰結

998 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:52:54
ですよね

999 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:54:11
同意

1000 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/25(日) 20:55:08
再評価の結果、やはり孔明は偉大という事でこのスレ終了!

1001 :1001:Over 1000 Thread
  立  新   /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ  と   何
  て  し    L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )   申   と
  ね  い   //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  す  1000
  ば  ス   /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i  か   を
  い  レ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く  !!    超
  か  ッ   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,     え
  ん  ド   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ   た
  の  を  ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  う     「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
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人_,、ノL_,iノ!  . ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\       ,'  ト、,
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